第8話 悪意

「ここ、ですか……」


 レイラは地下へ続く階段を見ながら、一人呟く。

 彼女がやって来たのは人通りの少ないエリアにある、とある建物であった。その建物は老朽化が進んでおり、人が使用している形跡はない。

 そんな建物の中に、地下へ通じる階段があった。その先が今回の依頼で指定された場所であった。


 前回も人気の少ない路地裏が集合場所であったが、今回は室内。それに地下となればいざという時逃げるのが困難だ。

 ゆえに普段のレイラであれば場所が地下と分かった時点で手を引く。無駄な危険を冒す必要などないからだ。

 しかし今回ばかりは、そう言ってもいられなかった。


「もしこれがイザベラ様の出して下さった依頼であれば、いかないわけにはいきませんね……」


 正直彼女自身、これがイザベラの出したものではないのではないかと疑問に持っていた。今回は前回とは違い、人目につかない場所を指定する意味がないからだ。

 それに逃げ場のない地下を指定するのも怪しい。わざわざガーランがそのような怪しい場所を指定するとも思えなかった。


 しかし万が一がある。なにかしらのやむを得ぬ事情があるのかもしれない。

 レイラは意を決し、地下へ続く石段をゆっくり下っていく。


 そうしてしばらく下ると、彼女の前に石でできた頑丈そうな扉が出現する。レイラは警戒したままその扉をノックする。すると一拍置いて中から「どうぞ」と女性の声が返ってくる。


(女性の声……ガーランではないようですね。イザベラ様のものとも違う……)


 レイラはいつでも剣を抜けるよう、注意しながら扉を開けて部屋の中に入る。


「よく来てくださいましたレイラさん。お待ちしてましたよ」


 中にいたのは黒いローブを着た女性であった。フードを被り、目元は仮面で隠しているため素顔はわからない。ただ口元と口調から二十台前半、もしくはそれより少し若いくらいかとレイラは推測した。

 地下の部屋の明かりは数か所に置かれた蝋燭のみで暗く、家具のたぐいは部屋の中央部に丸いテーブルと二つの椅子が置かれているだけであった。

 その寂れたテーブルには香が焚かれており、怪しげな匂いが部屋に充満していた。レイラはすぐに袖で口元を覆い、漂う煙を極力吸わないようにする。


「貴女のような有名な冒険者に依頼を受けていただき光栄ですわ。このような埃っぽいところにお呼びだてしてしまい申し訳ありません。そうだ、飲み物でもいかかですか?」


 仮面の女性はそう言うと、ガラスのグラスに透明の液体をこぽぽ、と注ぐ。

 見るからに怪しい。レイラはそれに口をつけず、椅子にも座らず仮面の女性を見る。


「どうされました?」

「依頼するのであれば仮面を取るのが礼儀ではありませんか? この状況で貴女を信用するのは不可能です」

「あら……それは申し訳ありません。ですがこの仮面を取ることはできないのです」


 悪びれる様子もない仮面の女性。

 いったいなにが狙いなのか、レイラは見当もつかなかった。しかしこのままここにいるのはよい選択でないことは分かる。

 レイラは相手を探ることをやめ、撤退を第一目標に設定する。


「申し訳ありませんが、この依頼はなかったことにさせていただきます。それでは」


 そう言って部屋から去ろうとする。

 しかし仮面の女性が発した言葉は、レイラをその場に留まらせる力があった。


「つれませんね。それは私がイザベラ王妃ではないからかしら?」

「……っ!?」


 レイラは驚き振り返る。

 仮面の女性は椅子に座りながら、不敵な笑みを浮かべレイラを眺めている。


「貴様、なぜそれを……!」

「少しは話を聞く気になってくださったかしら?」


 レイラがイザベラたちと会っていたことは王城にいる者すら知らない秘密。なぜそれをこの仮面の女性が知っているのか。レイラは困惑する。


「私はいわゆる裏社会の人間でしてね、色々と情報が入ってくるのですよ。いくら気をつけていても人の目からは逃れられません。特に浮浪者の目など貴女は気にも留めないでしょう?」


 くすくす、と仮面の女性は笑う。

 ガーランと会った時、レイラは誰にも見られていない自信があった。しかし王都から出る時と帰ってきた時の、馬車に乗って移動していた時までは自信がなかった。

 馬車で移動できる道は自然と広い道になってしまうため、完全に人目から隠れることはできないからだ。


(しかしそれでもなるべく人目につかぬよう行動していたはず。それなのにその情報を掴まれているなんて……)


