01 ◇―森人の少女と傷多き漆黒の希望―



 世界は、全土に死が蔓延していた。

 それは、神を自称する種族が始めた戦争によってのものであり、その戦争は四00年も続いていた。

 本来、原初の神が始めた戦争は、手段は不純ではあるが、一応は全生物の平和を唱えての統治が目的だった。

 だが、時は移ろい、現在の神の子孫が掲げている戦争の大儀も建前はそれであるが、実際には平和など眼中になく、自分たちの理のために凄惨な殺戮を繰り返しているだけで、挿げ替わったそれは、実態はただの宗教戦争であり、その大儀の本質も、実のところは不明慮なものだらけで、誰が為の戦争なのかと言われると、神以外は誰も答えられないのが現状である。

 そんな無意味な戦争のさなかで、懸命に生きる種族たちがいた。


 アーリカ大陸に位置する、選民思想国家『ハリッド』の端にある禁域の森の奥に、戦争による迫害によって逃げてきた森人族たちがそこで小さな村を作って生活をしていた。

 禁域の森は、非常に危険な敵性動物が住んでおり、居住するには不適格な森ではあるが、追われる彼らが移り住むにはある意味で安全な場所だった。

 なぜなら、禁域の名の通りハリッドの国民は森には近寄らないし、入られたとしても森には仕掛けがしてあり、危険な動物を対処しながら森人の居住区を見つけることが困難であるからだ。

 それに、ハリッドを通らないとこの森には入れないため、他国は手を出せず、追われている森人にとっては都合の良い場所である。

 またその森で知り合い、同じく迫害によって逃げてきた『妖精族』と共に、両者が相協力をしあって、森人族と妖精族は少ないながらも人数を増やしていくことができた。

 迫害を受け、故郷の森を追い出され、仲間も殺されて減っていった両種族は、ようやく安住の地を得ることが出来た。

 それでも、いつ戦争の災禍に巻き込まれるかわからない。

彼らは束の間の平和だと甘受し、出来るだけ目立たずに暮らしていた。


 そんなある日のこと、森人族の少女 リューカは、村仕事である水汲みのため、妖精族が管理する湖へ飲み水を貰いに出かけていた。


「何でこの私が…まぁ、人が少ないから仕方ないよねぇ…」

 大きな荷車を押しながら、リューカは、小さく愚痴を言った。

 リューカは幼いながらも才女として有名であり、そのなかでも自然法則にとても詳しく、彼女の発明した法則技法は、森人の生活を安定させ、居住区を隠す仕掛けも、彼女が作った幻影の法則技法によるものだった。

 しかし、人口が増えてきた森人族でも、まだ労働力としての人数が多いわけではなく、彼女が村の立役者だとしても関係なく肉体労働に駆り出されることになり、そのことにリューカはため息を吐きながら荷車を引きながら歩いた。

 敵性動物に遭遇しないように迂回をしながら湖に着いたリューカは、辺りの様子に違和感を覚える。


「あれ?妖精がいない…どうしたんだろう?」

 普段そこにいるはずの妖精族の姿が見えず、リューカは不思議に思いながら荷車から容器を取り出し、村仕事をはじめた。


 …そしてしばらく経ち、リューカの力でもギリギリ持って帰られる重さに調整した水量の容器を荷車に積み、いくら待っても現れない妖精に不安を感じてくる。


 彼らは非常に好奇心旺盛で、誰であろうと友好的に接してくる。

 それが慣れた相手だとその相手にまとわりついて遊びをせがんでくるほど無邪気な性格をしており、いつもリューカが湖を訪れると必ず彼らに遊ばれてしまうのだ。

 それなのに、誰一人現れないことに、彼女の不安はだんだんと大きくなってくる。


 まさか敵性動物に襲われた…?

 いやあり得ない。妖精は動物には知覚されない法則技法を持っている。

 もしかして、誰かが森に入ってきた…?

