第3話 白い花

 焔祭りの当日、茉更と董太は早朝から無垢の間に居た。昨夜は遅かったため、董太は茉更を眠らせてから、大神子のもとへ行くことにしたのだが、その判断は正しかった。茉更の顔色は戻り、いつもの快活な表情がよみがえっていた。


董太は茉更の手を放さず、一睡もしなかった。しかし、そんな様子を感じないほど、彼はいつも通りだ。


「こんな早くから、董太まで来てどうしたんだい?今日は皆が待ちに待った祭りだよ。そんな深刻な顔をしてなにがあったんだ。」 


史埜はいつもの白装束ではなく、今日の祭りのために用意された鮮やかな紅の着物に身を包んでいる。


「夢を見ました。史埜様、今日の焔祭りは中止にして下さい。皆が炎に包まれ、何もかもが消えてしまう。史埜様も....祭りに出てはいけません。」

「大神子。茉更様は昨夜、夢を見られてから大変に戸惑われ、やっと落ち着いたのです。ただの夢とは俺も思えません。」

「ん?お前たち、いつの間に仲良くなったのかい?」


茉更と董太は思わず言葉を呑んだ。史埜は不思議そうな顔をしているが、口元は微笑んでいる。


「出すぎたことをしました。申し訳ありません。」


そう言うと、すぐさま目にも止まらぬ早さで董太が後ろに下がり、頭を垂れた。弓で


「董太は私が夢を見た後、側に居てくれました。今までは、私の態度が悪かったのです。これからは、衛士として信頼し助けてもらおうと思います。」

「そうかい。良かったよ。私はね、お前たちは似ていると思っていたんだよ。根っこの素直さ、美しさ。形は違えど同じ輝きを持っている。仲良くなったならこしたことはない。衛士との信頼関係は神子の命に直結する。董太、よく茉更を手懐けたよ。」

「悪意を感じますけど...。史埜様、私たちのことはいいのです。私の初めての夢見。信じて下さいますか。史埜様に何かあったら、私は生きていけません!!」

「茉更。お前が見たのは夢見で間違いないだろう。力を使うことは、非常に疲れるものだ。いつもの様子と違ったのはそのせいだ。力が目覚めたのだ。交代の時が近づいている。私はいつかは死ぬのだよ。生きていけないなど言わないでくれ。それに、今日の祭りでは私は死なないだろう。大丈夫だよ。」

「なぜですか、あの夢は史埜様の危険を暗示していました。なぜ大丈夫だと言えるのですか。」

「私も見たからさ。夢を。今日の祭りが楽しくて仕方なく、民も皆、幸せそうに笑っていた。必ず成功し、次の神子への橋渡しとしての意味が果たされると。」

「ではなぜ私は夢を....。」

「答えはまたわかる時が来るだろう。初めての夢は、大きな意味があるものだ。その夢が事実を表すこともある。また夢が、目に見えないものを映すこともある。経験を重ねる中で見極められるようになるんだよ。」

「心の中....」


茉更は史埜の言葉を繰り返した。現実なのか、誰かの心の中にあるものなのか。今の自分にはどちらなのか、全くわからない。夢見とは何と難しいのか。これを自ら判断し、民を導かねばならないのか。茉更は自分の役割の重さを改めて実感した。


「茉更様。この後、俺はあなた方と共に行動します。危険があればお二人とも必ず守ります。」


董太が小さな声で茉更にそう伝えた。茉更は頷き、何があっても史埜の側を離れない、そして危険があっても史埜を守ってみせると決めた。



しばらくして、茉更は祭りのための衣装を身につけた。年々華やかになっており、今年は一段と気合いが入っている。衣装を用意するのは、神子の身の回りを世話する清女という使いの者が担当をする。茉更の清女は若干、派手好みであり、着飾れば美しくなる茉更に腕が鳴るのである。


「これじゃあ、神子じゃなくてどこぞの姫君だわ。」

薄桃色の着物はやわらかな布地で、流れるような曲線が花のように可愛らしい。付け合わせの裏衣は真っ白で、純真な乙女の象徴として差し色になっている。薄桃色の着物には無数の刺繍があり、着物と同じ色の帯でできているため、目立ちはしないが、上品な雰囲気を作っている。茉更は髪を高く結い上げ、一つのお団子にし、両側から垂れ下がった髪には小さな髪止めをいくつか付けている。神子にしては飾りすぎではあるが、茉更の存在は村の希望であり、どこぞの姫君より美しく、が清女の持論であるようだ。


