第5話


きいなは控室に戻ると、急いで私服に着替え挨拶もそこそこにライブハウスから飛び出した。


メンバーはさすがに呆気にとられていたが、いまはそんなことに構っていられない。


下ろした髪と、派手な柄のタンクトップに袖を落とした革ジャケット。デニム地のショートパンツと厚底スニーカーというラフな服装だ。


メイクを落とす時間が無かったので、サングラスをかけている。


使いこんだショルダーバッグを抱えるようにして、すっかり陽が落ちた街を駆けた。


しばらく走ると、ゆるやかな坂の上に高架が見えてきた。


志田急線の駅だ。


そのまま、五浦市方面に向かう電車のホームに駆け込む。


倉科は今日、非番だったので自宅にいたらしい。


簡単に経緯を説明すると、驚いてはいたがすぐ動いてくれた。


まだ五浦中央警察署で勤務中の阪崎に連絡して、不動産屋に話を聞いてもらっている。


駅のホームで次の電車をじりじりしながら待っていると、スマホが鳴った。


メッセージアプリに、通知がある。


倉科からだ。



―五浦の駅まで、車で迎えに行く。



きいなはネイルをしたままの指先で、器用に返事を打った。



―不動産屋は?


―阪崎が拾って来てくれる。現地で落ち合う。


―あの配信者に連絡は?


―たぶん携帯を切っている。出ない。



舌打ちすると、きいなはスマホから動画サイトを見た。


デデンという配信者は、相変わらずあの部屋から生配信をしている。


配信中に雑音が入らないように、スマホの電源を切っているのだろう。


リビングの中央に座り込んで、四方を見渡しながら喋っていた。



「…日が暮れてきました。いまのところ、部屋には変わった様子はありません」



神妙な顔つきのまま、デデンは手持ちのカメラを動かして部屋のあちこちを自分越しに映す。


食器棚に、キッチン。廊下からリビングを隔てる扉。

間違いない、あのマンションの302号室だ。


きいなが持つ力は決して万能では無い。


画面を見てその先にあるものをどうこうすることなど、不可能だ。


穢も瘴も、いまは感じられない。


配信のコメント欄を見つけたきいなは、急いでテキストを入力した。



―逃げろ。いますぐその部屋から出ろ。



しかし、きいなのコメントはすぐに次のコメントに流されていく。



―誰だよ?空気読めねぇな。


―なんなん?


―これから面白いんだろ。


―デデン、死なないで〜www


―どうせヤラセっしょ?



無責任な匿名のコメントが、どっと溢れかえる。


コメント欄を見たデデンが、芝居じみた口調で言った。



「皆さん落ち着いてください。わたくしデデン、使命感をもってオカルト探求をしております。逃げません!」


「この、バカ!」



スマホの画面に向かって、きいなが思わず悪態をついた。


ホームに、五浦方面行きの電車が入ってきた。


きいなはバッグからイヤホンを取り出すと、スマホに繋いだ。


配信画面をそのままにして、電車に乗る。


倉科が迎えに来ている、五浦パークタウン駅までは1時間弱ほどの時間がかかるはずだ。


空いていた隅の座席に座ると、きいなは配信画面に目を戻した。



「…あえて、照明は最小限にします。多少は見づらいかも知れませんが、ご了承ください」



デデンは立ち上がると、部屋の四方を画面に映した。



「相変わらず、臭いはひどいです。ソファの染みは初日にお見せしましたが、やはりあそこがこの臭いの発生源ですかね」



画面に、キッチンが映し出された。


テーブルの上を見て、きいなの顔が強張る。


小さな皿が4枚、並んでいた。


きいなが置いた盛り塩だ。



「今朝の配信で気づいたんですが、この部屋には盛り塩がされてました。わたくし、思案の末にそれはどけてあります。決死の覚悟で、この一命を賭してもなんらかの現象を皆様にお見せしたい一心です」


―惚れるwwww


―期待してます。


―お憑かれさまですww


―体はってる。


―すごいの見せて。



軽薄なコメントが、一気に溢れた。


結界が破られている。


あの部屋には、いま圧せられていた濃い瘴が充満しているはずだ。


障らぬわけがない。



 最悪だ…!



きいなはイライラしながら電車の案内表示を見上げた。


五浦の駅までは、まだ30分はゆうにかかるだろう。


しかし、今から自分たちがあの部屋に向かったところでどうなるというのか?


