第8話 秘策

「本当か!」

 ジェマは身体を前に乗り出した。

 そんな方法があるのなら、ぜひ知りたい。


「帝国の皇子の妃となる事だ」

「えっ!」


 驚くジェマに、リカルドが頷く。

「皇子の正妃となれば、外戚であるヴェルテラ族には恩賞として、税が大幅に軽減される」


 ジェマは大きく目を見開いた。

「・・・知らなかった」

 思わず漏れた素直な言葉に、リカルドが笑みを浮かべる。

 けれどそれは、これまでとは少し違う、艶やかな微笑み。


 前のめりになっていたジェマは、リカルドの顔がすごく近い事に気づく。

 リカルドの長い指が、ジェマの髪に触れた。


「俺も、ヴェルテラに姫が居たとは知らなかったさ。しかも妙齢。そして、なかなかに美しい」


「え・・・と、それは・・・」


 ずっと一族の中で育ってきたジェマは、一族以外の男性と、あまり面識が無い。

 まして「美しい」など、一族の男からだって言われた事が無い。

 リカルドに間近で見つめられて、ジェマは、どうしたら良いか分からない。


「俺は独り身だぞ・・・ジェマ」


 声が甘い。

 髪に触れていたリカルドの指が、そのままジェマの頬を伝う。

 リカルドの顔が、さらに近くなった気がした。


 黒い瞳は、光の届かない谷底を見るようで・・・

 そのままひきずり込まれてしまいそうで・・・


 ダンッ!!


 突然、大きな物音が響いた。

 ハッとして、ジェマは身体を引く。


「冷たい水をお持ちしました」


 見れば、扉の前に控えていたはずのフラムが、そこに居た。

 水の入った銀のカップを、リカルドの卓に置いている。

 よほど乱暴に置いたらしく、カップを持っているフラムの手も、卓の上も、水で濡れていた。


「お客人は、かなり酔っていらっしゃるようだ。少し冷まされた方がよろしいかと」

 丁寧な言葉とは裏腹に、フラムはリカルドをきつくにらみつける。


「・・・気が利く事だな」

 フラムの視線を受けて動じず、リカルドは水の入ったカップを手に取った。


 場を仕切りなおすように、ジェマはきちんと座り直す。

 すぐ後ろに、フラムも座る。

 その目は、監視でもするように、リカルドを見ていた。


「・・・それは良い策を教えてもらった。だがリカルド、皇子の妃になるという事は、帝国で暮らさなければならないのだろう?」


 ジェマの問いに、リカルドはカップの水を飲み干して、

「まぁ、そうだな」

 と、答える。

 そしてエッダに向けて、水のお代わりを催促した。


「わたしは、父のあとを継いで、一族のおさとなる身だ。里を離れて暮らす事はできない。・・・けれどもし、リカルドの気持ち次第だが・・・」


「だが・・・何だ? 言ってみてくれ、ジェマ」

 ジェマを見るリカルドの瞳が、甘く光る。


「この里には、わたしと同じ年頃の娘が何人も居るんだ。双方の気が合えば、父の養女とし、ヴェルテラの姫として妃にしてもらう事ができるが、どうだ?」


 これほどの良い策は無い。

 ジェマは自信満々だった。


 なのに・・・


 リカルドは、水の入ったカップを手にしたまま、呆然とジェマを見ている。

 背後ではフラムが、口を押さえて、必死に笑いをこらえている。

 水を注ぎに来たエッダは、おろおろとリカルドを見たり、ジェマを見たり、笑うフラムを視線で叱ったりしている。


 結局、ジェマの策は、賞賛も支持も受ける事ができなかった。




 その日の真夜中の事。

 客間で寝ていたリカルドは、ふとした気配に目を覚ます。

 寝台から起き上がり、注意深く窓に近づいた。


「・・・シュレンか?」

 名を問うと、窓の外から

「はい」

 と、確かな答えがあった。


 窓を開けると、背の高い、がっしりとした体躯の男が、音も無く部屋へと入り込む。


「遅くなりまして申し訳ございません。なかなか警戒の厳しい所でございまして・・・」

 シュレンと呼ばれた男は、リカルドの前にひざまずく。


「いや、いい。部屋も食事も申し分無くて、快適だ」

「・・・で、ございましょうな」

 シュレンは常夜灯が灯る、薄暗い部屋内を見渡した。

「お聞かせ頂けませんか? 私を制してまで、捕まった理由を」


「俺の寝所に忍んで来た女は、あの姫が初めてだったからな。しかも背中に抱きついて来るだなんて、健気けなげで熱烈だと思わないか?」

「姫・・・あの娘はヴェルテラの姫君でしたか・・・」

 器用に話の要点だけを聞き取って、シュレンは頷いた。


「その熱意に応じてここまで来たのに、『自分は妃になれないから、別の娘をめとれ』と言われた。無邪気な顔で、こうまで俺を翻弄ほんろうするとは・・・ますます興味がつのって離れられない」

「・・・つまり、もう少しここに滞在するという事ですね」

 器用に話を要約して、シュレンはまた頷いた。


「それに・・・『あれ』はおそらく、ここにある」

「は・・・」

 シュレンは顔を上げる。

 それを待っていたような、リカルドの顔があった。


「全く興味も無ければ、やる気もなかったが・・・ここにあるとなれば、俺が手に入れるしかないだろう?」

 不敵な笑みを浮かべる主人に向けて、

「御意のままに」

 シュレンは深く頭を下げた。


To be continued.

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