着なれない長さの裾に気を付けながら、茉更は史埜と董太のいる正門へと向かった。史埜は高級な艶なかな布地の着物を羽織っておりら落ち着いた紅色の衣装が特別な存在であることを感じさせる。すぐ後ろには、幾人かの大神子専属の衛士がいる。その少し離れたところに、董太がいた。

茉更は驚いた。董太は、黒い羽織の下に、刺繍が入った白い着物を纏っている。下衣は同じく黒で、真逆の色で統一されていて清廉な印象を受ける。額にはイルスカ村の伝統的な紋様の入った帯を巻いており、幾色も重なった複雑な作りが重厚感をもたらしている。他の衛士もそれぞれ衣装を着ていたが、董太は特別に目立っていた。それは衣装の力ではない。


一方、董太も茉更を見て感心していた。もともと、顔立ちの綺麗な人であることは知っていた。着飾った姿も、衛士になる前から祭りで見ていた。特別な存在の少女。いつか自分が守るようになるかもしれない人。そんな風にぼんやりと眺めていた、今までとは違う。不機嫌そうに、いつも怒り口調で話す姿。大神子を心底慕い、誰よりも大切にする心。そして、夢見という得体の知れない力に恐怖する、普通の女の子。ずっと近い存在になった今、彼女の美しさがそのまま胸に飛び込んでくる。


(もしこの人が神子でなければ....)  


董太は、ハッとして自分の両頬を叩いた。周りの者は、寝不足で自分を奮い立たせたのだろうと気にも止めていない。


「董太、今のところ変わったことは無いかしら。」

「はい。特に動きは感じられません。けれど油断無く見ていきます。同じ衛士といえど、安心せず注視していきます。」

「ありがとう。私にはあなたが頼りだわ。あと改めてだけど....」

「はい。」

「ごめんなさい。私、あなたに八つ当たりしてた。みんなはに大切にしてもらっているのに。あなたは私に危険がないように守っていてくれてるのに。時々ね、全て捨てて逃げ出したくなるときがあるの。そんな時に、あの丘に行くのよ。」

「俺はあなたの衛士です。」

「わかってるわ。別に何かを望んでるから話したわけじゃないの。」

「俺にはあなたの苦しみがわからない。抱えているものも、背負っているものも違います。」

「そうね。」


茉更は悲しげに下を向いた。何かを求めた訳ではない。でももしかしたら...どこかで彼に期待している自分に幻滅する。


「でも、あなたも俺のことを知らない。」

「え?」


董太は茉更を真っ直ぐに見つめた。

(あ、あの時の瞳だ。深くて、温かい眼差し)

茉更は鼓動が速くなるのを感じた。


「俺は小さな頃から、神子を守れと、そのために生きろと言われてきました。決められた未来に、嫌気がさす時もありました。殴られ、蹴られ、なんのために強くならねばいけないのか、わからなかった。でも....」


董太は少しはにかんで微笑んだ。


「あなたみたいに子どもっぽくて、素直で、迷って悩んでいる人に出逢えた。あなたと俺は違うけど、そんなに違わないように思います。いつだってあの丘に行って下さい。俺があなたを守りますから。」


茉更はぐっと涙を堪えた。何故だろう。この人の言葉は真っ直ぐで、真っ直ぐすぎて胸が切なくなる。

 

「ありがとう。董太、お願いがあるの。」

「何ですか。」

「ずっと私の衛士で居てね。私の側に居てね。」

「当たり前です。そうだ、茉更様、これを。」


董太は、小さな白い花を一輪、差し出した。


「これは....」

「ソッタ山の丘に咲いていた花です。夢見の力が目覚めたことが、良いことかはわかりません。でも何かを贈りたくて、摘んできました。あなたの悩みをずっと聞いていた花だから。支えてくれると願いを込めて。」


茉更は花を受け取った。そして髪に差し、持っていた手鏡でこっそり姿を確認した。茉更の髪色に白い花が映えている。可憐だが、どんな場所でも力強く咲く花。茉更は、鏡に映る自分の顔が真っ赤であることに気づき、落ち着くように心で言い聞かせた。




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