第10話 椅子
「ゆーにゃ、そこに座ってて社長呼んできてすぐミーティング始めるから」
今日は週に一度のミーティングの日だ。
先週投稿したエリリンさんとのコラボ動画の反響もなかなか良くて、伸び悩んでいた登録者数がまた伸び始めている。
「はーい、ゆーにゃ、お疲れ様ー」
社長がミーティングブースにカツカツとヒールの音を響かせながら入って来たので席を立って挨拶をした。
直ぐに座るよう促されたので座ると、私のお尻が硬いウレタンの座面に着くと同時にフィードバックが始まった。
想定外の厳しい面談内容に面食らってしまい「はい」しか言えなかった。
面談の中で最も問題視されたのがキャラブレだ。
メンヘラ系というキャラクターを全面に出している以上、動画内では可愛いメンヘラのゆーにゃでいなくてはいけない…けれど、長時間の撮影の中でカメラの前でも時々素が垣間見えてしまってキャラクターの軸がブレ過ぎていると厳しく指摘された。
フィードバックの内容はもちろん理解しているし、改善しなければいけない事だという事もわかっている。けれど、いざ何をどうすれば良いかっていうのは分からない…ミーティングが終わり、帰宅しても良いのだけれど、事務所のフリースペースでなんとなく天井を眺めていると
「悩める〜ゆーにゃちゃん発見〜」
私が座っている1人掛けのラウンジチェアにエリリンさんが無理やり体をねじ込んできた。
「は、は〜ん、なるほどね〜キャラの事言われたんでしょ〜? 顔に書いてある〜」
「あ、はい。キャラブレしてるって言われてしまいました」
「わかるよ〜戸惑うよね〜。でもね〜キャラでいる事の方が今後は悩まなくて済む瞬間いっぱい来るから〜今、頑張って〜」
前にコミドリさんもキャラでいる方が良いって…そんな事を言っていた気がする。
「キャラの方が良い〜って言われても分からないよね〜でもね〜きっと直ぐにわかるよ? 悩む時間があったらお勉強もしよ〜ね〜リョウちゃんと約束してるんでしょ〜?」
エリリンさんはニヤリと少し意地悪な口元で言った。
「それは…はい…頑張ります。親にも成績不振になったら活動休止と言われているので…はぁ…勉強ってなんでシンドいんだろ」
「リョウちゃんや社長みたいに難関大学じゃないけど、一応〜そこそこの大学卒業してる私からのアドバイスとしては〜進学の有無に関わらず勉強はしといて〜損はないよ〜? クイズ番組とかで〜キャラじゃなくてリアルなバカを晒すの嫌でしょ〜?」
「それは…確かに嫌ですね…」
「知識がないとさ〜丁度良い感じの間違いとかも出来ないのね〜これ、超重要だからね〜」
それからしばらくエリリンさんに相談にのって貰った。
(やっぱり頼もしいな…先輩がいるって)
エリリンさんをリョウさんが呼びに来た「最近はすっかりゆーにゃちゃんにベッタリだな」なんて言いながら移動まであと10分だとエリリンさんに支度を促した。
「もっと〜お喋りしたいのにな〜またね!」
エリリンさんが立ち上がると窮屈だったラウンジチェアに本来の快適性が戻った。
「あ! そうだ! 見て見て〜、ゆーにゃちゃんがこの前撮影の時にメイク直しで使ってたパウダーと口紅お揃いで買っちゃった〜」
「それ、良いですよね〜パッケージも可愛いですし」
「口紅のキャップにちっちゃい鏡付いてるのさりげなくありがたい〜こっそり口元見たい時って無いわけじゃ無いからいつでも見れる安心感? お守り的な感じ〜」
エントランスの方からリョウさんがエリリンさんを呼ぶ声がして、エリリンさんは撮影へ出掛けて行った。
***
部屋の片付けは割と得意な方だが、ここ最近は何だかごちゃっとした状態が続いていて、整頓されていない部屋に入る度に少しイラっとしていたけれど、今日、見事に片付けた。
ごちゃっとしていた最大の理由は動画撮影ゾーンを自分の部屋の中に作った事による他エリアへの物の侵食だったけれど、事務所で撮影する様になった今、撮影エリアを部屋に作っておく必要はない。
元のスッキリとした部屋が戻ってきて気分が良い。
それと、元の部屋に戻った事で部屋の中でゆーにゃを意識しなくて済む様になった。
ストレスのケアにはまず環境を整える的な事が何かに書いてあった様ななかった様な気がするけれど、結構大切な事だと実感した。
部屋にスペースがなくなって、重い思いをしてリビングに一旦置いていた独特な形状の椅子を部屋に戻した。
我が家は両親共にほとんど家にいないにも関わらずインテリアに拘りがある方で、中でもデザイナーズチェアと呼ばれる類が両親の大好物だ。
「一生もの! アートを買うより安い!」と言いながら我が家の椅子は全てデザイン史的に有名な代物らしい。
けれど、私にとって私の部屋の椅子はただの座り心地の良い椅子でしか無い。
整頓された部屋を座りながら見渡すと、考えなくて済むと思っていたゆーにゃの事が頭を過った。
(来週のミーティングも怒られるのかな…)
スリッパを脱いで座面に体育座りをするとすっぽりと体が収まる。
殻に守られている様な気持ちになれるこの椅子はやっぱり良い。
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