第25話

男性の頭部を何度も殴るとグシャッと音がして顔ごと潰れてしまった。

助けてくれと懇願していた声を、私は最後の最後まで無視をした。

拘束されて動けなくなっている人を、この手で殺したんだ。


そのショックは大きかったのん、空腹感の方が勝っていた。

殺した男性の頭部が潰れていて中から美味しそうな脳みそが出てきている。

私はそっと手を伸ばして男性の頭に自分の手を突っ込んだ。

硬い骨はよけて柔らかな脳みそだけを掴んで引っ張り出す。


それはまだ温かくて男性がつい数秒前まで生きていたことを物語っている。

私は掴んだ脳みそを口に入れた。

トロリとした味噌が舌に絡みついてきて、甘みと苦味が交互に訪れる。


噛む必要のないゼリーを喉の奥に流し込んでいくような感覚で飲み込む。

あぁ……美味しい。

自分が恍惚となっていることに気がついていた。


後ろで圭太が顔をそむけていることも。

それでも食べることをやめられない。


次から次へと手を伸ばし、あっという間に男性の脳みそは空になってしまった。

あぁ。もう終わってしまった。


ガックリとした気持ちが湧き上がる。

脳みそはなんて美味しいんだろう。


もっと沢山食べたかった。

喉を通過していくときのツルツルとした感覚が忘れられない。



「薫、行こう。家の中はまだ探し終わってない」



圭太に言われるまで私は恍惚状態から抜け出すこともできなかったのだった。


☆☆☆


地下室から出てきた私達は1度リビングへ戻ってきていた。

2階はまだ調べて居なかったけれど、圭太の気分が悪くなったのが原因だった。

それは自分のせいだと理解していた私は進んでリビングの中を調べ始めた。


大雑把な調べ物はしていたけれど、引き出しの中などはまだ見ていなかったからだ。



「スマホがあったよ!」



リビングの戸棚を上から順番に開けて行くと、一番下の広い引き出しに白いスマホが入っていることに気がついた。

スマホの透明カバーの下には女子高校生と見られる女の子のプリクラが挟んである。

隣町の高校の制服姿だ。



「この家、同年代の子がいるんだ」



呟いて画面をタップしてみると、すぐに画面が開いてしまった。

どうやらパスワード設定などをしていなかったみたいだ。


今どき珍しいな。

そう思ったときだった。

画面にはスマホのメモ帳機能が表示されたままになっていて、そこに残された文章に目を奪われる。



『家族全員感染してしまいました。お父さんとお母さんは食料として見知らぬ人を誘拐してきます。私も人を食べました。でも、もう無理です。このまま人を食べて生き続けることなんてできない。とても苦しくて辛いのに、空腹感だけは増えていく。そんなの耐えられない。これを見つけた人へ。私は今から両親を殺して、自分も死ぬつもりです。私は2階にいます。どうか見つけてください』



