第22話 峠



 東の空がすっかり明るくなった頃、ジェマは高原を走り抜け、再び山道へと入っていた。

 この峠を越えてしまえば、後はなだらかな下り道が続いて行く。


 帝都へは、馬で優に10日はかかる。

 旅はまだ、その入り口に立ったばかりなのだ。


 山道の森のなか、岩場から湧き水が流れ出ている場所を見つけて、ジェマは馬を休ませた。

 持ってきた瓶を洗って、水を汲み、自分の喉も潤す。

 ルークルも両手で水をすくって、コクコクと飲んでいた。


 峠を下ると、ヌエスの村に入る。

 ヴェルテラの里から一番近い、帝国領の村だ。


 領地管理官が駐在しているからか、小さな山村でありながらも、宿屋や商店がある。

 これらの店には、ヴェルテラから、狩った鹿や鴨の肉とか、城で採れる蜂蜜などを卸していて、ジェマも何度か訪れていた。


 ヌエスの村を過ぎてしまえば、ジェマにとって、人の話と地図でしか知らない、未踏みとうの土地だ。


 ジェマのかたわらで、馬が下草をんでいる。

 ルークルは馬の背の上で、横になってウトウトしていた。


 近くの木の根元に、2体の妖精が居るのに気づく。

 不思議そうに、こちらを見上げていた。


「お邪魔しているよ、少し休ませておくれ」

 ジェマが声をかけると、ぴゃっ! と跳び上がって、すぐに根の奥に隠れてしまった。


「・・・驚かせちゃった」

 ヴェルテラの里の、人馴ひとなれした妖精たちと違って、とても警戒心が強いらしい。


 ジェマは「ふぅ」と、息をついて、顔を上げた。

 木々の葉を透かして、朝陽がきらめいている。


 森があるうちは大丈夫だと思う。

 森のなかでなら、清水のりかも、果実のなる木も、馬が食べられる草がある場所も、探し出せる。

 妖精たちは臆病だが、ルークルを介して話ができれば、様々な情報を集められるだろう。


 けれど、帝都が近づくにつれて、森は減り、村よりも人が多く住む、町が増えてくるという。

 町とは建物ばかりで、湧き水も無ければ、道には石が敷かれていて、草も生えていないと聞いている。

 飲む水も、馬の餌も、金で買わなければならないとしたら、手持ちの金銭ではかなり心もとない。


 帝都に着いてしまえば、伝手つてはある。

 ヴェルテラからの特使が帝都を訪れる時に、定宿じょうやどとしている、商人の館があるのだ。

 そこに逗留とうりゅうして、皇帝に目通りできる機会を待とうと、考えている。


 でも・・・

 たどり着けるのだろうか・・・


 ジェマは頭をプルッと振った。

 途中が心配ならば、早く帝都に着けば良いのだ。

 ルークルが一緒だから、夜だって駆ける事ができる。

 幸い、馬は元気で調子が良い。


「大丈夫、きっと行ける。大丈夫」


 そう自分に言い聞かせて、ジェマは背中の荷物を背負い直した。


 ジェマは辺りを見渡した。

 高く伸びた木々には、緑の葉が生い茂り、鳥たちのさえずりが、あちこちから聞こえる。

 とても良い森だ。


 ・・・なのに、妖精の姿が無い。

 この大きな森に、さっき現れた2体しか居ないとは、考えにくい。

 自分たちを恐れて、隠れているのだろうか・・・



「あら、こんな所でお会いするなんて・・・」


 え?

 突然掛けられた声に、ジェマは驚いて振り返った。


 若い女が、こちらへ向かって歩いて来る。

 足首が見える短めのスカートに、前掛エプロンを掛けている。

 ジェマよりは年上だろう、村人の若女房という風体だ。


「今日はずいぶんお早いですね。お一人ですか?」


 女はニコニコと、愛想良く話しかけてくる。

 どうやら、こちらの事を知っているようだが、ジェマは会った記憶が無い。


 そんな戸惑いを感づいたのか、

「ヌエスの村の者です」

 と、女は自分の身を明かして、

「お嬢さんはヴェルテラ族の方でしょう? 今日は何を持っていらしたの? 蜂蜜かしら?」

 そう言いながら、ジェマの隣で、手に提げていた桶に水を汲み始める。


 ヌエスの村人か。

 ヴェルテラ族の者は、服装で分かるから、それで声をかけたのだろう。

 ジェマは少しホッとして、微笑を返した。


「いや、今日は村に用事がある訳では・・・」

 答えようとしたジェマの言葉は、水が溜まって行く桶を見て、途切れた。


「・・・その水を、村まで運ぶのか?」

 村は峠を越えて、山を下った先だ。

 そんな所から、たった桶一杯の水を、汲みに来たのだろうか?


 ジェマの問いに、女はニッコリと笑った。


「そんなバカな事、するはず無いでしょう」

 突然、水の入った桶がジェマに向かって飛んで来た。


To be continued.

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