これ以上ない、幸福な朝

れん……おーい……れーんー……」


 誰かに体を揺らされている。


「んー……なんだ……」


 眠い目を無理やり擦って、なんとか焦点を合わせる。やっぱり目に映るのは、いつもの薄暗い天井の照明……ではなく、少女の顔。それも、たったの五十センチ前方に。


「あ、起きた。もう七時だよ?」

「……おう」


朝七時を「もう」と表現するあおに感心しつつ、蒼の顔がどいたのを確認し、両腕を伸ばして大きなあくびをする。まさか、年下の女子に起こされる日が来るとは。


「あと、蓮の分の朝ごはんもできてるから、よかったら食べて」

「……おおおう」


 どうりで、キッチンのあたりから焼いたベーコンのいい匂いがすると思った。そこには、ベーコンエッグと白米、さらには味噌汁まであった。


「あ、そういえば、昨日の夜できなかった洗濯やっといたよ」

「……おぉーう」


 どうりで、昨日はあの後お風呂に入って寝ただけなのに、洗濯済みの服がカゴに入っているわけだ。


 なんというか……昨日の蒼が夢みたいだ。本当の蒼は家事が完璧にこなせて、気の利くやつなのだろうか。おかげさまで「お」と「う」しか言えていない。

 ともかく。

 せっかくいい朝ごはんがあり、時間もいつもより一時間ほどあるので、布団をたたみ、机をだして朝食をとることにする。

 そんな中、蒼は、洗濯物を干していた。


「蓮って、いつもはどうやって起きてたの?」

「七時半にアラームをセットしてある」


 ほかほかの白米にベーコンエッグを乗せ、一緒に口へ。このベーコンと卵と米の完璧な調和が、眠たい体にエネルギーを送る。


「それだと結構ギリギリになりそうだね」

「まあ高校近いし、その時間に起きれれば、余裕で間に合うんだけどな……」


 蒼は濡れた洗濯物をバサッと広げつつ、呆れた顔をする。そういや、昨日も同じような顔してたような。


「二度寝するんだ……」

「それでも、学校に遅刻したことはないけどな」

「はぁ……それで、朝ごはんはどうしてたの?というか、三食ともどうしてたの?昨日は結局、昼も夜も外だったし、キッチンやけにきれいだし……」

「……」


 暖かく、絶妙な塩味が後を引く味噌汁をすすりながら、無言でキッチンの段ボールを指さす。


「ああ、そういうこと……」

「だから、二度寝して八時に起きたとしても、全力ダッシュで間に合うってわけよ」


 ちなみにその段ボールには、大量のカップ麺と大量のカロリーメイト。


「いままで体こわさなかった?」

「まあ、なんとかな。多分、見崎みさきのおかげだろうけどな」

「ミサキ?友達がたまにご飯作ってくれるの?」

「友達っていうより、幼馴染だな。一人暮らしの俺を心配してくれて、たまにご飯作ってくれるいい奴でさ。多分見崎がいるから、母さんもキッチン付きの部屋にしたんだと思う」

「ふーん」

「見崎と蒼、いい勝負なんじゃないか?どっちの料理もうまい」


 食べ終わった皿たちを重ね、手に持って立ち上がる。


「うまかった。ごちそうさま。ありがとな」

「なんか、すっごい嬉しそうだね」

「当たり前だろ。朝から美味しい朝ごはんを作ってもらえるなんて、これ以上ない幸福だよ」

「そー……なんだ……」


 蒼の手が、ちょっとだけ止まる。


「だから、本当にありがとな」

「たかが朝ごはんでそこまで感謝するの、多分蓮だけだよ」

「そうか?これでも、感謝しきれないぐらいだが」

「ふーん…………まあ、いいや」


 蒼は、またもやちょっとだけ止まって、ちょっとだけため息をつく。


「それ、食べ終わったら水につけといて」

「ああ、わかった」


 『洗っといて』じゃないってことは、もしや皿洗いもやるのでは……?


「蒼って、家事はなんでもできるのか?」

「よくお手伝いしてたから。おばあちゃんにあんまり迷惑かけたくなかったし」

「……すげーな」


 なんというか、こんな生活習慣をしている自分が恥ずかしくなってしまう。

 そして、そういう蒼を尊敬する。

 

 そんな蒼は、洗濯物を干し終わり、箪笥から制服を取り出して服を脱ぎ始め……


「っておい!なに普通に脱ごうとしてんの⁉」


 パジャマの上は半分ほどめくれられ、そのおへそがハッキリ露出している。下乳が無いのがざんね……幸いだ。


「もう裸見せてるし、今更下着くらいいいかなって」

「いやよくないから!」


 裸より生着替えにこそエロスを感じる人もいる……っていうのは別の話だから口には出さないとして。


「着替えるなら脱衣所でして……」

「まあ、いいけど」


 やっぱり蒼を尊敬することはできそうにない。どうして、こうも恥ずかしさがないのか……もはや考えても仕方のないことだが。


「俺も今着替えた方がいいよな……」


 というわけで、蒼が着替え終わる間に、急いて制服に着替える。



***



「じゃあ、俺先に行くな」

「うん。行ってらっしゃい」

「いってきます」


 黒を基調とした制服に身を包んだ蒼に見送られつつ、家を出る。

 「いってらっしゃい」を言われるのも、「いってきます」を言うのも、実に一年ぶりか……まあ、悪い気はしないな。


 太陽のまぶしい朝。ちょっと上機嫌になりつつ、高校までの道のりを歩く。この道をいるのも、結構久しぶりだ。

 七時半に起きて、二度寝して、八時に起きて、急いで着替えて、カロリーメイトを咥えて全力ダッシュ。歩いている余裕などなかった。そんな日に比べたら、なんとゆったりとした一日の始まりなのだろうか。


 そんなことに思いをはせる中、いつもの曲がり角には、見知った顔がいた。

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