丁寧に書かれたそれは見間違いようもなく遺書だった。

ゾクリと全身に寒気が走る。



「圭太、これ」



スマホ画面を見せると圭太の顔色が変わった。

地下室の食料を残したままいなくなった家族がどうなったのか、それは2階の彼女の部屋に行けばわかる。



「この子、見つけて欲しがってるんだよ」



私は早口にそう言うとリビングを出て二階へと続く階段を駆け上がり始めた。

あの遺書がいつ書かれたものかちゃんと見ていないからわからない。

だけど、少しでも早く発見されたいはずだ。


2階の部屋は4部屋あったが、すぐに彼女の部屋を見つけることができた。

ドアにかけられたプレートに《優美》と書かれている。

写真の少女を思いだしながら私はそのドアに手をかけた。


内開きのドアを開いてみると、そこには女の子らしい部屋が広がっていた。

部屋の奥ある出窓には沢山のぬいぐるみが並び、中央にあるシングルベッドにはピンク色のカバーがかけられている。

そのベッドの上に、3人の人間が横たわっていた。


手前側に女性が、奥側に男性が、そして挟まれるようにして制服姿の少女が眠っている。



女性と男性の服は破れて血がついていて、胸や腹を刺されたことがわかった。

女子生徒に目立った外傷はなさそうだけれど、枕元には殻になったグラスと薬の瓶が置かれている。

瓶の中身も空だった。


少女はすでに息絶えているにも関わらず、両親の手をきつく握りしめていた。

その手もまた血で汚れている。

その光景を見た私は床に両膝をついてしまった。


自分と年齢の変わらない少女が家族で感染し、両親を殺して自害した。

その衝撃的な光景に呼吸すら忘れてしまいそうになる。



「薫、あまり見ないほうがいい」



圭太がそっと肩に手を置いてくる。

けれど私は動くことができなかった。

彼女はどんな思いで両親を殺したんだろう。


自殺することもできず、自衛隊員に撃ち殺してもらおうとしていた自分の甘さを痛感する。



「下にいるから」



そんな圭太の声は、もう私の耳に届いていなかったのだった。



☆☆☆


ベッドに横たわっている少女の頬に手を当てると肌はとても冷たくて、それなのにどこかぬくもりを感じるものだった。

少女の口角は微かに上がっていて、悲しい末路をたどった者の死に方だとはとても思えない。



「私も、あなたみたいになれるかな」



震える声で呟いていた。

生きることにしがみついて周りをまき込み続けるよりは、ここで潔く自害した方がいいんじゃないか。

そんなふうに気持ちが切り替わっていた。


死んでしまえばもう会えない人もいる。

けれど、死んでいった沢山の仲間たちとは会えるようになるのだ。

そう考えると頬に涙が落ちていく。


私は生き続けている方が幸せなのか、このまま死んだ方が幸せなのか、もはやわからない。

この地獄のような街から解放されるのなら、そちらを選ぶべきだと思う。


少女から身を離して室内を見回してみると、ベッドの下にロープが落ちていることに気がついた。

緊急避難用の縄梯子だ。

それを見た瞬間、決意が固まっていた。



私は縄梯子の先端を木製のカーテンレールにきつく結びつけた。

勉強机の椅子を拝借してセッティングし、その上に立つ。

首に回す輪の部分を作る必要はなかった。


ちょうど梯子状になったロープが私の目より上の部分にある。

私はそこに自分の首をかけた。

これで、楽になれる。


そう思うと涙は引っ込んで自然と笑みがこぼれていた。

そして全身を包み込む安堵感。

少女も死ぬときはこんな感覚だったのかも知れない。


ようやく地獄から解放される嬉しささえ感じられる。

だから私は躊躇なく椅子を蹴飛ばしたんだ……。


☆☆☆


……いい匂いがする。

お腹がすいた。

目が覚めた時、それは空腹感を覚えたときだった。


ボンヤリとした視界の中見えたのはシャンデリアだ。

私の家にはシャンデリアなんてなかったはずだけれど、どこかで見た覚えのあるものだった。

どこで見たんだっけ?


記憶を探っている間にボヤけていた視界が鮮明になる。

天井からぶら下がっているシャンデリアをはっきりと確認できたとき、私は飛び起きていた。

同時に首筋に痛みが走って顔をしかめる。



「大丈夫?」



声がした方へ視線を向けると、ソファに座っている直の姿が見えた。



「直!?」



驚いて声が裏返る。

同じクラスの直とは校内が封鎖されて以降会っていなかった。



無事でいたことに驚き、またここにいることにも驚いて声がでなくなってしまう。



「自殺なんてやめたほうがいい」



冷静な直の言葉に、記憶が蘇る。

そうだ、私はこの家で自殺しようとしたんだ。

首が痛いのはロープが食い込んでいたせいだろう。



「どうして直がここに?」


「君たちが学校から逃げ出すのを窓から見てたんだ。それで後を追いかけてきた」


「それならすぐに声をかけてくれたらよかったのに」


「学校から外へ出たものの君たちがどこに行ったのか見失ったんだ。非感染者に襲われそうになりながら逃げ込んだこの家で、偶然君たちを見つけた」



その説明で直も感染していることがわかった。

さっきからいい匂いがしているけれど、テーブルの上に置かれていたのは人肉らしい。


直はそれを手を止めることなく食べている。

食欲はかなり強くなってきているんだろう。



私の喉も自然と鳴る。



「少し食べる?」



直がフォークに突き刺した人肉を差し出してくる。

私はゴクリと唾を飲み込んでそっぽを向いた。

本当はとてもお腹が減っていたけれど、圭太の前では食べたくない。



「そういえば、圭太は?」



ふと気がつくとリビング内に圭太の姿がないようだった。



「圭太なら隣の部屋で寝てる」



顎で寝室をさして答える直。

眠っているのか。

それなら少しくらい食べても大丈夫かもしれない。

再び直へ視線を移動すると、直は人肉の乗った皿とフォークをこちらへ差し出していた。



私はそれを受け取り、口に運ぶ。



「どうして自殺なんてしようとしたんだよ?」


「それは、直だってわかるでしょう?」



同じ感染者なら、その苦しみが理解できるはずだ。

もちろん、非感染者の圭太だって同じくらいの苦しみを背負っている。



「人肉を食べ続けることに抵抗があったとか?」

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