第37話 準備期間
『ルルメゾのランウェイでのヘアメイクに向けて髪色を少し変える事は可能ですか? 社長とリョウさんの了解は得ていますが、本人の意思を無視して変える事はしたくないので』
『社長とリョウさんのOKが出ているのであれば、私はマコさんにお任せします』
三月のファッションイベントはヘアメイクアップアーティストやスタッフの確保もショーの成功の要になる。
特にヘアメイクはステージの仕上がりやモデルのモチベーションを左右する重要なポイントで、人気のヘアメイクアップアーティストは争奪戦だ。
ルルメゾのモデル達のヘアメイクは争奪戦をパワープレイでマナちゃんが勝ち抜いたのでマコさんとそのアシスタントの人達が担当してくれる。
私が普段からマコさんにお願いしているというのもあるけれど、マナティが「絶対にマコさん!」と熱烈なオファーをしたと聞いている。
もちろん、人気者のマコさんは売れっ子モデルや大手メーカーからメイクの依頼が複数あったようで、ステージのスケジュール的に掛け持ち可能なものもあったらしいけれど、マナちゃんが全員を黙らせてルルメゾのチームマナティ専属で動いてもらう事になったらしい。
『ありがとー! 今度のミーティングにヘアカラースケール持っていくから合わせさせてもらって良いかしら?』
『もちろん! お願いします。ついでに、トレードマークの前髪も変えちゃってください』
(私も、しっかりランウェイ歩ける様に頑張らないと!)
体づくりの為のワークアウトとウォーキングの練習を毎日欠かさずして、肌や髪のケアもコンディションを安定させる為に言われた事を粛々と続けている。
事務所が用意してくれたウォーキングのクラスにはプロのモデルの人や今モデルを目指して頑張っている人など、とにかく桁違いにスタイルの良い人、美意識の高い人が多い。
集団の中で明らかに自分の容姿が見劣りするという経験をした事がなかった私にとっては最初は鏡の前で一列に並ぶ事が苦痛過ぎて行きたくないとすら思っていたけれど、彼女達はタレントのゆーにゃにはあれこれと親切に教えてくれて溶け込む事が出来た。
プロのモデルを目指す彼女達にとってモデルの仕事はハイファッションのショーであって、日本の量産される洋服をタレントや雑誌モデルが歩いて紹介するイベントは別物で眼中にないという事がわかった。
なぜ、そう思ったのかというと、少し前にロッカールームで「ただの真似事するだけなのに真面目にレッスンや体づくりに取り組むゆーにゃって好感持てるよね」と話しているのがドア越しに聞こえてしまったからだ。
それは明らかにバカにしたニュアンスを含んでいたけれど、頑張るしかない私は彼女達に嫌われていないという事実の方が大切で「好感が持てる」の一言に安心した。
(今日も夕方にレッスンが入っている。レッスンの前迄に前回のレッスン迄の復習をしておかないと…)
トレーニングをしながらそんな事を考えていると、今度はリョウさんからのメッセージの通知が入った。
『颯さんからマナゆにゃの写真が最近SNSに投稿されてない事へ心配する事が増えているからこの辺りで一度食事会でもと誘われたので、グルテンフリーのレストランに行く事にしました。日時はおって連絡します』
『承知しました』
リョウさんに短く返事をすると私のスマホのやりとりでも見ているのかと思う程バッチリなタイミングでマナちゃんから久しぶりのメッセージが届いた。
『久しぶりに会えるの楽しみ! グルテンフリーのお店って案件かな? マナ、焼肉が良いんだけど』
『グルテンフリーなのは、私がショーに向けた体づくりでグルテンを最小限にしているからだと思う』
『さっすが〜意識高〜い 笑』
『意識高くならざるをえないよ…ウォーキングのクラス、本気のモデル志望の人ばかりなんだもん』
『ルルメゾのショーモデルは本気のモデルじゃないと?』
『そんな事言ってないよー』
『知ってるー、最近メッセージも少ないから意地悪したー』
『メッセージは忙しいと思って私なりに遠慮してたのにー』
『遠慮なんてしないでよ〜! マナのタイミングでしか見ないから安心して!』
(メッセージのやり取りは今までと何も変わらない。会った時も今まで通りにすれば良い…)
マナちゃんとのメッセージのラリーがひと段落すると私の中でずっとグラグラと揺らいでいたものがピンっと背筋を伸ばした。
なぜ今のタイミングなのかは分からないけれど、誰も居ない部屋でスマホの画面に向かって「やるべき事に集中! それだけ」と呟いた。
私の呟きにはもちろん返事はない。
けれど、言葉を口にした事でスッキリとした。
限られた準備期間で、最大の準備をして最高の当日を迎えるというシンプルな思考をただ貫きたいと自分自信が望んでいる事を自分で気がつく事が出来た。
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