第34話 ドライブ
「ゆーにゃ、そろそろメイク直してスタンバイ出来るかな?」
私のリョウさんへの配慮を完全に欠いた発言をきっかけにスタッフが一斉に仕事に戻り、今まで静まりかえっていたスタジオ内の空気が急に動き出した。
「はい、今行きます。リョウさん、出過ぎた事を聞いてすみませんでした」
「いや…その事は、撮影が終わったら…帰りの車でドライブしながら話そう」
リョウさんはそう私に言うと「撮影終わりの頃に戻るね」と言って、さっきまで話し込んでいた人とは思えないほど忙しそうにスタジオを出て行った。
スタジオ内の照明と視線の全てが私に集中し、撮影が始まった。
***
車がいつもより遠回りをしようとしている事はスタジオを出て直ぐに、車窓を流れる街灯のリズムが一定になり信号が無くなった事で気がついた。
「今日の夜ご飯、中華街の予定だからね」
「中華街って、横浜まで行くんですか!?」
「そうだよ。車で話すならちょうど良い距離でしょ?」
車で話すと言われた時、スタジオと自宅の距離を考えて適当に誤魔化されるだろうとがっかりした気持ちになっていたけれど、それは私の勘違いだった。
リョウさんは私の知りたい事の全て話てくれる様な、そんな深い呼吸を一つして語り始めた。
「まず、ゆーにゃが一番知りたいであろうマナティのケガだけど、あれは警察も入って確認した結果、マナティが自分で自分を刺したものだった」
開口一番で信じられない事実が飛び出して来た。
「そして、なぜエリリンがその事を話したのかと言うと、あの場にエリリンが居たからで…あの場というか、まさにマナティがケガをする瞬間に一緒にいたのがエリリンなんだよね」
車はリズム良く景色を流している。
車内の音楽は最近リョウさんが気に入っている韓国の女性アイドルグループの曲で、話題の重さとは別次元の軽やかで可愛らしい曲が空気を少し和らげてくれている気がした。
「なぜ、あの日、エリリンがテーマパークに居たのかというのは正直なところ真意は分かっていなくて…事務所でゆーにゃのスケジュールを見てマナティと話す為にテーマパークに行ったって行動の事実だけしか分かっていない」
「今のお話だと、あの日、エリリンさんがパークに来てマナちゃんに会っていた時、マナちゃんが自分で自分のお腹を刺したって事になってしまいますよね…そんな事ありえますか?」
音楽のヴォリュームが上がったのかと思うほど、英語と韓国語の混ざった絶妙な歌詞が耳にしっかりと届いて来た。
車で話そうと言ったのはリョウさんなのに「黙るのはずるい」と言いたいけれどそんな事は言えるわけもなく、黙って視線をリョウさんの横顔から窓の外に移した。
「ゆーにゃ、これは本当に非公開で絶対に口外してもらっては困るんだけどね…」
視線を逸らしたら早々に重要な前置きから始まる話になった。
なんとなくリョウさんの方を向き直して良いか分からずにそのまま聞く事にした。
「マナティって時々感情のアップダウンが激しかったり、別人みたいな事あるでしょ? あれ、ただのきまぐれやキャラじゃないの…解離性同一性障害ってわかる? 多重人格なんて言われている事もあるんだけどね…マナティはその障害に加えて複数の精神疾患を合併しているらしくて…自傷行為そのものも過去には何度もあったみたいで…」
「ちょっと待ってください…その言い方だと、マナちゃんは本物のメンヘラで自分の事を自分で刺しちゃうくらいの事はあるって事ですか? そんな…だって、マナちゃん普通じゃないですか! しかも多重人格って…私はいつも同じマナちゃんと一緒でした!」
「ゆーにゃ、落ち着いて…お願いだから」
「みんな知ってて私だけ知らないなんて…そんなの酷い!親友だと思っていたのに…大事な事教えてもらえてなかった…」
思い返してみれば、マナちゃん本人からマナちゃんの事について話てもらった事がほとんど無い事に今更気がついて、何にイラついているのかは分からないけれど、行き場の無いイラつきが涙に変わって止まらない。
しばらく泣いて、涙は落ち着いたけれど、感情をどこに持っていけば良いか分からなくなっていた。
「ゆーにゃ、マナティの障害や病気については、マナティの家族や関係者でも数名、私と社長、そしてあなたくらいしか知らない事なの…マナティから直接話がないという事はマナティはあなたに知られたくないと思ってる。それは理解できるよね?」
「…はい」
景色が完全に横浜になっている。
イラつきが涙に変わって、その涙が不安になって、往路のドライブが終わると共に私の口から滑り落ちた。
「リョウさん、私、本物のメンヘラになる前にタレント辞めたいです」
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