 それもあり得ない。幻影の法則技法を理解できないはずだ。


 妖精がいない原因を考えていると、湖の奥、対岸の森から一人の妖精が慌ただしくリューカのもとへ飛んできた。

「あっ!リューカ!!早く逃げて!!!」

「え?モカ?みんなはどうしたの?」

 その妖精は、リューカの友人のモカという名の少女で、モカは考え込むリューカの頭に乗ると、慌てて逃げるように促した。

「なによ、いたなら早く出てきなさいよ」

「のんきにしてないで早く!!!」

 モカの剣幕に、何かあった事を察したリューカは、フードに入り込むモカを確認して、急いでその場から離れた。


 標しをつけた迂回路を走りながら、リューカはモカに事情を聞く。

「モカ!何があったの!?」

「わかんないけど、変な毛の人が私たちを捕まえに来たの!!」

「変な毛の人?…まさか獣人族!?」

「たぶんそいつら!なんか毛まみれでしっぽがついたやつらがいっぱいいたの!」


 モカの言葉にリューカは顔をしかめた。

 獣人族は五官が鋭く、唯一幻影が効きにくい人種だからだ。

 生活圏が違うから不要だと思い、獣人対策をしていなかったことを後悔する。

 がしかし、今はそれよりも重要なことがある。


「後悔はあと、今は助けを呼びにいかなくちゃ…!」

 この緊急事態を仲間に知らせ、妖精族を助けなければならない。

 リューカはモカを連れて急いで村へ走った。


 そんななか、リューカは思った。

 異常だ。なぜこの森に獣人がいる?

 ここに入るにはハリッドを渡らなければならない…

 ただ通るのにも一苦労するはずだし、獣人族が森へ入れることはあり得ない。

 だから獣人族が来ないことを前提にして幻影の法則技法を研究したんだ。

 それに、モカに聞いたところ、血の濃い獣人みたいだし…

 どうやって獣人はハリッドを超えられた?


 リューカの思う通り、禁域の森に獣人が現れるのは異常なことだった。

 ハリッドは、動植物の体質が混在していない種族を集めた選民思想国家であり、彼らの神、『サヘラント』が掲げる教義は、神たる自身の造形に近い生物の世界統一である。

 故に、強力な動物の体質を宿す獣人族がハリッドに入る事は難しく、さらにそれを渡って禁域の森にいることそのものが、普通ではあり得ないことだった。


 迂回路を走り抜け、もう少しで村へ着くと思っていたその時、突如森の奥から敵性動物の群れが現れ、驚いたリューカは急いで草陰に隠れた。

「クルミルの群れ!?もうっ!間が悪いな…!」


 クルミルとは、肉食性の昆虫型動物であり、禁域の森に生息する大型危険生物の一つである。知能はあまり良くないので対処は簡単なのだが、それを知らなかった移住当初の森人が村の開拓をしているときの死亡事故の主な原因であり、今でもたまに事故に遭うくらいには、森の脅威として存在している。

 リューカとモカは声を出さぬようにゆっくりと廻り込むようにその場から逃げるが、クルミルの群れは囲むように歩いており、上手く逃げることができず、近づいた村から離れて、湖の近くまで戻ってきてしまった。


「結局、こっちまで戻ってきてしまった…。早くしないと妖精たちが危ないのに…」

「でも、あの虫があぶないよ……」

 八方塞がりの中、リューカとモカは湖の端で息を潜め、続々と湖へ向かうクルミサソリをやり過ごすことにした。

だが、彼女たちは別の危機に見つかってしまった。


「あぁ?森人がいるぜぇ!!」

 隠れていた草陰の後ろから獣人が現れたのだ。

(まずいっ!!!)

 リューカはモカをフードへ押し込めると、クルミルがいる中へ一目散に走った。

 クルミルを獣人にぶつけて、そのどさくさに紛れて逃げる。そう思って賭けた行動だったが、クルミルは湖に口をつけたまま動かなかった。

(くそっ!!!)

 上手くいかなかった賭けに悪態をつきながらも走る。

 しかし、獣人の身体能力には敵わず、リューカは捕らえられてしまった。


「へへへ、捕まえたぜぇ、森人のガキィ」

 捕まり、髪をつかまれて拘束されたリューカは、フードに隠れて怯えているモカに黙っているよう小声で言うと、大きな声で命乞いをはじめた。


(モカを逃がすチャンスを作るんだ…!)

