第20話 下の森



 ヴェルテラの里は、森に囲まれている。

 里から、ふもとに向かって広がる森は、「下の森」と呼ばれていた。


「・・・と、いう事だったのだ。本当にごめんなさい、アルベ」

 昼間の出来事を、木の妖精に話したジェマは、神妙に謝罪して頭を下げた。


「あの者らが捕らわれたのなら、それで良い。お前様に怪我が無かったのが、何より」

 アルベは、山羊のミルクの入った小皿から顔を上げて、笑いかける。

 反対側では、ルークルが小皿に顔を突っ込んで、ミルクを飲んでいた。


 夜更けの「下の森」は、細い三日月の光も届かず、鬱そうとした闇に沈んでいる。

 小皿が置かれた切り株の辺りだけが、ほんのりと明るいのは、光の妖精のおかげだ。


「・・・アルベにそう言ってもらえるのは、ありがたいが・・・それでもやはり、わたしがきちんと、アルベの話を皆に伝えておけば、林にひそんでいた男たちを、早めに見つけたのかもしれない。結果、死人と怪我人を出してしまった。・・・わたしの落ち度だ」


 ジェマは「ふぅ・・・」とため息をついて、手の中にあるミルクが入った瓶を見つめる。


「どうもダメだな、わたしは。やっている事が空回りしている。よくよく考えて行動しているつもりなのだが・・・」


 ルークルがミルクで濡れた口を、手の甲でグイとぬぐって、ジェマの顔の前へ飛び上がった。


「もー、ジェマらしくないよ、そういうの。悪い奴らに勝ったってのに、何で落ち込むのさ」

 腰に手をあてて、ルークルが口を曲げる。


 自分らしくないのは、ジェマにも分かっている。

 本当に、つい今朝までは、自分の考えに自信を持っていた。

 上手く行く、大丈夫だと・・・そう信じていた。

 なのに・・・今は・・・


「・・・あたしがシュレンを送っている間、あの皇子と二人にしたのがダメだったんだ」

「えっ?」

 ギクリと、ジェマの心臓が嫌な音を立てる


「ああーっ! あたしが目を離したのが悪かったんだわ! ちゃんとジェマに付いていれば、危険を察知できたのにぃ~! あたしの馬鹿!」

 と、ルークルは自分の頭を両手で押さえながら、ぐるぐると円を描いて飛び回った。


「ル、ルークルのせいじゃ無いよ。シュレンを送るのを頼んだのは、わたしじゃないか」

 ジェマがなだめるが、ルークルの耳には届いていないようだ。


 でも・・・

 もしあの時、ルークルが一緒に居たとしたら・・・

 それでもリカルドは、あんな事を言ったのだろうか・・・


 ジェマは首をぶんぶんと振った。

 思い出してしまったものを、振り払うように。


「ルークル、木苺ラズベリーのクッキーだ。食べないか?」

 ジェマは赤紫色のクッキーを取り出すと、半分に割ってルークルへ差し出した。


 ピタリと止まったルークルは、クッキーを受け取って、切り株に降りる。

 そして両手でしっかりと抱え、ポリポリと食べ始めた。


「アルベもどうぞ」

 ジェマは残りの半分を、アルベへと渡した。

「これはこれは・・・」

 ほくほくと笑いながら、アルベはさらにクッキーを小さく割って、ミルクにひたす。


「・・・確かに、お前様は少々『向こう見ず』な所があるのう・・・」

 ミルクが滲みて、柔らかくなったクッキーを、美味しそうに頬張ほおりながら、アルベが言った。


 向こう見ず・・・か。

 ジェマは苦笑を返す。

 その通りだけれど、はっきりと口に出されると、やはり落ち込んでしまう。


「・・・だがの」

 アルベは口元を、小さな若葉でゴシゴシと拭いた。


「そこが、お前様の良さでもある。頭の中で考えてばかりでは、何も変わりはしない。お前様のように、勢いでもって物事を動かす力も、必要だろうよ」


 そして、にっこりとジェマに笑いかける。

「空回りでも回っているうちに、歯車が噛み合う時も来るだろうて。大丈夫さね」


「アルベ・・・」

 優しい言葉がジェマの胸にみて、あたたまって行く。


「・・・アルベ爺さん、ひげがまだ汚れてる」

 ルークルが手を伸ばして、アルベの白い髭を拭いた。

「ほ、ほ、すまんのう」

 くすぐったそうに、アルベが笑った。


 そんな二人を見て、ジェマも微笑む。

 手にあった瓶のミルクを、全部小皿に注いでから、立ち上がった。


「・・・行くのかね」

「うん」

 ジェマは、連れて来ていた馬の鼻を撫でた。


 馬の背に積まれた荷を見て、

「遠くへ行くのかね」

 と、アルベが問う。


「うん」

 馬にまたがったジェマが、頷いた。


「帝都へ行ってくる」

 言ってジェマは、ゆっくりと馬を進めた。


「じゃあね、爺さん」

 手を振ったルークルが、ジェマの後を付いて行く。


 光の妖精が遠のいて、辺りに再び濃い闇が戻って来た。

 けれどアルベは、ずっとジェマとルークルが去って行った方を、見つめていた。


To be continued.


 

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