第24話

☆☆☆


久しぶりに父親の声を聞いた私は安心し、急速な眠気に襲われてしまった。

圭太とふたりで寝室のベッドを拝借して深い眠りにつく。

夢の中でこの街が出てきたけれど、みんないつもの日常を過ごしていた。


朝、犬の散歩をする人。

通勤、通学で忙しく歩く人。

その中に私と圭太の姿もあった。

ふたりで肩を並べて学校へ向かう。


途中からなぜか父親と母親も一緒になって、学校へ向かう。

少し変な構図だったけれど、夢の中だからなんでもいい。

とにかく平和で幸せな日常がそこにあった。

だから、外から聞こえてくる悲鳴で目を覚ました時、私は一気に現実へ引き戻されてしまったんだ。



「今の声は?」



先に起きていた圭太に聞く。

圭太はカーテンを開けて外の様子を確認していた。



「人が襲われてる」


「まだ、感染してない人がいたんだね」



それとも、非感染者が感染者を殺しているんだろうか。



どちらにしても見たくない光景だ。

私は外を確認することなくキッチンへ向かった。

時間は確認していないけれどすっかり日は高くなっていて、空腹感が強い。


冷蔵庫からふたつめのタッパーを取り出してテーブルにつき、食べ始める。

普段は朝はそれほど食べないタイプの私だけれど、今は朝も夜も無関係になっている。

無心で食事をしているとあっという間にタッパーの中身がなくなってしまった。


せっかく持ってきた食料はあっけなく尽きてしまう。



「足りたか?」



後ろから声をかけられて、慌てて口元を拭って振り向いた。



「大丈夫だよ」



頷いた矢先にお腹がぐぅと音を立てた。

恥ずかしさでうつむく私に「食欲が強くなっていくって、ニュースでもやってたからな」と、圭太が呟いた。



「私のことは気にしなくていいから」



外へ出れば死体は沢山ころがっている。

その中から非感染者のものを探せばいいだけだ。



「わかってる」



圭太は短く返事をして自分の食事作りに取り掛かったのだった。


☆☆☆


こうして一緒にいても圭太に食事を作ってあげることもできない。

通常の食事の匂いだけで吐き気を覚える私は高い生け垣のある庭に出てきていた。



「一緒に食事ができればいいのにな」



そう呟いてみても体にウイルスがある限り無理な問題だった。

私と圭太の食事は決定的に違いすぎる。


ボンヤリと空を見上げている間にも道路から人の悲鳴や怒号が聞こえてくる。

ここは生け垣に囲まれているから姿を見られる心配もないけれど、一歩玄関から外へ出ればどうなるかわからない。

自分の食料を調達するためには時間を見計らったほうが良さそうだ。


「薫」



呼ばれて振り向くと窓から圭太が顔をのぞかせていた。

食事を終えたのだろう。



「この家の中を調べてみようと思うんだ」



リビングへ戻るとそう言われた。

そう言えば昨日ここへ来てからあまり家の中を調べたりはしなかった。


人の気配もないし、疲れていたし、今思えばあまりの警戒心のなさに我ながら呆れてしまう。

万が一この家に誰かがいれば、どちらかが、または両方が殺されていた可能性だってある。

家は広く、外観からすれば2階建てのようだった。



ふたりでまずは1階の部屋をすべて調べてみることにした。

リビングダイニング、その隣にある寝室。


廊下へ出て奥へ向かうと更にドアがある。

そこは脱衣所とお風呂になっていた。

廊下の途中にあったドアを開けると、こちらには広くて清潔感のあるトイレ。



「後は2階かな」



圭太がそう言って玄関先にある階段へ視線を向けた時、私は階段下にも扉があることに気がついた。

物置かもしれないと思いつつ、ドアノブに手をかける。


そこを開いてみると暗い階段が下へと続いていて思わず身をすくめた。

てっきり物置があって終わりだと思っていたから、突然の階段の出現に驚いたのだ。



「すごいな。地下室があるのか」



圭太が薄暗い階段を見下ろして呟く。

外国の家には地下室があっても不思議じゃない国もあるみたいだけれど、日本の家屋では珍しい。