「まっ、まってください!お願いです、助けてください!!」

 リューカの命乞いに獣人は下卑た笑いをする。

「お!いいねぇ!俺は命乞いが大好きなんだぁ!!」

 ゲラゲラと笑う獣人の側には、捕まっている妖精たちが籠につめられており、全員が絶望の顔をしていた。


 捕まっている妖精たちを助けたいと思うリューカだが、今の自分にはその術がない。

 とにかく生き延びて、村にこの事を伝えて仲間と共に妖精を助ける。

 助かる希望はある。みんなで生きる希望はまだある。

そのためにも、リューカは何度も命乞いを続けた。

「命だけは助けてください!お願いします!お願いします!お願いします!」


 しかし、獣人の答えは無情だった。

「妖精どもは捕まえたが、森人はなぁ…まぁ、運が悪かったと思って死んでくれや」

 獣人は手に持つ凶器を振り上げ、それを見た時、リューカは死を予感した。

 あっけない最期。悪意は彼女に死を求めた。

 しかし、リューカの心はまだ希望を諦めていなかった。

 リューカは目を閉じ、強く祈った。

 絶望のさなか、彼女は運命に希望を求め、願った。

 ――助けて!誰か、私たちを助けて…!


 そして、彼女の声を聞いた運命はその願いを叶えた。

 それは、振り下ろされた刃が間近に迫った時だった。

「ぐあぁああ!?!手、手がぁあ!!?」

 突如として獣人が悲鳴を上げ、凶器を落とした音が聞こえた。


「っ?!一体なにが…?」

 目を開けると、獣人の手に木の実が食い込んでおり、折れ曲がったその手を庇いながら苦痛に転げまわっている獣人の姿があった。


 一体何が起きたのかわからなかったが、リューカは妖精を助けるチャンスだと思い、苦しむ獣人をしり目に、妖精たちが閉じ込められた籠を奪いとる。

 すると、悲鳴聞いて駆けつけきた別の獣人が現れ、急いでその場から逃げるリューカ。獣人は仲間の状況を見て素早く応急手当をすると、すぐにリューカを追いかけた。


 追いかけてくる獣人を確認したリューカは焦った。

このままではまた捕まってしまう。

 万が一を考え、籠から妖精たちを開放すると、フードの中で縮こまるモカに声をかけた。


「モカ!すぐにみんなと村に行って、森の状況を伝えて!!」

「う、うん…でもリューカはどうするの!?」

「私はあいつらを引き付けるから!早く!」

「わ、わかった!!リューカ、絶対無事でいてね!!!」

 飛び去るモカ達を見送ったあと、リューカは必死に走った。

 迫る足音に緊張がはしる。

 近くまできている獣人を背後に感じ、必死に走った。


 そしてひらけた場所に出たとき、そこは異様な光景をしており、それを目の当たりにしたリューカは驚愕し、足を止めてしまった。


 派手に壊されている荷台と、散らばった武器の数々。

 数十人の獣人たちが縄で縛られており、全員がぐったりと頭を下げている。

 そして、その中央には大勢の妖精に囲まれた一人の女性が立っていた。

(獣人が全員倒されている…それに、あの人は一体…?)

 リューカはその女性を見て息を飲んだ。


 漆黒の衣服を羽織って勇猛に立っているその女性は、端麗な顔をしていた。

 髪は艶やかで長く黒い髪を後ろに纏めていて、とても輝いてみえた。

 前髪から覗くその目は武人のように頼もしい光を宿していた。

 女性らしい線、それでいて鍛えこまれた体躯に、同性なのに目を奪われた。

 捲られた服から見えるその腕は逞しく、手にある古傷は芸術のように美しかった。


 その人はあまりにも輝いて見えた。

 ――とても綺麗なひと…

 リューカは女性の姿に見惚れてしまい、状況を忘れて呆然と立っている。


 そして、リューカの後方に見える獣人に気がついた妖精たちは、くるくると女性の周りを慌ただしく飛び回る。

「アネーサ!あの森人は友達なの!おねがい!助けてあげて!」

「さっき僕たちの仲間を助けてくれた人だよ!だからおねがい!アネーサ!」

「…ああ、わかった」


 アネーサと呼ばれた女性は、立ちつくすリューカの傍へ行き、彼女を庇うように立つと、追いついき、辺りの風景に驚愕した様子の獣人へ目を向け、体を構えた。

「…かかってこい、私が相手だ」


 この日、リューカは、世界に溢れる絶望を吹き飛ばす漆黒の希望に出会った。



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