第6話 踏み潰してしまった初恋
あの後――元々人っ気のいない場所を選んで告白した事もあり、騒ぎを見ていた生徒達から冷たい視線を浴びて、惚れ薬を使った事が言いふらされて、という事にはならず。
レナもタイラー様も私が薬を使った事を本当に誰にも言わず、惚れるかも知れない薬の効果も切れた今、以前と殆ど変わらない平穏な日常が戻ってきていた。
『まさか、ヴィオラが僕の為に泣いてくれるなんてね』
すっかりお馴染みになった、人っ気のない建物の裏――シュゼムは紙に包んだレタスやトマトが挟まったパンを齧りながら呆れたように笑った。
『あの女にこんな薬を飲まされたんだー! なんて吹聴しても聞いてる側からしたら「で?」って話なんだよ。毒や媚薬ならともかく、学院が認めたちょっと相手を惹き付けるだけの薬をど田舎の男爵令嬢に盛られて騒いでる男……そんなレッテル、高位貴族であればあるほど嫌がるよ』
そう言えば惚れるかも知れない薬を渡された時、シュゼムは『先生からも使用制限かけられなかったし。少なくともあいつらは自分がこんな薬を盛られたんだと言いふらして回るような馬鹿な人間じゃない』なんて言っていた。
『そんな……泣いた私が馬鹿みたいじゃない』
『僕は嬉しかったけどね。ああ、死んでほしくないとは思われてるんだなって……』
穏やかな眼で見つめられて、心が少し疼く。何だか今日のシュゼムは変だ。
頭こそボサボサだけど真面目な顔で、きちんと制服や白衣を着こなして私を昼食に誘いに来た。いつもみたいな嫌な匂いもしない。
何だか急に恥ずかしくなって叩こうとするとシュゼムはそれを容易く交わした。
『しかし……ベスタ嬢は本当にハーレムマスターの素質があるね。あれで美貌兼ね備えてたら今頃学院は凄い事になってただろうなぁ』
壁に寄りかかってパンを齧るシュゼムはタイラー様から何か言われてるはずなのに全く凝りてないようだ。
『……私、今回の事で分かった事があるのよ』
『何?』
『結局、心が綺麗な子がモテるんだって事……! 私みたいに卑屈で陰湿で友達を貶めようなんて考える人間に素敵な男が寄り付くはずもなかったのよ……!』
『そんなに卑下しなくてもいいよ。あの子の心が特別綺麗なだけで、普通は多少なりともヴィオラみたいに卑屈で陰湿な面は持ってるよ』
シュゼムのフォローは今いち心に響かない。シュゼムから奢ってもらったパンを食べ終えると壁に寄りかかって空を眺める。
雲ひとつ無い青空はなんとなく今後の私を応援してくれているようにも感じた。
「……アトモスさんには嫌われないようにしなきゃなぁ」
「何でそこで兄さんの話になるのさ?」
「だって、卒業式までもう10日も無いもの……今更私と結婚してくれる人を見つけるなんて無理だわ」
タイラー様はご自身の家族にも良い人がいないか聞いてくれようとしたけど、断った。
これ以上迷惑かけたくないってのもあったし、誰かの力を借りてこの状況を解決しようなんておこがましく思えてきたから。
何でだろう――レナの優しさが本物だと分かってから、他人の優しさが身に沁みて分かるようになってきた気がする。
だからこそ自分が今までどれだけ自分勝手だったか、自分の殻に閉じこもっていたかも痛感して胸が痛いんだけど。
でも、今なら――村に帰っても、アトモスさんとなら何とかやっていけそうな気がする。
「あのね、ヴィオラ……兄さん、好きな人いるよ」
「えっ……えっ!? 何それ、誰それ!? 初耳なんだけど!?」
「ヴィオラが村に来た年にグリーンベア退治してくれた冒険者の中に女の人が1人いたでしょ? 兄さん、ずっとその人の事好きなんだよ」
言われてみれば――怖くて、遠目からしか見てないから良く覚えてないけど、確かに、女の人、いた。だけど、アトモスさんそんな事一言も言ってくれなかった。
