第7話 ジャスミン

 リョウさんの「OK! お疲れ様です!」という言葉を合図にコラボ動画の撮影は終わった。

 途中2回の休憩を挟んで、撮影が終わった頃にはすっかり窓の外は暗くなっていた。

「ゆーにゃちゃ〜ん、今日はありがとね〜」

 エリリンさんが私の手を両手で包んだかと思ったら、唐突にハグをしてきた。

「エリリン、そのハグ癖、この前も注意したと思うけど…忘れたの?」

リョウさんの鋭い言葉にあわてて私から離れて一歩分距離をとり

「ごめんね〜嬉しいとつい…リョウちゃんに言われた事、忘れてないよ〜セクハラやパワハラになっちゃうからダメなんでしょ〜?」

「そう! 自分の今の影響力を考えて貰わないと!」

 しゅんっと俯いてから、今までの口調からは想像出来ないしっかりとした「ごめんなさい」がエリリンさんの口から出た。

 あまりの別人口調に、反応出来ずにいると

「エリリンって元は今のキャラとは全然違うからね。サバサバ系と言うか、しっかり者って言うか…そもそも高圧的な毒舌だったり、おっとり優しい可愛い系とは真逆だからね」

 コミドリさんが私にニヤニヤしながら続ける

「だから、ゆーにゃちゃんがメンヘラを盛ってるくらいじゃ驚かないよ!」

 エリリンさんがコミドリさんに「それ以上言わないで」と言いた気な顔で手を大きく振って会話を無理矢理終わらせた。

 帰り支度をしながら話ているとリョウさんと結構家が近い事が分かった。


 エリリンさんのマンションを出るとエントランスのすぐ近くにタクシーが止まっていて、慣れた様子でリョウさんが乗り込みながら同乗する様に私にサインを送った。

 タクシードライバーの男性はよくこのマンションの前でリョウさんを乗せるらしく「いつもの渋谷駅の方でよろしいですか?」とバックミラー越しに尋ねると「お願いします」とリョウさんが言うタイミングとピッタリのタイミングでドアが閉まった。

 

 車中、何を話せば良いのか分からないけれど、沈黙も辛い…けれど気の利いた話題も見当たらない。

 頭の中がぐるぐるとフル回転しているのは分かったが回転の割に何も出てこない。

 考える事を諦めようとした時、共通の話題というよりも、確認しておかなくてはいけない事を思い出した。

 話しかけても良さそうかリョウさんの顔を横目で見てから

「あの、さっきの動画制作の外注の話でお伺いしたいんですが…今回の動画の製作依頼費用の大体3倍くらいで、私でもリョウさんに動画の製作をお願いできるのでしょうか?」

 私の質問に顎に手を当ててリョウさんが少し考えた後に

「今回の動画の依頼費って何かな? 今回はゆーにゃちゃんのチャンネルで公開する動画がないから費用はいらないよ…費用がかかるってコミドリに言われたの?」

「今回の分はまだなんですが、前回コミドリさんの動画に出演させて頂いた時に費用の話があったので、配信者の方の中で出演者全員で費用を負担するのが一般的なのかと…」

 リョウさんは今日一番の難しい顔をした。

「製作費の形態は様々だから一概には言えないけれど…少なくとも、今回ゆーにゃちゃんに負担してもらう費用は何もないからね」

 ケースバイケースである事を理解した私の顔を確認した上でリョウさんは顔を曇らせたかと思ったら私の目をしっかりと見て

「コミドリには良くない噂があるから、今回のコラボを最後にして距離を取った方が良いよ」

 そう衝撃的な忠告をされた。

 コミドリさんのおかげで配信者として認知されただけでなく、エリリンさんという憧れの人気配信者の動画にも出演させてもらえた。

 そのコミドリさんと距離を取るというのはすんなりと受け入れられる提案ではなかったが、数時間前に出会ったばかりとはいえ、リョウさんの話を疑う事の方が間違っている様な気がした。

「噂ではなく事実としてコミドリはあちこちで金銭トラブルやコンプライアンス違反がある。動画スタッフへの製作費の未払いや、企業案件で先行して入手した限定商品の転売疑惑とか…数え出したらキリが無い程トラブルがある」

 そして、リョウさんは追い討ちをかける様に

「どうしてコミドリが無名のゆーにゃちゃんを自分の動画に出演させたと思う?」

(それは…これから人気が出そうな子を…って…)

「その表情だと、最もらしい理由を言われたとは思うけど、要は同格以上の配信者は彼女と動画を撮りたがらないからだよ!」

 話を聞きながら薄々気がついていたけれど、こうもハッキリと言われてしまうと辛いものがある。

 撮影の高揚感から急降下する気持ちのやり場に困って、何の興味も無い窓の外を見る事しか出来ない。

 

 明らかに重苦しくなった空気を変えてくれたのはやはりリョウさんだった。

「実はね、エリリンと相談済で今度改めて話をさせてもらう場を設けたいと思っていたんだけど…うちの事務所に所属して配信者をするつもりはない?」

 空気が変わったという以上にとても混乱している。

「事務所に所属…ですか…」

「唐突にごめんね。ゆーにゃちゃんのチャンネルはもうそろそろ1人で運営するのは難しくなると思う。おまけに、脅かす様で申し訳ないけれど、登録者や他の配信者と小さなトラブルが起きたりした場合…そんな時、個人の場合は全て自分で対処しないといけなくなる。まだ高校生になったばかりのゆーにゃちゃんには正直荷が重すぎるんじゃないかと心配なのと、単純にタレント性があるから他に取られる前にうちに…っていうのが本音」

 早口にリョウさんからされた事務所所属の話に上手くリアクション出来ずにいる間に渋谷駅が見えてきた。

 何も答えないわけにはいかず「親に相談しても良いですか?」と最も未成年らしい理由を言って、家から一番近いコンビニの前でタクシーを降りた。


 髪が風に流されて、私のでは無いスッキリとしたジャスミンの様な香りが髪に残っているのを感じた。

(撮影の時にエリリンさんが「リラックス〜」と言いながら撒き散らしていたアロマスプレーかな)

 タクシーの中で息するのを忘れていたのかと思う程、外に出た瞬間に勢い良く体にジャスミンと酸素が行き渡って固っていた背筋も視界も広くなった気がする。


 けれど、2つの問題が目の前にある…コミドリさんの件は「学校の課題」などと言えば何となく距離を保てるから良いとして、リョウさんからのスカウトについては親に相談しない訳にはいかない。


(適当な時間にまずはママに電話相談かな…)


 マンションのエレベーターの中で忘れないうちにママにメッセージを送った。

『相談があるから電話して良い?』

 明日になる頃にしか返信が来ないだろうと思った時

『仕事終わったら電話する』

 珍しく直ぐに返信が来た。

 その返信が妙に嬉しいけれど、久しぶり過ぎる親子の会話に気恥ずかしさからか、無意識に毛先を指に絡めていた。

 絡めた毛先を解くとやっぱりジャスミンの様な香りがした。

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