第4話


テーブルの上には、食べかけのお菓子やバッグ、メイク道具など雑多なものが散らかっていた。


そこに置かれていたペットボトルを手にとると、きいなは半分ほど残った透明な液体を一気に飲み干す。


かすかに、塩の味が舌に残った。


浄めた塩をほんの少しだけ混ぜた、ミネラルウォーターだ。


黒い壁に囲まれたその狭い部屋には、きいなを含めて4人の女性がテーブルを囲んでいた。


4人とも、揃いの派手な衣装を身に着けている。エプロンドレスを基にしたと思われる、極端に丈の短いスカートに、ニーハイソックス。


髪飾りから原色のブーツまで、ちょっと普段着にするには勇気のいるデザインだ。


チラシやステッカーがベタベタと隙間なく貼られた壁の向こう側からは、大勢の人間のざわめきやリズミカルな音楽が漏れ聞こえてきた。


ここは、都内にある小さなライブハウス。


きいなの所属するアイドルグループ「LOLLIPOP SEESAW」が、活動拠点にしている場所だ。


ライブハウスの名は『シェルター』という。


地下階にあるから、らしい。



「きいなちゃん、お菓子食べへんの?これ好きやったやん」



明るい茶髪をポニーテールにした、目の大きな女性がスナック菓子の袋を差し出しながら、きいなに言った。


少し舌っ足らずな大阪弁だ。


テーブルを挟んで、きいなとは向かいのパイプ椅子に座っている。



「ん、いまちょっと…ダイエットしてっから」



きいなが、やんわりとそれを断った。



「ダイエットて、そんな太てるようには見えへんけどなぁ」



ポニーテールの女性…いずみこと、松田泉水はそう言って差し出した手をひっこめた。


ガサガサと袋を鳴らすと、スナック菓子を自分の口に運ぶ。



「いずみは食べ過ぎ。衣装のウエストがヤバくない?」


「そ、そんなことあらへんよぉ」



長い金色の髪にヘアドライヤーをあてながら、いずみの隣にいた女性が茶々をいれる。


少し大人びた雰囲気の、どちらかと言えば日本的な顔立ちの女性だ。


彼女の名はまりあこと、碓氷真理亜。きいなの所属するアイドルグループ『LOLLIPOP SEESAW』の最年長で、リーダーである。


きいなの隣に座っていた、黒髪でショートカットの女性が、読んでいたゴシップ週刊誌から顔を上げた。


長身で、どことなくボーイッシュな印象を与える。



「こいつ、また撮られてるよ。こりないね」


「え〜。るなちゃん、誰のこと?」



るなと呼ばれた女性…櫻井瑠奈は、有名な男性アイドルの名前を言った。


度々、週刊誌やワイドショーを賑わす名前だ。



「アイツかぁ」



いずみが、納得したようにうなづく。



「会ったことも無いくせに」


「るなちゃんかて一緒やん」



地上波のテレビやメディアへの露出がほとんど無い4人からすれば、その男性アイドルはまさに雲の上の存在だ。


地下アイドル…ライブアイドルとも呼ばれる彼女たちは、文字通りこのようなライブハウスなどを中心に、個人またはグループで活動するアイドルだ。


メジャーなレコード会社からデビューしている者は少なく、殆どがインディーズ。


その収益は、ライブのチケットや物販と呼ばれる関連グッズ。また握手会、撮影会などの売上が主たるものだ。


テレビなどに出ている一般的なアイドルと比べれば知名度は無いが、その分ファンとの距離が近いため好んで地下アイドルを応援するマニアも一定数いる。


きいなたちLOLLIPOP SEESAWも、そんな地下アイドルの一組だった。


その時、控室の扉が外からノックされた。



「はぁい」



まりあが、返事をする。


扉が半分ほど開いて、若い男性スタッフが顔を見せた。


ライブハウスの名前が入ったTシャツを着て、首にクルーパスを下げている。



「失礼します。LOLLIPOP SEESAWさんあと10分です」


「あ、はい。いま行きます」


「お願いします」



まりあが、出ていくスタッフに愛想よく頭を下げる。


きいなたちは、最後にテーブルの上の鏡を見てメイクやヘアスタイルを直した。


もちろん、専属のメイクアップアーティストなどいない。


髪もメイクも、全て自分でやる。


きいなは髪をツインテールにし、目のまわりにはラメを入れていた。



「きいな、ダイエットも良いけどステージで倒れたらシャレなんないから」


「わかってんよ。大丈夫」



まりあからの言葉に、きいなは面倒くさそうに答える。



 こっちも、やりたくてやってんじゃないっての。


きいなが、内心でぼやく。


あのマンションに行ってから、そろそろ一週間が経とうとしている。


その間、きいなが口にしているのは白湯と希釈した塩水、1日1杯の粥だけだ。


これは、体から宿便などの不浄を落とすために他ならない。


あと続けているのは、1日2回の水垢離。


それもこれも、内と外から体を浄めて「祓いの儀式」を恙無く執り行うためだ。


ここまでの準備を伴う儀式を行うのは、きいなにとっても数年ぶりになる。


それだけ、あの部屋の穢が強く凝っているということだ。


念のため、同行する倉科、阪崎と肘井にも肉食を絶つように言ってある。


なるべく、外部からの穢を持ち込ませない為の用心だ。



 あ〜…唐揚げ食いてぇ。



ぼんやりとそんなことを考えながら、きいなはパイプ椅子から重い体を起こした。




今夜のライブは、何組かの地下アイドルが出演する合同イベントだ。


