第8話 ソールの赤い靴
鰻登りだった登録者数と再生回数の勢いが止まった。
エリリンさん、コミドリさんとの3人のコラボ動画は前編をエリリンさんのチャンネル、後編をコミドリさんのチャンネルで公開し、私のチャンネルでは今回のトークテーマから脱線した部分を繋ぎ合わせた動画を公開した。
当初、私のチャンネルでは今回撮影した動画は一切公開しない予定だったのだけれど、リョウさんが「短いけど面白いから!」と編集動画を提供してくれ、3つの動画は同日同時刻に一斉公開された。
この動画の公開に合わせてエリリンさんが『私の可愛い〜妹分のゆーにゃちゃんを〜み〜んなでフォローして見守ってあげよ〜』と私のチャンネルをPRしてくれた事もあって初日は確認するのが追いつかないくらいの速度で再生回数が増えていった。
「祐奈、支度は出来てる? そろそろ出発しないと約束の時間に遅れるわよ」
「はーい、今行く!」
リョウさんにスカウトされた日、ママに電話で事務所所属の件を相談した。
ママへの相談後、その日のうちにモニター越しではあったけれど、家族会議が開かれた。
私がゆーにゃとして今までに配信した動画を全て観た両親に、当たり前だけれどODの動画について人生で一番と言っても過言では無いほどとても怒られた。
あの動画が両親にとって余程衝撃的だったのか、今後危険な動画を配信しない為にも事務所に入って管理してもらった方が良いだろうという話でまとまった。
そして、今日はママと一緒にスカウトされた芸能事務所の社長さんとリョウさん、そしてエリリンさんも交えて5人で面談をする約束の日だ。
玄関には私の靴の隣に気合いの入った高いヒールのパンプスが並んでいる。
***
「初めまして、テルプロダクションの
社長から視線を送られたリョウさんは姿勢を整えた
「
リョウさんは時折私にも視線を送ってくれるが、主にママへ向けて話ている。
「今後の祐奈さんですが、既にご本人が運営されている“ゆーにゃちゃんねる”の配信動画の内容は1本1本私が率いる専門チームが企画の段階から作っていきます。現在30万人弱の登録者数ですが、半年で100万人迄押し上げるべく、多方面のメディアへの出演も予定しています。例えば既に内々定している案件で言いますとティーン向けのファッションブランドでのモデルや、ファッションイベントでのランウェイ、ネットTVのコメンテーターなどです」
想像以上の自分の近い未来の話に胸が高鳴った。
しかし、隣で話を聞くママの表情は苦々しい。
「娘の活躍をイメージさせて頂きありがたいのですが、まだ高校生の娘がその様な活躍をする可能性に、応援したい気持ち以上に不安な気持ちでいるのが本音です」
(あぁ、やっぱりね。あの顔したら反対意見なんだよね、いつだって)
話の結末が見えた気がした私の足元は落ち着きをなくしていった。
一瞬だけバズった素人配信者としてこれからも地道に活動していこうと考え始め、会話が上の空になり始めた時。
「お母様の不安なお気持ちは十分に想像できます。しかし、現在の祐奈さんの状況を考えると個人で配信を続けるのはとてもリスクが高いと、多くの配信者を見てきた私は思います。なぜなら、彼女は既に人気配信者になり始めています。現状は好意的で応援しているという内容のメッセージを送る人がほとんどですが、そろそろアンチと呼ばれる言葉の暴力を振るう人間が祐奈さんに悪意あるメッセージを送ってくる事は目に見えてます」
リョウさんの言っている事は多分もうすぐ現実になる。今までも嫌だと思うコメントやメッセージが届く事はあったが、圧倒的に数が少なくて「キモい」と一言画面に吐き捨てれば気持ちを切り替えられるレベルのものだった。
けれど、最近明らかに嫌がらせのアンチコメントが目立つ様になってきた。
「そういった悪意に祐奈さんは直面した時、多くの応援してくれているファンに別れを告げて配信を止めるか、悪意に対抗しながら配信を続けるか…どちらの選択も今の祐奈さんには辛いものになると思います。彼女のタレント性だけで私はスカウトしたのではなく、今後が心配で見守りたい気持ちから事務所への所属を提案した部分もあります。所属タレントの配信チャンネルは専門のチームが管理します。彼女の心の負担が最小限になるよう全力で守ります」
リョウさんの言葉にママは完全にフリーズしている。
まさか自分の娘が明日にでもネットの誹謗中傷に晒される可能性があるなんて想像した事もなかっただろうから…
それからママの抱える不安を1つずつ解消する様に面談が続いた。
私の事を話ているのに、不思議なほど他人事でいる私とは対照的に熱心に質問を繰り返すママとそれに全力で答えてくれるリョウさん…
ママの表情が明るくなる頃には契約内容に踏み込んだ話になっていた。
両親が事前に話し合っていたと思われる働時間やプライバシーへの配慮、NGな仕事などを確認した上で、リョウさんから学業に関する提案があった。
それは高校を留年せずに卒業出来るというレベルの話ではなく、進学も検討出来る水準で学業とタレント業を両立するものだった。
他人事で聞いていた話が急に自分事になる。
「あの、すみません、進学も検討出来る水準ってどれくらい勉強すれば良いんですか?」
思わず立ち上がる勢いで前のめりになった。
(ここで高い成績目標を設定されては困る、正直勉強は好きでないし通信制で成績を友達と見せ合う必要がない今、卒業出来る程度で済ませたいのが本音だ)
リョウさんの次の言葉に全意識を集中させる。
「具体的にこれくらいと示すのは難しいのだけれど、祐奈さんがこの先進学して学びたい事が出来た時に、最低限の基礎力はつけておいた方が楽なのではないかなと人生の先輩として思っているんだよね」
リョウさんが優しく言った。大人は決まってまだ存在しない何かに備えて勉強しろと言ってくる。
「親としても、事務所で学業面も管理していただけるのは大変ありがたいです。この子、放っておいたら好きな事しかしないので…」
ママはすっかり坂乃宮さんとリョウさんと意気投合し、面談序盤の不穏な空気が嘘の様に私のタレント業に前向きになっている。
「祐奈さん、改めて、今後について質問はありますか? まぁ、今宮がマネージャーもするから何かあれば都度聞いてもらえれば良いけれど、契約書にサインをするという事の意味を意識して欲しいからクドイと思われても、不安や疑問のあるままサインをするというのは避けてもらいたくてね」
私は不安も疑問もない事を伝えて契約書の署名欄にサインをした。
はれてテルプロダクション所属のタレントになった。
今日から1週間、全SNSの更新が禁止され、ゆーにゃ名義のアカウントの運営は事務所になりアカウントのパスワードもその場でリョウさんが設定し直したので、私はもうゆーにゃとしての投稿を1人では出来なくなった。
事務所を出て家に向かう道の途中、移動中は大抵喋り続けているママが黙って私の隣を歩いている。
(珍しく母親らしく過ごした事に疲れたのか)
特に何を話すでもなく家まであと3分の距離になった時突然足を止めたママは、何かを言い出すかと思いきや何も言わずにまた歩き始めた。
私の先を歩くママのパンプスのソールが赤い。
いつだったか「勇気が必要な場所に行く時と自信が欲しい時はソールの赤い靴!」とママが言っていたのを思い出した。
今日のママは娘を芸能プロダクションに預ける勇気と母親としての自信、どちらが欲しかったんだろう。
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