第16話 白昼夢

 ジェマは頭の中が真っ白になった。

 収まっていたはずなのに、また胸の鼓動が早くなる。

 今度はドキドキぐらいじゃ済まなくて、バクバクしている。


 ・・・いや、落ち着け。

 これは知っている。

 手を取って口付けるのは、帝国風の儀礼だ。


 リカルドが、ゆっくりと顔を上げる。

 艶のある黒い瞳が、ジェマを見つめた。

 そして・・・


「ジェマ、俺の妃になってほしい」


 と、言った。


「これは、正式な求婚だよ、ジェマ。昨夜は俺が至らなかった。あんなうわついた言い方では、信用されないのも当然だ。・・・他の誰でもない、ジェマを妃にしたい・・・」


 昨夜の、夕食の席での甘やかな声では無く・・・

 蠱惑的こわくてきな色を帯びた視線では無く・・・


 静かだけれど力のある声音で・・・

 まっすぐな迷いの無い視線で・・・


 他の誰でも無い、貴女ジェマを妃にしたい、と・・・


 ジェマはひとつ大きく深呼吸をした。

 どうにか胸の鼓動を落ち着かせて、お腹に力を入れる。


 でも・・・リカルドの目を見る事ができない。


「・・・立ってくれないか、リカルド」


 だが、リカルドは首を振る。

「このままで、返事を聞かなければならない。それが作法だ」


 ジェマはもう一度、大きく息を吐いた。


「・・・昨夜話したはずだ。わたしはヴェルテラ族の長を継ぐ身だから・・・」

「知っている。だが、それは矛盾だ」

 言葉を遮られ、「矛盾」と言われ、ジェマはリカルドを見ざるをえない。


「俺を誘拐した罪を、『命であがなう』と言っただろう? 死んでしまっては、族長を継ぐ事などできはしない。なのになぜ、『族長を継ぐ身だから』と、妃になるのを拒むのか? 俺には、妃になりたくない言い訳にしか聞こえない」


 ジェマの手を握る力が、強くなった気がした。


「・・・わたしは、一族の為になるのならば、この里を護る為ならば、この命をいつでも差し出す覚悟がある。・・・でも、この里を捨てて、帝国の皇子の妃になる事はできない」


「それは、俺の妃になるくらいなら、死んだ方がマシだと言いたいのか?」

「そんな事は言っていない!」


 ジェマの声が大きくなった。

 それは、自分でも驚くほどだ。


 胸の鼓動が、どんどん早く激しくなる。

 今はそれが、重くて苦しい。


 なぜ・・・?

 どうして・・・?


 握られた手から、ふっと力が抜ける。

 そしてリカルドが、ゆっくりと立ち上がった。

 でも、その手はまだ、ジェマの手に触れている。


「・・・もう少し柔軟に考えられないか、ジェマ」

「柔軟?」


「そうだ。・・・ジェマもいずれ長姫おさひめとして、しかるべき相手と婚姻し、一族の為に世継ぎをもうけねばならない身の上だろう?」


 「婚姻」だの「世継ぎを儲ける」だのと、矢継ぎ早に並べられて、ジェマの顔は赤くなる。

 それでも「一族の為に」と言われれば、その通りなので、

「う・・・うん」

 と、頷くしかない。


「ならば今ここで、俺と婚姻を決めるのも、悪くないと思わないか? 俺の妃となれば、ヴェルテラの税を軽くできる。命を差し出す覚悟があれば、何でもできるはずだろう?」


 ・・・雲行きが怪しくなってきた。


 そうやって言われてしまうと、それが正しいように聞こえてしまう。

 何やら・・・術中にはまって行くような気配を感じる。


 ・・・待て。


 今日はこれから、リカルドに里の娘たちを引き合わせて、妃を見つけてもらう予定なのだ。

 この先にある、機織はたおりの工房では、自分と同じ年頃の娘たちが働いているから、そこへ連れて行く計画だった。

 あと、ほんの少しのところで・・・


「わ、わたしとリカルドは、一昨日おとといの夜に初めて出会ったばかりだぞ。それが婚姻だなんて、おかしくないか? 互いにまだ何も知らないというのに、そ、そんな事を決めるだなんて・・・」


 リカルドが笑みを浮かべて、ジェマの手を握り直した。

「婚約をした後で、ゆっくり知り合えばいい」


 そ、そうなの・・・か?

 からめ取られるような感覚に、ジェマは困惑し始めた。


 リカルドの妃となれば、ヴェルテラの税が軽くなり、一族の暮らしが楽になる。

 それはジェマが、命をしても、やり遂げたい事だった。


「その瞳・・・」

「・・・え?」

 リカルドがジェマの瞳を、じっと覗き込んでいる。


「昨夜見た色と少し違う。昨夜は青だと思ったのに・・・陽の下では緑にも見える。・・・複雑な色あいだな・・・琥珀のような色も見える・・・」


 握られた手に力が込められ、引き寄せられてしまう・・・

 背中に、リカルドの手が回りこんできて・・・


「まるで宝石のようだ・・・」


 そう言った声が、すごく近くて・・・

 そう言ったリカルドの瞳だって、磨かれた黒曜石のようで・・・


 もう・・・

 目を開けていられないほどに・・・

 近くて・・・


To be continued.






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