きいなたちのLOLLIPOP SEESAWに与えられた時間は、約30分。


オールスタンディングで、平日のわりに客が多い。


インディーズデビューはしているものの、まだ持ち歌の少ないきいなたちはカバー曲を織り交ぜてステージを終えた。


今夜は、そこそこ盛り上がっていたと思う。


途中にお喋りを交えていたとは言え、さすがにライブの後は汗だくだ。

このライブハウスは地下で、防音性はあるが空調が少し効きにくいこともある。


さして広くない場所に、これだけ人間が集まればただでさえ熱気がこもるだろう。


だが地下アイドルは、ここで終わりではない。


この後の物販が、大事な収入源だ。


歌って踊ってへとへとの体に鞭打って、準備に走る。


他の地下アイドルたちと並んで、物販列に並ぶファンたち一人一人に対応した。

特典付きグッズを買ったファンとツーショットでチェキ写真を撮ったり、常連のファンとは一言、二言だけ他愛ないお喋りをしたりと、精一杯の愛想を振りまく。


アイドルと聞けば華麗な世界を思い浮かべるかも知れないが、実態はかなりの肉体労働だった。





「ふぃ〜…終わった」



パイプ椅子にもたれたるなが、そう言いながら天井を仰いだ。


テーブルに顎をのせたいずみが、片手でスマホを器用に操作しながら同じく疲れた声を上げる。



「今夜はわりと多かったなぁ」


「ありがたいことよ」


「そうやなぁ。みんなお給料様や。確かにありがたいわ」



ブーツを脱いでふくらはぎを揉んでいるまりあの言葉に、いずみが相槌をうつ。


地下アイドルの給料は、歩合制の場合が多い。


グッズやチェキの売上、チケットの手売り、配信での有料チャットなどが、給料に直結している。


きいなたちも、基本給プラス歩合制だ。


いわゆる芸能活動の収入だけでは、生活が成り立たない場合もある。

アルバイトと掛け持ちしている地下アイドルも、珍しくない。


きいなの場合、それが「祓い屋」という少々変わったアルバイトではあるが。


空きっ腹の上の肉体労働で、さすがにきいなはへばっていた。


部屋の隅にある小さなソファに、ごろりと横になる。


くるくると回転している天井のシーリングファンを、ぼんやりと目で追う。



「マネの田所さん、今夜は見ないね」


「なんか別の娘たちが問題おこしたとかで、そっちのクレーム処理で来られないって」



るなの言葉に、まりあがため息交じりに答える。



「ウチみたいな小さな事務所じゃ、人手も限られてるしね」


「また機嫌が悪そう。いっつもイライラしてるから、前の彼氏にも逃げられたんだよ」


「それ言う?」



まりあとるなが、顔を見合わせて笑った。


ソファに寝転んでいるきいなのところに、いずみがやってきた。


持っていたスマホの画面を見せる。



「なに?」


「きいなちゃん、こういうん興味ある?ウチは好きなんよねぇ」



スマホには、動画配信サイトのサムネイル画面が映っていた。


「最恐事故物件に一週間住んでみる」という動画タイトルが、おどろおどろしい字体で書かれている。



「オカルト配信者のデデンさん。面白いんやで」


「あんま、興味ないかなぁ」


「今回は都内の事故物件に住んでみてるねん。実際に、何人も死んでる部屋らしいで」



いずみが画面をタップすると、動画が始まった。


どこかの部屋のリビングが映し出され、その床に一人の青年が座っている。


前髪だけを赤く染めた、少し小太りの若者だ。



「デデンのオカルトルームにようこそ。わたくしオカルトハンターのデデン、今回は体を張って検証しております」



神妙な顔つきをしたその青年が、低い声で喋りだした。



「過去に、3人が命を落としたというこの部屋…まさに最恐事故物件!わたくしデデン、3日目の夜を迎えようとしております。今夜こそ、何かが起こるのではないか…そんな予感がします」



何気なくその画面を見ていたきいなが、妙な胸騒ぎをおぼえた。



「わたくし、今朝から頭痛が治まりません。風邪でもひいたのか、それともこれはこの部屋に巣くう悪しき者のせいでしょうか…?」



デデンと名乗る青年の後ろには、壁にかかった液晶テレビと灰色のソファの背が見える。


あの薄いクリーム色の壁紙、そしてカーテンの格子柄。


既視感…では無い。


自分は、この部屋を知っている。


つい最近、見たばかりだ。


ここは…。



「…っ!」


「ちょっ!きいなちゃんなんやねん!」



きいなはいきなり立ち上がると、自分のスマホを掴んで控室から飛び出した。


呆気にとられる3人を残して、狭い廊下を走る。


裏口のドアを開け、外階段を登るとライブハウスの入った雑居ビルと、隣の事務所ビルとの狭い隙間に出た。


スマホを耳に当てる。


何度目かの呼び出し音が途切れ、聞き覚えのある声が答えた。



「もしもし?」



生活安全課の、倉科だ。



「きいなか?…なんだこんな時間にとつぜ…」


「あの部屋に人がいる!」



きいなの怒気を含んだ声に、倉科は電話の向こうで面食らったようだ。



「な、なんだって?」


「302号室に、いま人がいるんだよ!」



…つづく。



※ この小説は筆者の創作であり、特定の団体、事件、個人とは一切関係ありません ※


※ 本作品の無断転載は、かたくお断りいたします ※

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