「そんな……何で言ってくれなかったんだろ……」
「ヴィオラに言ったらヴィオラが本当に一人ぼっちになっちゃうから、どうしても言えなかったんだって。それに結界が強化されてからもう7年近く会えてないし、これから会えるかも分からないから、君が1人で戻ってきた時は諦めるつもりだって」
何それ――なにそれ。
このまま村に帰って、アトモスさんに渋々結婚してもらって、村の子達の笑い者になって――なんて人生を送るより、ここや主都の教会とか修道院で神に仕えて暮らした方が幾分マシな気がしてきた。お父さんとお母さんには悪いけど。
レナは『村に帰らなくてもいい! ヴィオラは私が養う!』って言ってくれたけど――友達でも友達じゃなくても、それぞれ別の感情で頼りたくないって思うものなんだって、知った。
友達――親友。レナの言葉を今なら素直に受け止められる。
もう離れ離れになってしまうけど、もっと早く気づきたかったって思うけど――でも、レナト一緒にいる時に気付けて、良かっ
「……僕と結婚する?」
「……は?」
「何その反応……勇気出して言ったのに傷つくなぁ」
「いや、だって」
唐突な求婚に頭が真っ白になる。そんな私にシュゼムは苦笑いして言葉を続けた。
「僕と結婚すればアトモス兄さんは好きな人を待ち続けられるし、僕は卒業後は
「本気、なの……?」
「うん」
「わ……私の事、好きだったの? いつから?」
「いつから……家の裏で花の話をした時から、かな。ヴィオラは僕の冗談混じりの説明を楽しそうに聞いてくれたから。だから、学院に行く前に告白しようと思ったんだけど……ヴィオラに突き放されて、それどころじゃなくなった」
――シュゼムが村を出る前、村の子たちにハブかれた怒りをシュゼムにぶちまけた事がある。よく覚えてないけど、怒りに任せてかなり酷い事を言ってしまった気がする。
もう自分で自分が嫌いで、自分の家に引きこもってる間にシュゼムは学院に行ってしまった。
だからここでシュゼムと再会した時は凄く気まずかった。シュゼムは全く気にした様子もなくて謝るタイミングもなかったからずっと謝れずにいたけど――
「……ごめん」
「いいよ。僕も自分の事にいっぱいいっぱいで、何も出来なかったから」
穏やかなシュゼムの言葉に過去の私が少しだけ救われた気がする――と同時にふと疑問を抱く。
「……でも、待って。普通好きな子にあんな薬渡したりしないわ。それに私がもしタイラー様といい感じになってたらどうするつもりだったの?」
「ベスタ嬢に惚れてる男達がヴィオラに好意を抱くとは思えなかったからね。それに前にも言ったけどモテに憧れてるヴィオラに一度くらいハーレム体験させてあげたかったのもあるし」
やっぱりこの男の前でモテてみたいだなんて言ってしまった過去の自分を恨む。
「……何で私にあの薬を飲ませなかったの?」
「注目を引くだけの薬だ。ヴィオラに嫌われてる僕が飲ませたって意味がない。逆に余計に嫌われる可能性が高いから使えなかったとも言えるけど」
タイラー様が言うには惚れるかも知れない薬を飲むと相手の声や仕草に関心がいったり、ふとした時に頭に過ぎる、何だか気になるといった感じになるらしい。
聞いた感じでは確かに薬そのものに好意を持たせるような効果は無いようだった。
そんな薬を飲まされたら余計にシュゼムを意識して――避けていたかも知れない。
「……まあ、ハーレムに限らず、道具や薬で惹き寄せた恋なんて余程強力なものでない限りいつか破綻してしまうのが常だからね。それこそモテたい、チヤホヤされたいって気持ちだけじゃ間違いなく破綻する。僕もヴィオラも、到底そんな器じゃない」
地味に私も馬鹿にしているような言い方に反論しようとシュゼムを睨んだけど、逆に笑顔で見つめ返された。