儀式に必要な祭壇の祀りはもとより、きいな自身の準備もまだ充分とは言えないかも知れない。


かなり中途半端なまま、あの強い穢を祓わなければならないことになる。



 最初に舐めてた、ツケか。



きいなは唇を噛んだ。


命がけ…に、なるかも知れない。



 もっと普通のバイトにしときゃよかった…か。





停車した小型警ら車の後部座席に、肘井が乗り込んできた。


運転席の阪崎が、半身を後ろに乗り出す。



「部屋の鍵は?」


「は、はい。言われた通りに持ってきました」



ドアが閉まり、肘井がシートベルトを着用したのを確認すると、阪崎は小型警ら車を発進させた。


赤色灯までは点灯させていないものの、法定速度ぎりぎりのスピードだ。


後部座席で小さくなっている肘井をバックミラーで見ながら、阪崎が言った。



「なぜ、彼女の警告を無視してあの部屋に人を入れたんですか!」


「あ、あの配信者さんが、3ヶ月分の家賃を出すからと強引に…いや、わ、私は社長にちゃんと伝えたんですよ!で、でも社長が…霊媒師の言う事なんか信用できないと…」


「まったく…!」



阪崎が、ハンドルを叩く。



「自分も、まだ完全に彼女のことを信じれているわけじゃ無いかも知れません」



わずかに怒りを含んだ表情で、阪崎が言った。



「ただ、あの時の彼女は真剣だった。そこに嘘は無いと思いました。だから、信じようと決めたんです」


「…す、すみません」


「自分じゃなくて、彼女に謝ってください」



その時、阪崎のスマホから呼び出し音が鳴った。



「こんな時に…!」



阪崎は小型警ら車を路肩に停車させると、スマホを取り出した。



「倉科さん…!」



着信者の名前を見て、阪崎は慌てて画面をタップする。



「もしもし!」


「阪崎、そちらはどうだ?」


「肘井さんは拾いました。いま現場に向かってます」


「わかった、こっちはもう少しかかる。きいなと俺が行くまでは待つんだ。何があるかわからん」



阪崎の顔が険しくなる。



「部屋の鍵はあります。先に、あの配信者を連れ出すのは…」


「ミイラ取りが、ミイラになる可能性がある。残念ながら、俺たちの力が通用する相手じゃない。気持ちはわかるが、待て」


「…わかりました」



暗い表情のまま、阪崎が通話を切る。


ふたたびハンドルを握ると、アクセルペダルを踏みこんだ。





志田急線の五浦パークタウン駅前は、仕事が終わり家路につく人々が次第に目立ち始めていた。


もうしばらくすれば、夕方の通勤混雑が始まるだろう。


駅前のロータリーの隅に、ミニバン型の白い乗用車が停車している。


運転席には、倉科の姿があった。


非番だったためか、服装はポロシャツにチノパンというありふれたものだ。


腕時計と駅の改札口を交互に見ながら、顔をしかめている。



 まだか…?



改札を通る人の群れに目を凝らす。


数分後、見なれたピンク色の髪を翻した若い女性が、改札から駆け出してきた。



 プァァァン!プァァァン!



倉科が2度クラクションを鳴らすと、きいながこちらに気がついた。


行き交う人の間をぬい、走り寄ってくる。


倉科が助手席のロックを解除した。


ドアが乱暴に開き、きいなが助手席に飛び乗った。


片手には、スマホを握ったままだ。


シートベルトを締めながら、きいなが言った。



「出して。急いで」


「わかった」



エンジンは、ずっとアイドリングのままだった。


倉科がアクセルを踏むと、客待ちのタクシーをすり抜けながらミニバンはゆるゆるとロータリーを回り始めた。



「様子はどうだ?」


「まだ生配信はしてる…けど、かなりヤバい」


「わかるのか?」


「画面越しじゃ無理。けど、こいつの相が歪んできてるのはわかる」


「相?」



倉科が、聞き慣れない言葉に戸惑う。


スマホの画面を見ながら、きいなが言葉を継いだ。



「顔相。占いはできないけど、穢に触れた人間の相がどうなるかは知ってる」


「どうなるんだ?」


「歪んで、崩れていく」



きいなは、そう言ってスマホに繋いでいたイヤホンを抜いた。


生配信の音声が、運転席の倉科にも聞こえてくる。


そのまま、きいなはスマホの画面を倉科に突きつけた。


倉科が、横目でちらりとそれを見た。


薄暗い部屋の真ん中に座ったデデンが、こちらに向かって何かを喋っていた。


しかし、折に触れて音声が不自然に途切れる。


それよりも、その顔だ。


右目が異常に膨れ上がり、それに反して左目が完全に潰れてしまっている。


輪郭はギザギザに崩れて、画面の下にむかって垂れ下がっていた。


小さな丸い穴のようになった口が、デデンが何かを喋る度にぱくぱくと動く。



「ちょっと…ゲホッ!な、なんか寒けと言うか…気配がゲハッ!ゲホッ!…すいません、なんか喉がガラガラして…ゲホッ!風邪ひいたかな、やっぱり…ゲハッ!げっ!ゲホッ!」



デデンの声が、やたらざらついて不快に響く。



「これって…電波とかで…画面が崩れてるんじゃ」


「まぁ、アタシも機械は詳しく無いから、そういうこともあるかも」



確かに、画面が薄暗く照明が下から当たっているせいで、顔に不自然な陰ができて不気味にみえることはあるだろう。


よく、懐中電灯で顔を下から照らしてやるイタズラなどが、そうだ。


または、単なる電波状況や機材の不調で、たまたまこのように見えているだけかも知れない。


しかし、倉科もそれが違うと言うことは心の中ではわかっていた。



「でもこれは、穢のせいだよ」



きいながそれを察したように、ずばりと言い放った。



「このままだと、どうなる」


「わからない」



きいなは、スマホを手元に戻して画面を見た。


ここになって俄かに、コメント欄がざわつき始める。



―顔、変じゃね?


―CG乙。


―風邪ひいた?


―デデン、なんか様子がおかしくないか?


―マズいマズいマズい。


―え、何なんこれ?


―ドッキリだろ。




「ただ、ヤバいことにはなるかもね」



…つづく。



※ この小説は筆者の創作であり、特定の団体、事件、個人とは一切関係ありません ※


※ 本作品の無断転載は、かたくお断りいたします ※

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る