第2話 火手瑠

 イルスカ村では年に一度、盛大な祭りが開催される。四方を山に囲まれ、霧深いこの村は部外者が立ち入ることはほとんどない。そのため、周囲の諸国では『幻の村』と呼ばれており、存在は知られてはいるが、正確な場所を把握している者はほとんどいない。そのような閉鎖的な村で唯一、民が自由を感じられるのが焔祭りであった。


 イルスカ村の初代神子である灯手瑠と、四方の山に住む青年の神ソッタ。二人の出逢いがイルスカ村の始まりと言われている。燃えるような赤い髪の少女、灯手瑠の美しさに山の神が恋をした。しかし、同じく少女を愛する男がおり、仲睦まじい二人を見た男は、あろうことか山の神に嫉妬をし、殺害を目論んだ。灯手瑠は男が弓で神を殺める夢を見たため、それをソッタに伝えたことで神は命を落とさずにすんだのだ。ソッタを護った少女に胸を打たれたのは、同じく山に住む母の神タモと、父の神ヤコだった。彼らは灯手瑠を讃え、少女を護るためにイルスカ村を作った。そして、夢見の力がある灯手瑠を神子として、村を納めるように人々に伝えたという。


 代々続く夢見の神子の伝説を讃えるのが焔祭りである。普段、社に居る神子がこの日は民の前に姿を見せ、交流をする。稀に外部の者が歌や演奏をして、盛り上げることもあるが、ここ数年はその必要はなかった。なぜなら、神子の後ろには次期後継者の茉更がおり、その若く力に満ちた姿そのものこそ、イルスカ村の喜びであるからだ。皆は神子たちと会い、話せるこの時に未だに伝説が生きていると実感するのである。そして何より、夜には炎を囲んでは歌い、踊り、好きなだけ笑いあう祭りは、静かな村の若者たちの娯楽でもあった。



 茉更は明日に控えた焔祭りが、あまり嬉しくは無かった。もともと目立つのが好きではない上に、史埜の後ろにいる自分に向けられる好奇の目が嫌いだった。それでも、役目は果たさなければならず、薄紅の美しい着物を整え、床に付いた。ふと、いつもより深い眠りが茉更を襲った。



....霧深い景色が広がる。ソッタ山の丘だろうか。

そこには、史埜の後ろ姿がある。大好きな、少し丸まった大きな背中。社に来たばかりの頃、神子の偉大さも知らず、背中に乗っては周囲をヒヤヒヤさせたことを思いだし、茉更は少し笑った。


焔祭りだろうか。人々が史埜の周りを囲い、笑顔と喜びが溢れている。

イルスカ村の平和は神子と共にある。舞い上がる炎が、誇りと喜びを表しているようだ。


しかし、次の瞬間。


大きな風が吹き、炎が全ての人々を包み込んだ。

悲鳴が上がり、逃げる間もなく、史埜までをも取り込んで全てを奪い去っていく。高く高く、赤い炎を突き上げて....


「どうしましたっ!?」


茉更の叫び声を聞き、董太が慌てて襖を開け部屋に入って来た。手には刀を持ち、臨戦体勢である。


「史埜様がっ!燃えてしまった!皆も!助けられなかった....あぁ....そんなの嫌よ...」


茉更は布団の上にうつ伏すとひどく泣き始めた。恐怖のためか、肩は震え、青ざめている。

董太は周囲に敵がいないことを確認すると、静かに布団の横に座り、刀を納めた。


「茉更様、大丈夫ですか?」

「うっ....ひっく.....いやぁ!!」


泣きじゃくり、答えることもできない姿を見て、董太はこれがただの悪夢では無いことを直感した。

(夢見だ。茉更様は予知夢を見たんだ。初めて見た。こんなに怖がるなんて....)


衛士になって初めて出逢った茉更は、いつも冷たい態度で、怒った顔ばかりする少女だった。自分が話下手で気の効いたことが言えない自覚はある。そこに不満があるだろうと思いつつ、どう変わればいいかもわからず、少し途方に暮れていた。そもそも、神子と衛士である。彼女の命を守る以外に、何かをする必要があるとは思えなかった。刀を振る以外に、何かを思うその資格が、そもそも自分には無いのだから。


「董太、茉更はね、近い歳の友人がいないんだよ。お前は衛士ではあるけど、肩肘をはらずにあの子の側にいてほしい。私はね、衛士がお前で安心したんだよ。少し真面目すぎるがね。」


大神子の言葉が董太の脳裏をよぎる。ただの衛士の自分に何を望まれたんだろう....目の前の震える少女を見ながらそう思った。


「董太、早く、早く史埜様を!!!」

「茉更様。落ち着いて下さい。」  


董太は茉更の手を取り、そっと抱き締めた。茉更は一瞬、まるで時が止まったかのように固まった。失礼だと承知で、しかしこのままにしてはいけないと、董太が直感したからだ。 


「大神子は無事です。まだなにも起こっていない。あなたが見たのは夢です。大丈夫。ゆっくり呼吸をして下さい。」


茉更はやっと現実に戻り、涙を拭うと深呼吸をした。董太はそっと手を握り、もう一つの手もその上に重ねた。無言のまま、ただお互いの温もりがゆっくりと伝わってくる。


(温かくて、大きな手だわ。なんでかしら....心が安心していくのがわかる。)


茉更が董太を見ると、董太は笑いかけた。初めて見る笑顔だ。少し悲しげな、優しい笑顔。  


(私はどうして今まで、この人を邪険にしたのかしら。こんなにも....深い瞳をしている。私を、私として見てくれている気がする....。)


「少し落ち着きましたか?」

「うん。まだ気持ちはざわざわするけど、落ち着いたわ。ありがとう、董太。」


茉更は彼の目を真っ直ぐ見つめて、微笑んだ。董太は手を放そうとしたが、茉更は強く握りしめた。


「ごめんなさい。もうちょっとだけ、側にいて。また夢を見るのが怖いの。」

「わかりました。なら、こうして握っていますから、少し横になって下さい。心に負担がかかっているように見えます。夢のことは、後で一緒に大神子のところへ行きましょう。ほら、しっかり温かくして下さい。」

「ふふっ」

「どうかしましたか?」

「董太って、史埜様みたいね。口煩い母みたい。私、嫌いじゃないわ。」

 

董太は顔を赤くして、笑い出した。


「光栄です。俺も、口を尖らせて怒るあなたの癖、嫌いじゃないですよ。」


茉更は笑うと、再び眠りについた。お布団の中よりも、握っている手が温かくて、いつまでもいつまでもこうして居たいと思う温もりだった。







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