第9話 手鏡
撮影の直前まで、前髪の確認を怠らない。
ゆーにゃと言うキャラクターにとって前髪はとても重要で、少しでも崩れると印象がだいぶ変わってしまうので、かなり神経を使っている。
指示された位置に立つとリョウさんからスタートの合図を送られた。
「「せ〜の! エリリン先輩に教えてもらお〜企画ぅ〜」」
「みんな〜もぉ〜知ってくれてると思うんだけどね〜ゆーにゃちゃんが〜事務所の〜後輩になりました〜拍手〜パチパチ〜」
エリリンチャンネルの新企画の撮影が始まった。
今日撮影している動画の企画は、ズバリ、企画系配信者のエリリンさんに新人配信者ゆーにゃが弟子入りして色々チャレンジするというものだ。
第一回目の今回はメンヘラなゆーにゃが街頭インタビューでコミュ障を発動するのをエリリンさんがフォローしたり背中押したりと言った内容だ。
ライブ感を大切にしている方は本当に町で突然声をかけてその場で出演交渉をして動画を作って行くらしいのだけれど、今回は安全と多忙なエリリンさんのスケジュールに合わせて予定通りに撮影が完了出来るように、予め出演者と細かな指示の入った台本が用意されている。
台本は3日前に送られてきていて、現場でも1グループの撮影毎に台本の内容を確認して撮っていく。
「それじゃぁ〜、ゆーにゃちゃん! 早速あの苺飴持ってるぴえんなお洋服が可愛い女の子達にインタビューしてみよ〜!」
「えっエリリンさん、まだ心の準備が…いきなりとか無理…ホント…私には無理…」
少しオーバーに抵抗してみせる。
「だ〜め! ゆーにゃちゃん! 心の準備なんて1日がかりでも終わらないでしょ〜? さ! 早く! 頑張って〜」
カメラにしっかりぴえん顔を撮ってもらってから渋々と言う言葉を全身で表現しながら女の子達に近づいていく。
女の子達は私に話かけられるなり、ゆーにゃを認知していてテンションが上がる事になっている。
更に、エリリンさんに気付いて大絶叫するして興奮状態でインタビューを始める…という台本だ。
「あ、あの…動画で、い、インタビュー…」
「えー!! 可愛い子こっち来たって思ったらゆーにゃだぁ!」
「ゆーにゃ、加工じゃなくてマジで本物も可愛い! 超可愛い! 顔ちっさ!」
台本通りにリアクションしてくれている私と同世代の女の子2人組は特にタレントやインフルエンサーという事もなく、ごくごく普通の高校生の女の子2人だ。
私が台本通り力一杯「インタビューさせてもらえませんか?」と聞いたタイミングでエリリンさんが私の後ろから顔を出した。
「「ヤバ! 可愛いーー!!」」
2人は声を揃えてエリリンさんの登場に振り切ったテンションで応えた。
「こんにちは〜、これね〜エリリンチャンネルの動画なんだけど〜、後輩のゆーにゃちゃん、可愛くてすぐバズっちゃったから〜下積みゼロ〜なのね、それじゃぁ〜本人が今後配信者として困っちゃうと思うから〜先輩としてロケを教えてあげるって企画なんだ〜色々質問してもい〜い?」
「「えー超面白い! 何でも聞いて!」」
「本当に〜? 良かったね〜ゆーにゃちゃん」
ここでリョウさんから質問を始めるようサインが出た。
「え、えっと…それじゃぁ早速…えーっと」
「「ゆーにゃちゃんマジなコミュ障でウケる!」」
「ゆーにゃちゃんのことイジメちゃだ〜め〜。コミュ障じゃなくて〜人見知りさんなだけなんだよ〜」
質問になかなか入れずに困っていると、そのまま困っててOKとリョウさんから指示が出た。
とりあえず流れに任せると心に決めると、エリリンさんがその場を回してくれて、私はいくつか用意してあった質問をした。
女の子達は台本通りのハイテンションで終始インタビューに応えてくれた。
リョウさんから撮れ高OKのサインが出た。
「それじゃ〜ぁ〜、2人とも〜ありがと〜」
「あ、ありがとうございました」
「「また見かけたら声かけてー、バイバーイ!」」
カメラが止まって、リョウさんが頭の上で大きなマルを腕で作った。
「はい、出演してくれた2人、エリリンとゆーにゃ、お疲れ様! インタビュー答えてもらった2人には謝礼渡すから受領書にサインしてもらっても良いかな? エリリンとゆーにゃは車に戻って一旦休憩してて」
出演してくれた2人にお礼を伝えてエリリンさんとワンボックスに乗り込んだ。
「ゆーにゃちゃん、初街頭インタビューはど〜だった〜? は〜い、お茶あげる〜ストローも〜」
慣れた様に車内に置かれたクーラーボックスからお茶を取り出し私に渡しながら、靴を脱いでエリリンさんはメイク直しの体勢に入った。
「ありがとうございます。緊張しましたが、エリリンさんのフォローと出演者の2人のおかげで何とかなりました! それにしても、あの2人凄いですよね! 私よりずっと撮影慣れしていてびっくりしちゃいました」
(ペットボトルのお茶にストローをさして飲むなんて、何だか女優やモデルにでもなった気分だ)
「あ〜、あの2人〜…あの2人〜実は女優さんなんだよ〜、と言っても有名じゃないし、脇役? エキストラ? そんな感じらしいけどね〜」
「え??」
「現役JK〜なんて言ってたけど〜2人ともとっくに20代だし〜今日はマスクしてたから更に顔なんて目元しか分からないから本当に実年齢なんて分からないよね〜」
撮影慣れし過ぎている同世代女子と思っていた2人の正体に驚きを隠せない。
「気付いた〜? 学校で今何流行ってる? とか、そ〜ゆ〜質問なかったでしょ〜? 2人とも高校生じゃなくて答えられないからそ〜ゆ〜質問は無かったんだよ〜」
そう言いながらエリリンさんはケラケラと笑いながらメイクを直している。
言われてみれば、確かに高校生でないと答えられない様な学校生活に関する様な質問は1つも無かった。
「ウチの事務所の動画編集スタッフの人に〜配信専用の映像作品のAD出身の人がいてね〜その頃の繋がりで〜仕事なくて困ってる女優さんとかに出演依頼したりする事あるみたい〜」
エリリンさんの話に夢中になり過ぎて鏡を見ていない事に気づいた。
ライト付きの大きめな手鏡でメイクを確認する。
テカリを軽く抑えてハイライトを鼻先と唇の上に軽く滑らせて、リップを直してメイク用のポーチと鏡をしまうと「い〜な〜10代〜、メイク直しが秒で終わる〜」とエリリンさんがうらめしい声を出して、まだ念入りにメイク直しをしている。
(さっきからエリリンさんのメイク、何がどう変わっているのかさっぱり分からないな…)
コンコンとリョウさんが車の窓をノックしたので窓を少し開けた。
「休憩できたかな? 次の撮影始めるからスタンバイして」
「「はーい」」
車を降りて自然光の下でもう一度、今度はゆーにゃの好きなキャラクターの形をした手鏡を見て、ゆーにゃの命ともいえる前髪を整えた。
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