第19話

圭太がいなくてひとりぼっちになるくらいなら、いっそ自衛隊員に殺された方がマシかもしれない。

どうせ私は感染者で、いずれ殺されてしまうのだろうし。


涙で濡れながらよろよろと立ち上がる。

空腹でメマイを感じてすぐに倒れそうになるけれど、壁に手をついてどうにか持ちこたえた。

一歩一歩前へ進んで昇降口へ向かう。


素人に刺し殺されるくらいなら、銃で仕留めてもらったほうがずっといい。

重たい体を引きずって歩くと昇降口までの距離が永遠のように長く感じられる。


武器もなにも持っていないから、今ここで非感染者などに出逢えば勝ち目はないだろう。

グスッと鼻をすすり上げながら足を前へ前へと進ませる。



「圭太ぁ……」



誰もいない廊下へ向けて何度目かその名前を呼んだとき、階段の上から足音が聞こえてきて私は身構えた。

誰かが1階へ降りてくる!

咄嗟に身を隠せる場所を目で探すけれど、階段の前を通らないと最寄りの教室まで行くことができない。



来た道を振り向いてみたら、放送室が見えた。

あそこならすぐに逃げ込むことができる!

すぐに体を回転させて放送室へと足を向けた。


けれど体は思うように動かず、階段からの足音はどんどん近づいてきている。

その足音の人物はなにか重たいものを引きずっているようで、歩くたびにズル……ズル……と聞こえてくる。

早く逃げなきゃ!


ようやく放送室の前までやってきてドアノブに手をかける。

逃げ込もうとしたとき、ドアに鍵がかけられていることに気がついた。



「なんでこんなときに!」



慌ててしまって大きな声が出る。

すぐに口を塞ぐけれど、階段の誰かには聞こえてしまったかも知れない。


次に近いのは保健室だけれど、そこには麻子がいる。

鍵が閉まっているかもしれないし、開けてもらっている間に誰かがやってくる可能性も高い。

どうすればいいかわからず棒立ちになっている間に、足音が途切れた。


降りてくるのをやめたんだろうか?

そう思ってそっと階段を確認してみた瞬間、ゴロゴロと女子生徒の死体が転がり降ちてきた。



「キャアア!」



血まみれになった女子生徒は首に噛まれた傷跡があり、中途半端に食べられて放置されたことが伺えた。

そしてその後から降りてきた人物は……。



「圭太!?」



制服を血で濡らして、バッドを握りしめた圭太だったのだ。

圭太は息を切らしながら階段を駆け下りてきた。



「薫、起きてたのか」


「これ、どういうこと?」



混乱する頭で尋ねると、圭太は女子生徒の死体を見下ろした。



「薫が食べられるものがないか、探してたんだ。制服の血は、その子の血がついただけ」



自分の制服が血まみれになっていることに気がついて、圭太はそう答えた。



「食べれるものって……」



私は圭太と女子生徒の死体を交互に見つめた。



「俺が殺したんじゃないぞ?」


「わ、わかってるよ」



女子生徒の首には噛みちぎられた跡がある。



圭太が誰かを殺すのであれば、バッドを使うはずだ。



「見たことがない生徒だけど3年生らしい」



彼女の胸元にあるネームを確認して圭太は言った。



「3階からここまでわざわざ?」


「他に方法はなかった」



ここまで運んでくるのにもリスクがあったはずなのに、圭太はそんなこと少しも顔には出さずにいい切った。

胸に熱いものがこみ上げてくると同時に、こんなことをさせてしまった申し訳無さがこみ上げてくる。



「ごめんね圭太。こんなこと、私が自分でやらなきゃいけないことだったのに」


「気にすることない。さぁ、この人を校長室まで運ぼう」



圭太に言われて私は死んだ女子生徒の足を持ち上げたのだった。


☆☆☆


校長室に女子生徒の死体がある。

それは普段では考えられない異様な光景だった。



「薫のことを考えずに自分ばかり食事をしてごめん」


「そんな……」



私は左右に首を振る。

そんなこと、圭太が悪いわけじゃない。

圭太だってちゃんと食事をしなければ死んでしまうんだから。



「俺は外にいるから、終わったら呼んでくれ」



圭太はそう言い残して校長室を出ていった。

圭太の後ろ姿を見送り、床に横になっている死体へ視線を向ける。

また、ゴクリと喉が鳴った。


同時に昨日少しだけ食べた肉片の味を思い出してお腹が鳴る。

もう水だけでは到底我慢できそうにない。

それにこの死体は圭太が危険を犯してまで持ってきてくれたものなんだ。


私は死体の横に両膝をついた。

彼女からはずっといい香りが漂ってきている。

傷口から溢れ出している血はフルーティーと言ってもいいほどだ。


そっと首筋に顔を近づけて、舌を出して血を舐め取ってみた。



ゾクリとするほどの美味が口の中に広がり、自分でも理解できない内に涙が滲んできた。



「美味しい……」



呟き、もう1度血をなめる。

今度は1度じゃやめなかった。

傷口について固まっている血を丹念にすべて舐め取る。


次に彼女の華奢な指先に視線を向けた。

そっと手に取ってみるとすべすべとした触り心地で、ほどよく柔らかい。

ここの肉はどんな味がするんだろう。

かