第3話 「要領を使うな」

  先輩が高校を卒業されて日本へ戻り、大学で日本拳法部に入部されたのは、そんな韓国での虐めに対する反発であったのかもしれません。

先輩は子供の時から殴り合いがお好きでしたので、大学で空手や少林寺、或いはテッコンドウをやられてもいいはずなのですが、あえて「日本」という名前の部活を選んだという点に、私はそう感じます。

  

  私は先輩よりも5・6年あとに大学へ入り、5年間日本拳法部に在籍し、コーチをされていた先輩には、大会前の強化練習や年2回の合宿等で鍛えて戴いた(扱(しご)かれ(きびしく訓練する)ました。また、1年生の夏休みには1ヶ月間、先輩の工場でアルバイトをさせて戴きました。

そういう私の体験から、先輩の日本拳法に対する取り組み方の要点は「要領を使うな」 → 「苦しい練習を要領を使ってごまかすな」ということだと理解しています。

簡単な話、準備運動の一つである拳立てや腹筋の時に、ごまかす

練習中、苦しい顔をして一生懸命やっているフリをしながら、手を抜く(休む)、というようなことです。そして、そういう部員に対し、先輩は烈火のごとく怒り、容赦なくヤキを入れていました。

誰しも、苦しい練習に挫(くじ)ける前に「ごまかして切り抜けよう」とするのは、頭でそう考えることもあれば本能の要求でもあるのですが、これを定常的に・習慣としてやるようになると、その人間が壁を越える(ブレイク・スルーする)ことができなくなってしまう。

そればかりか、もっと悪いのはそういう手抜き人間の真似をする者が現われる。そして、「手抜き」の伝染が起こると、その組織自体が腐敗してしまう、と問題がどんどん拡大していくことです。

俗に「沢山のリンゴが詰まった箱の中に、一個の腐ったリンゴを入れると、やがて全てのリンゴが腐ってしまう」という現象です。これがクラブのような集団、会社や社会の中で起こる。経済学における「悪化は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則も同じ意味でしょう。

拳法の技術云々以前に、こういう怠け・ズルの雰囲気が伝播すると、いくら厳しい練習を何時間やっても何を教えても、全てが無駄になってしまう。

しかし、私は先輩の異常とも思えるほどの「要領を使うことや人を憎む」姿を見て、これは先輩自身が在日韓国人の生き方を憎んでいるのではないのか、と思うようになりました。

在日韓国人として、生まれてからずっとそのまま日本に住んでいれば、そんな意識は生まれない。しかし、3年間日本を離れ「自分が在日である」という強い意識を毎日持たされる環境にいらした先輩は、常に自分のなかにある「在日性」と戦わなければならなかった。韓国人ではなく在日韓国人として、彼ら韓国人の中で自分の存在を主張できるような実力(根性)を見せねばならない。そんな戦いの毎日、最も自分の弱さとして自覚したのが「要領を使う」という在日韓国人の特性であったのではないか。

早い話が、「日本名」を使って日本人のフリをする。日本人という仮面をかぶりながら「在日特権」の恩恵を受けて楽に生きることができる。

そういう自分のなかにある「甘え」を捨てるというよりも、強引に切り離さなければ、死ぬか生きるかという極限状態の韓国高校時代に生き抜けなかった。

私は大学時代に先輩の工場で働かせて戴いた時、よくもこんなに劣悪な環境で仕事ができるなと、死にそうな思いで毎日を乗り越えていましたが、確かにそういう「要領を使わないで仕事をする」環境で生きる在日韓国人は存在するのです。

先輩自身は、子供の時からそういう工場で働く(運営する)ご両親の元で、「要領を使わない」生き方というものを見てこられた。だから、韓国でそれができたのではないか。

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しかし、大学卒業後からこれまで見てきた大方の在日韓国人とは、根本的に「要領よく生きる」こと、何の後ろめたさも感じないし、かえってそれを誇りにしているかのような在日韓国人ばかりではないかと感じます。

(この点に関して、在日中国人の場合は在日韓国人とは違う、と私は感じます。)

先輩は子供の時からそうであったのか、大学に入られた時からなのかわかりませんが、少なくとも大学日本拳法の世界では一貫して日本名という偽名ではなく、韓国名で通されていました。

60年前の日本とは、どの学校でもクラブでも、スパルタ式の厳しい世界でしたので、在日特権など関係なしに先輩も扱かれたのです。

私は在学中、昔の日本拳法部のアルバムを見る機会がありましたが、先輩の1年生の頃の顔というのは、全くの日本人顔です。

また、2001年だか、女子サッカーのワールドカップ出場を賭けて日本の国立競技場で北朝鮮と日本が対戦しました。

その時の北朝鮮選手たちの集合写真を見た時、私はかの先輩のことを思い出したのです。もちろん、先輩の顔が女性的だということではなく、顔立ちが彼女たちと相似していたのです。その瞬間、私は「エッ、先輩は韓国(百済や新羅)ではなく、北朝鮮(高句麗)系なのか ?」と思いました。

2023年10月23日

V.2.1

平栗雅人

続く

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私と韓国人 「天国と地獄」1963年 V.2.1 @MasatoHiraguri

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