第38話 控え室

「すごい人の数…」

「ステージから見える観客の数はこんなもんじゃないけど大丈夫ぅ?」

 マナちゃんが私を覗き込みながらワザとらしく言った。

「今のは心配してる風で脅してるよーこんなもんじゃないとか…」

「ごめんね。私もちょっと緊張してるの…」

 大きなトートバッグの持ち手に添えられているマナちゃんの手は多分震えている。

 私もずっと手元も視線も落ち着かない。

 自分達の控え室を目指してバックヤードの中を挨拶をしながら進んで行く。


「なになに…『マナゆにゃの親友ルルメゾステージが一番楽しみ!』ですって! 凄いわねぇ、二人の人気」

「やっぱり注目度が高いですね」

「社長、リョウさん…今日はSNSの声を読み上げるのやめてください…本当に緊張してるんです。私だけじゃないです、マナちゃんも緊張してるんですかね!」

「二人ともー大丈夫よー、パーフェクトなヘアメイクの魔法で緊張なんてどこかへ飛んでいっちゃうんだから!」

「今日のヘアメイクがマコさんで本当によかった」

「メインのモデルがメンヘラだからメンケアも重視してマコさんに依頼した私を褒めてよね!」

 控え室に入っても暫く廊下からし続けている雑談を続けている。

 部屋の中で全員の声がやたらと大きくなっている事に気が付いた。

 騒々しい廊下で話していくうちに声が大きくなっていったというのもあるけれど、多分全員が緊張し、大舞台の本番を前に興奮しているんだと思う。


 衣装が予定通りの位置に並び、既に何人かのモデルはマコさんのアシスタントさんによってヘアメイクが開始されている。


 私はルルメゾのトップバッターとしてランウェイを歩いた後、衣装チェンジをしてルルメゾのモデルが全員揃ったステージの上にマナちゃんと一緒に再登場し個人のポーズだけでなく二人でのポーズもいくつかある。

 リハでは息ぴったりのポーズとパフォーマンスが出来たけれど、ヘアメイクに入る前にマナちゃんと二人で最終の打ち合わせをした。


 ここ最近はずっとこの大舞台にかける様子の一部始終をリョウさんがSNS用に撮影し、マナちゃんのドキュメンタリー動画のカメラマンがずっと張り付いている。

 カメラで撮られる事にもうすっかり慣れているという事もあるのかもしれないけれど、終日撮られ続けていてもあまり気にならない。


「さーてー、ゆーにゃちゃーんがー緊張しない魔法をかけていくわよー」

 マコさんの準備が整った様だ。

 ヘアメイク用の椅子に座るとすかさずいつもと同じ様に足元とお腹を温めてくれた。「冷えて巡りが悪いの最悪だからね」といつだかマコさんが真剣な目をして言っていたのを思い出しながら全身をマコさんに委ねる。

 ヘアメイクが頭皮のマッサージやデコルテのリンパ流しから始まると初めて言われた時は、どんなに気持ちの良いマッサージなんだろう…と期待したけれど、実際は痛い事もしばしばで「痛い」と言えばリンパを流す手を緩めてくれるけれど「生活がなってないわよ」と注意を受けていた。

 けれど最近は、ウォーキングのクラスでの先生の指導はもちろんあるけれど、一緒のクラスの女の子達に教えてもらう日常のケア情報を頼りに生活を改善していったところ、メイク前のリンパ流しが痛いという事が殆ど無くなった。

 今日も痛くはなくて「悪いもの流れてるー」という感覚がとても気持ち良い。

 その事を言ってみたら

「ちょっとー、すっかり女優かモデルじゃなーい。タレントじゃないわよ、そのセリフ! 今のちゃんと撮れてるー?」

「もちろん!カメラ回しっぱなしなんで」

 そう答えたのはいつもの動画制作チームのカメラマンだ。

「なんで!?」

「なんでも何もゆーにゃのランウェイデビューを撮りに来たに決まってるじゃん」

「だってリハの時も居なかったし、今日も朝の集合から今まで居なかった!」

 予想外のスタッフの登場に何故か不在だった事を責めてしまった。

「あ、その、責めてる訳じゃなくて…本当に予想外だったから、びっくりしちゃって…カメラ回しに来てくれて凄く嬉しい!」


 控え室の中にいつものスタジオの空気が生まれた。

 今度こそヘアメイクが始まる。

 私の心の準備はもう整い始めている。


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