第21話

自分をバカにしていた連中も殺した。

それは感染していなくても殺したという意味じゃないだろうか?

もしそうだとしたら男子生徒のしていることは正当防衛ではなく、本当にただの殺人だ。

本人もその自覚があるのかもしれない。



「狂ってる……!」


「狂ってる? 僕が?」



ゆらりと、包丁の先がこちらへ向けられる。



「僕が狂っているとすれば、僕を狂わせたのはこの学校だ。僕をイジメていた連中、見て見ぬ振りをしていた連中、知らなかった連中、全員が僕をこうさせたんだ!」



唾を吐いてわめき散らす。

彼の言っていることすべてを否定するつもりはない。


彼が狂ってしまうくらいひどいイジメが行われていたことは事実だろう。

けれど、それは大量殺戮の理由にはならない。

私の歯の根は噛み合わなくなり、カチカチと音がなり始める。


懸命に震えを抑えようとしてもできなかった。



「ふふふっ。もっと怖がって見せてよ。人を怖がらせることって、こぉんなに楽しいことだったんだね?」



歪んだ笑みを浮かべて包丁の刃先を私の頬に当てる。

スッと冷たい感触が頬にあたり、全身が凍てついていく。

少しでも動けは肌が切れてしまう中、私は1ミリも動くことができなくなってしまっていた。



「さぁ。どうやって死にたいか答えて貰おうか?」



彼がグッと顔を近づけて質問する。

その息は悔しいけれど美味しそうに感じられた。

こんな時でも食欲があるなんて、我ながら情けなくなってしまう。



「好きにすれば」



そう言い放ち、覚悟を決めて目をキツク閉じる。

彼は私の頬を切り裂くだろうか。

それとも腹部に包丁を突き刺すだろうか。


どちらにしてもかなりの痛みを感じるに違いない。

そのときに備えて奥歯をきつく噛みしめる。

しかし、いくら待ってみても痛みは私の体を貫くことはなかった。


それよりも先にドサッとなにかが倒れる音が聞こえてきて目を開いた。

そこにいたのはバッドを握りしめた圭太だったのだ。



圭太の足元では気絶している男子生徒の姿がある。

後ろから殴られたのだということがわかって唖然とした。



「圭太、なんで……!?」



つい数分前に別れを告げたばかりの圭太がなぜ自分を助けに来てくれたのかわからない。

圭太は私を睨みつけたあと、その両手を背中にまわして抱きしめてきた。



「勝手に別れるなんて言うなよ!」



悲痛な叫びを上げる圭太に胸が引き裂かれるような思いだった。



「だ、だって。もうこれ以上圭太に迷惑はかけられないよ。私、人肉を食べてまるで化け物みたいになっちゃったんだから!」



これから先のことを考えると、感染していない圭太と一緒にいることはできない。

それは誰もがわかっている事実のはずだ。

けれど圭太は私の体を抱きしめたまま離さなかった。



「薫が化け物なわけないだろ!」



その声にハッと息を飲む。



「化け物が、こんなに苦しんだり、泣いたりできるわけないだろ!」


「圭太……」


「自分の空腹を極限まで我慢して、俺がずっと一緒にいても全然手を出そうとしてこないで、なにが化け物だよ!」



「もしかして圭太がずっと私と行動してくれてるのって?」



まさかという気持ちが浮かんできて聞くと、圭太は小さく頷いた。



「俺を食料にすればいいと思ったからだ。薫にだったら、食べられても構わなかった」


「そんな!」



そこまで考えて私と一緒にいてくれたなんて、考えてもいないことだった。

目の奥がジンジンと熱くなって、涙が溢れ出してくる。

圭太はどこまでも優しい人だった。


自分の命をかけてでも、私を守ろうとしてくれていたことにようやく気がつくことができた。

涙で滲んだ視界の中で、ゆらりと立ち上がる人物が見えた。

その人は左手に包丁を握りしめて圭太の背後にいる。



「危ない!」



咄嗟に叫んで圭太の体を横へ突き飛ばす。

圭太は横倒しに倒れ、その空間に包丁がビュンッと風を切った。

倒れた圭太がすぐにバッドを握り直して立ち上がる。



「なんで……なんでお前は感染者を助けるんだよ! おかしいだろ! こいつらは敵だぞ!」



唾を飛ばして怒鳴る男子生徒に圭太はゆっくりと左右に首を振った。



「いや、感染者は的じゃない。俺たちの敵はウイルスそのものだ」



言い切る圭太に男子生徒は歯噛みするように顔をしかめる。



「綺麗事を言うな!」



包丁が突き出され、圭太が寸前のところで避ける。



「お前だっていつか感染する。そうすれば、相手の気持ちがわかるようになる」


「僕は無敵なんだ! 僕が感染するはずがない!」



叫び、やみくもに包丁を振り回す彼は隙だらけだった。

圭太は間合いをとり、バッドを振りかぶる。

そして向かってくる彼の頭部へ向けて思いっきり打ち下ろした。


ゴキンッと頭蓋骨が割れる音が聞こえてきて、ズルズルとその場に崩れ落ちていく。



額から流れ出た血が彼の顔を染めていく。



「僕は……間違って……ない……」



弱い声でそう言い残すと、彼はもう二度と目を開かなかったのだった。





私と圭太のふたりは家庭科部の生徒たちが使っている調理室へ向かい、タッパーを何個も持って来ていた。

倒れている彼の肉を包丁で削ぎ落とし、タッパーへ詰めていく。

その作業をしている間、圭太は目をそらさずにジッと待っていてくれた。


私と圭太が一緒にいるためにはもうこれしか方法がなかったのだ。

透明タッパー3つ分が人肉で満たされてずっしりと重たくなった時、私の胸には安堵感が広がっていた。

これでもうしばらく食いつないでいくことができる。

圭太の食事は国が援助してくれているから心配することもないはずだ。



「なんか、やけに静かだよな」



私は重たくなったタッパーを両手に抱えて立ち上がる。



「もう、そんなに生徒も残ってないんだと思うよ」


「そうだけど、外の話だよ」


そう言われて私達は窓から外の様子を伺う。



グラウンドに自衛隊の車が止まっているけれど、その台数は明らかに少なくなっていた。

そうして見ている間にも、1台の車がグラウンドから出ていく。



「自衛隊が撤退して行ってる?」


「まさか。あれだけ私達を監視してたのに?」



けれど外にいる自衛隊員たちの姿は明らかに少なくなっているみたいだ。

どういうことだろう?

そういえば、私達はさっきから昇降口の近くで騒ぎを起こしているのに、誰も止めに来なかった。

それに気がついた私と圭太は目を見交わせて昇降口へと足をすすめる。



「誰もいない」



昇降口を見張っていたはずの自衛隊員の姿がどこにもなくなっていたのだ。



「今なら外に出られる!」



思わず声を大きくして呟くけれど、自衛隊員たちが急にいなくなった理由がわからないから、警戒を解くわけにもいかない。



「もう、諦めたのかも知れないな。街中で感染者が出て、建物を封鎖する意味を失ったのかも知れない」


「だとすれば、外へ出ても攻撃されないよね?」



自衛隊員の数は減っているものの、完全に撤退したわけじゃない。

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