階段の下からは埃っぽい空気が上がってきている。

少しカビくささも感じられた。



「どうする? 地下室も確認してみる?」



もしも誰かが隠れているとすれば、地下室の可能性が高い。

日本の家に地下室があるという認識は薄いから、攻撃されてもここへ逃げ込めばやり過ごすこともできるだろう。


少し考えたのち、私達はそれぞれバッドを握りしめて地下室への階段を降り始めていた。

電気をつけても薄暗いその空間は肌を撫でる空気すらも気持ち悪く感じられる。

階段をすべて降りきった先にあったのは重たそうな扉だった。


両手でその扉を押し開いてみると、鍵はかかっておらず意外にも簡単に開くことができた。

扉はとても分厚くて、外の音は少しも入ってこないだろう。

圭太が先に室内へ足を踏み入れて、壁を探る。


入り口の付近にあるスイッチを押すと真っ暗な室内がパッと照らし出された。

そこは10畳ほどのコンクリートの部屋で段ボール箱や不要になった子供用のおもちゃなどが積み上げられている。

その右手の壁を確認してみると、見知らぬ男がテツパイプに両手を繋がれた状態でうなだれているのが見えた。



ハッと息を飲む私を圭太が手で静止する。

相手を警戒しながらゆっくりゆっくり近づいて行くと、男性はキツク目を閉じているが呼吸はしていることがわかった。

ひとまず生きている人間だということがわかって安堵する。


鉄パイプはコンクリートの床から天井まで伸びていて、本来は別の用途で使われていたものだとわかる。

そこにロープで両手をくくりつけられているのだ。

回り込んで更に確認してみると男性の服に血が滲んでいることに気がついた。


腹部から滲む血を確認するため、服の裾をたくしあげていく。

するとそこにはどす黒い血が固まっていて、怪我をしていることがわかった。

通常の怪我じゃない。


肉を削ぎ落とされたような痕跡がある。

内蔵まで到達させることなく、剥ぎ取ったんだろう。

それに、男性には赤い斑点は出てきていない。



これだけの状況があればもう明白だった。

この男性は食料としてここに拘束されていたのだ。


圭太が深く溜息を吐き出して男性から身を離した、その瞬間だった。

今まで気絶していた男性が突然目を開けたのだ。


そして私達を目視した瞬間「やめてくれ! 助けてくれ!」と悲鳴を上げ始める。

私はとっさに走って地下室のドアを閉めていた。

この声が外に聞こえないほうがいいと判断したのだ。



「大丈夫。落ち着いて」



圭太が必死になだめて男性はようやく私達をマジマジと見つめた。

そして大きく息を吐き出す。



「この家のヤツらはどこに? 見つかったら、きっと食べられちまうぞ!」



男性はひっきりなしに地下室の中を確認して怯えた表情を浮かべている。

目覚めてすぐだというのに、すでに冷や汗を流していた。



「あなたはこの家の住人じゃないんですか?」



圭太が聞くと男性は左右に首をふる。



「俺は違う。ただ、この街から逃げ出そうとしてたんだ。なにせ外は感染者だらけだったから。でも途中でこの家の連中に捕まったんだ。連中は全員感染してた。俺を食料としてここへ運んで、監禁したんだ!」



必死に説明する男性の目は血走り、顔は苦痛に歪んでいる。



「頼む! 拘束を解いてくれ! 助けてくれ!」



懇願する男性に心が揺れる。

同時に男性から感じる美味しそうな匂いにも反応していた。

お腹がぐぅと音を立てる。



「なにぼーっとしてんだよ! 早く助けてくれ!」



男性は私達がふたりとも感染していないと思い込んで絶叫を続ける。

けれど、それに答えることはできなかった。

圭太がチラリと私を見て、小さく頷く。


私は握りしめていたバッドを振りかぶった。

男性が目を見開く。

その顔は出現した希望が一瞬して消えていくような、絶望感に満ちたものだった。



「ごめんなさい」



私は男性にそう声をかけて、頭部へ向けてバッドを振り下ろしたのだった。

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