 レイラは仮面の女性への警戒度をマックスまで引き上げる。

 もはやこのまま帰るわけにはいかない。イザベラ王妃に被害が及ぶ前にここで決着をつけなくてはいけない。

 腰に差してある剣に手をかけ、レイラは戦闘態勢に入る。


「私は貴女と戦う気も、脅迫する気もありませんのよ? そんな物騒なことはやめてください」

「言い訳は捕まえたあと聞きます」


 レイラはそう言い捨てると、地面を蹴って斬りかかろうとする。

 しかし、


「『やめなさい』、と言っているのですよ?」

「……っ!?」


 レイラの足が、まるで地面に縫い付けられたかのように動かなくなってしまう。

 なにが起きたのか分からず困惑するレイラを見ながら、仮面の女性は目元を覆っていた仮面を脱ぐ。

 あらわになる彼女の顔。その右目は赤く染まっており、怪しい紋様が浮かんでいた。


「それはまさか魔眼……!?」

「ご明察。お香も飲み物も全て偽装フェイク。本命は魔眼これというわけ」


 魔眼とは魔法効果を持った特殊な『眼』のことだ。

 一つの魔眼につき一つの能力しか行使できないが、その力は強力。しかも移植することで生まれつき魔眼を持っていない者でもその力を使えるようになるため、闇市場では法外な金額で取引されている。

 貴族や商人の中には魔眼を収集する蒐集家コレクターもいると言われている。


「私の魔眼の力は『支配』。一度に一人しか支配できないという制限はあるけれど、その代わりしばらく目を合わせた相手を絶対に支配できる」

「く、そ……!」


 レイラは相手を睨みつけながらゆっくりと動く。

 もし魔眼による支配がなければ刹那の間に女性の首を切り落としているだろう。


「……驚いた。竜すら支配する魔眼に抗えるなんて。わざわざ危険を冒してまで貴女と接触した甲斐があったというものね」


 女性は再び仮面をつけると、レイラのもとに近づく。

 そして彼女の頬を手でなぞりながら、至近距離でレイラの目を覗き込む。すると魔眼の効果が更に強くなり、レイラの自由意志が徐々になくなっていく。


「美しい顔。貴族に売ればさぞ高値がつくでしょうね。……でも貴女にはもっと大切な仕事をしていただくわ」

「なん、だと……?」

「貴女にやってもらうのは『王妃イザベラの殺害』。国王の誕生祭で派手にやってもらうわ」

「な……!?」


 驚愕したレイラの目が見開く。

 そのようなこと、許されるわけがない。しかしそれを止める手立てが今の彼女にはなかった。


「第三王妃の座を狙っている令嬢はたくさんいます。だけど陛下は今の王妃に夢中で次のきさきを作らない……なれば当然、王妃に消えてもらいたいと願う人はたくさんいます」


 ガウス国王は愛妻家で有名であった。一夫多妻を推奨している女神教徒でありながら二人の妻しか作らず、最初の妻が亡くなった後は第二王妃のイザベラのみを愛し続けた。

 そのことを良くなく思う貴族の数は少なくなかった。


「体が弱いイザベラはもう先が長くないって言われていますけど、あくまで噂。まだまだ長生きする可能性はある。そうしたら若さが自慢のご令嬢たちに永遠にチャンスは訪れない……とうとう我慢ができなくなって私に依頼が来たの」


 その話を聞いたレイラの胸の内に、激しい怒りの炎が湧く。

 そんな馬鹿な話があるか。なんで必死に生きているあの人が、誰よりも優しいあの人がそのような理由で殺されなければいけないのか。怒りに震えるレイラは唇を強く噛み、血が流れる。

 しかしいくら怒っても魔眼の効果を消すには至らなかった。


「この……!」

「こんなに魔眼に抗った子は初めて。念には念を入れてこれもつけておこうかしら」


 そう言って女性はレイラの首に鉄製の首輪を装着する。

 それは彼女の魔眼と同じく、支配の効果を持つ魔道具であった。効果の強さは魔眼に劣るがかけ合わせることで支配の効果は更に強力になる。

 二つの効果の重ねがけによりレイラの目は虚ろになり、完全に仮面の女性の操り人形になってしまう。


「部屋に引きこもっているイザベラが人前に姿を現すのは、次の国王誕生祭。彼女と親しくなった貴女であれば近づくのも容易いでしょう。頼んだわよ」


 仮面の女性は作戦の成功を確信し、妖艶な笑みを浮かべる。

 楽しいはずであった誕生祭に、強い悪意の影が忍び寄る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る