「それにしても……本当に、ハーレムを形成する人間のパワーって凄まじいんだなって分かった。お陰で強固なハーレムを築く人間に必要不可欠な物が魅力以外にもう一つあるって事が分かった」
「……何?」
「相手を思いやる心だよ。僕にもヴィオラにも、決定的に欠けてたものだ」
私がそう言われるのは分かる。私は、自分の事でいっぱいいっぱいで、打算ばかりで、レナをいい子だなと思いながら疑うばかりで、全然思いやったりなんてしなかった。
「ねえヴィオラ……僕は言ったよね。君が成功するとは思えないって」
「……ええ」
「孤独な人間って、優しくしてくれる人に惚れやすいんだって」
何だか――嫌な予感がする。
「ヴィオラにあの薬を渡したのはね、モテてチヤホヤされていい気になって失敗して惨めな思いをしている君の前で求婚したら僕に惚れてくれるかなって思ったんだ。ベスタ嬢のパワーに押し切られて有耶無耶になっちゃったけど」
「さ……最低……!!」
「そうだね。最低だ。どうしようもない位最低な男だよ、僕は」
ありったけの嫌悪感を込めて言った言葉に対してそこまで自虐されると、それ以上責める気にもなれず。
「……黙ってれば良かったのに」
「僕、嘘を付き続けるのは苦手だから。いつか白状したと思う」
「アトモスさんの好きな人の事ずっと黙ってたじゃない」
「それは聞かれなかったから黙ってただけで嘘をついてた訳じゃないよ」
ああ言えば、こう言う――シュゼムとの会話が何処か懐かしくて怒る気も失せて一つため息を付いた。
柔らかい風が私達の髪を撫でていく。
「……シュゼムって本当に自分勝手よね」
「ヴィオラだって自分勝手だよ。君に付き合いきれるのはベスタ嬢と僕くらいだと思うよ。だから……」
だから、僕と結婚――だなんて言ってきたら、今度はビンタで引っ叩いてやろうと手を振り上げた時、
「高等部に進学したら?」
「ふえっ?」
突拍子もない言葉に変な声が出たけど、何とかビンタは寸前で止める事が出来た。
「魔法学、好きでしょ? べスタ嬢も魔法学部への進学が決まってるし後3年間、親友との時間を楽しんだら良いよ。授業料や寮費は僕が出すからお金の心配はしなくていい」
「……その代わり、僕と結婚してって話?」
流石にさっきの今でそんな事を言われたら裏があると疑わざるを得ない。私の言葉にシュゼムは困ったように微笑んだ。
「んー……そういう気持ちもない訳じゃないけど。でも、どちらかというと今回の件に対するお詫びの気持ちの方が強いかな」
「お詫び……?」
「……僕は今までヴィオラに何もしてやれなかった。何かしてあげたくても、嫌われているから、何もしてあげられなかった。今回の件も僕はヴィオラを煽って傷つけただけだ。そんな僕に3年後のヴィオラが選ぶ道に口出しする権利はないよ」
真っ直ぐ私を見る目は嘘や冗談を言っているようには聞こえない。紡ぎ出される声は酷く穏やかで、何だか――別れの言葉のようにすら聞こえて。
「ヴィオラ……高等部になるともう交友や玉の輿目的の生徒は殆どいない。真面目にその学部に取り組む生徒が殆どだ。だから村の事とか僕の事とか考えずに学院生活を楽しんでほしい……それが僕が君に出来る、唯一の罪滅ぼしだ」
言葉の一つ一つが、チクチクと胸を刺す。言い返したい。罪滅ぼしだなんて、そんな風に思わなくてもいいって、言い返したいのに――
「……ヴィオラ。今まで何もしてあげられなくて、本当にごめんね」
柔らかい風がシュゼムの前髪を靡かせて――泣きそうになりながらも笑顔を作る彼のに、私はもう、何の言葉も紡げなかった。
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