第23話

圭太はそれで顔をしかめているが、死体が転がっているような様子はなさそうだ。

この家の中でなにが起こったのかも、私達はわからない。


広いリビングには革張りのソファが置かれていて、ふたりして倒れ込むようにそれに座った。

ふかふかのクッションが疲れた体を包み込んでくれる。



「この家はかなり裕福だったんだろうな」



天井から吊り下がっているシャンデリアを見て圭太が呟く。

壁掛けタイプのテレビもかなりの大きさがある。



「本当だね。こういう家に暮らしてみたかった」



リビングは落ち着いた焦げ茶色で統一されていて、壁は優しいクリーム色だ。

ここでどんな家族が、どんな家族団らんを楽しんでいたんだろう。


想像してみるけれど、写真立てのひとつもないリビングではいまいち膨らんでこなかった。



「冷蔵庫の中を調べてみる」



リビングとダイニングの間に壁はなく、広い空間が取られている。

キッチンに向かうと大きな冷蔵庫が稼働音を立てていた。



「電気や水道はちゃんと来てるんだな」


「学校でもそうだったよね。必要なライフラインは途絶えなかった」



ウイルスに感染していても自我はしっかりと残っている。

そのため自分の生命維持が困難になるようなことは起きなかったんだろう。

冷蔵庫の中を確認してみると卵が3つとウインナーが一袋、それに缶詰が少しあるだけだった。

これだけの大きな家にしては食料が少ない。



「これじゃ圭太の食べるものがすぐなくなっちゃう」



心配する私に圭太が食器棚を確認しはじめた。

その中にも食べかけのオヤツや少量のお米が残っているのみだ。



「くそっ。これじゃここに長居はできないか……」



自分の食料を持ってこなかったことを悔いているようだ。



「それなら学校へ戻ろうよ。外にいても状況は同じみたいだし、学校には物資が届くよ」



私の提案に圭太が目を見開く。



「ここまで来て学校に戻るなんてありえないだろ」


「でも、外にいたら圭太の食べ物がないじゃない」



私には外に転がっている死体があるけれど、圭太はそれを食べるわけにはいかない。

学校にいても、外にいても、結局私達に降り掛かってくる問題は食物だった。



「少しくらいなら我慢できる。それに、スーパーやコンビニへ行けばいくらでも食べ物はあるはずだ」



「スーパーやコンビニに行くためには外を移動しなきゃいけないよ? 危険じゃない?」「ここに来るまでには誰もいなかったんだ。きっと大丈夫だから」



この街の状況は刻一刻と変化していっている。

今が大丈夫でも、1時間後も同じように大丈夫だとは言い切れない。


それでも圭太は学校へは戻らないと決めたみたいだ。

これ以上なにか言ってもきっと話は平行線をたどることになる。

私は圭太の意思を尊重して黙り込んだのだった。


☆☆☆


それからリビングで横になっていると、いつの間にかうとうとしてしまっていた。

校長室で少し眠ったくらいでは体の疲れは癒えていなかったようで気がつけば外は暗くなっていた。



「起きたか?」



その声に視線を向けると圭太が茶碗にご飯をよそって缶詰と一緒に食べているところだった。

その平和な光景にプッと吹き出してしまう。


状況はなにも変わっていないはずなのに、こうして家の中にいるだけで気分は随分と違ってくる。

学校に閉じ込められていたときには疲弊しきっていた気持ちが、少しだけ明るくなっていることに気がついた。



「なにがおかしいんだ?」


「だって、普通に食事してるから」



そう言うと圭太は自分の持っている茶碗と箸を見つめてふっと笑みを浮かべた。



「本当だよな。こんな風に食べるのは何年ぶりにも感じる」



お米も、自分で炊いたんだろう。



「でもごめんね。私には匂いもきついかも」



私はそう言うと、冷蔵庫にいれておいた自分用のタッパーを取り出して隣の部屋へ向かった。



そこは広い和室になっていて、中央にキングサイズのベッドが置かれている。

夫婦の寝室だったのかもしれない。


私はベッドに腰をかけてタッパーを開ける。

中から芳醇な肉の香りが漂い出てきてぐぅとお腹が鳴った。

キッチンから拝借してきた誰かの箸で肉片をつまみ上げて口に入れると、とろけるような舌触りに思わず笑みがこぼれた。

感染前にだって食べたことのない、上質な肉の味わいだ。


ゆっくりと味わうように咀嚼して、飲み下す。

私の食欲は日に日に強くなってきていて、タッパーの中身はあっという間になくなってしまった。

これだけの量の生肉を食べたのに、まだ食べたりない気持ちだ。


それをグッと押し込めてリビングへ戻ると、圭太も食事を終えたところだった。

今はリビングのテレビを付けてニュース番組を確認している。

ニュースで流れているのはこの街を空から移した映像で、ニュースキャスターはガスマスクを着用している。



『もう1歩たりともこの街に踏み入ることはできません。医療は崩壊し、新薬の開発もまだです』



悲壮感漂うキャスターの声に明るくなっていた気持ちが一気に暗く沈んでいく。



「薬、できないんだね」


「こんな状態じゃ難しいだろうな。ウイスルを外へ持ち出して研究することもできないし」



それじゃ私の体は一生このままなんだろうか。

一生、人肉しか食べられないんだろうか。

この街から出ることができなければ、その人肉を確保することだって難しくなるというのに……。


絶望的な気分になったとき、ポケットに入れたままだったフマホが震えてビクリと体を震わせた。

スマホの存在をすっかり忘れてしまっていたのだ。

ソファに座って画面を確認してみると、それは父親からの電話だった。


ハッと息を飲んですぐに通話状態にする。



『もしもし!?』



切羽詰まった父親の声。

しかし久しぶりに聞いたその声に目の奥が熱くなってくる。



「お父さん?」


『よかった薫。生きてたんだな!』


「うん。お父さんは大丈夫なの?」



『あぁ。会社にいる』


「もしかして、外に自衛隊がいて出られないとか?」



その質問に父親は無言になった。

その沈黙は肯定を意味している。

昼までの自分と同じ状況にあるとわかって、胸が痛む。

けれど外へ出た今は、建物内にいるほうがいいのか、外へ出たほうがいいのかわからなくなってしまった。



「お父さん、感染は?」



大きく息を吸い込んでそう質問をする。



『お父さんは大丈夫だ』



その言葉に安堵しかけたけれど、答えになっていないことに気がついた。

大丈夫というのはどのようにでも捉えることのできる便利な言葉だ。

お父さんはすでに感染ししてるけれど、それでも大丈夫だ心配するなといいたいのかも知れない。



「そっか。よかった」



それ以上深堀せずに素直に引き下がる。

娘に心配はかけたくないだろうから。

こころなしかホッとしたような雰囲気が電話越しにでもわかった。



「お母さんとは連絡が取れた?」


『あぁ。昨日電話した』



それじゃふたりとも生きてるんだ!

その事実にまた泣きそうになってしまい、黙り込む。

よかった。


本当によかった……!

街中でユカリを見つけたときから、胸の中では絶望感で満たされていた。

もう家族にも友達にも合うことができないと、どこかで覚悟を決めていた。


それが、両親とも生きてるなんて!



『また連絡するから。薫も死ぬな。絶対に』


「うん。死なないよ。絶対に」



私は強くそう答えたのだった。

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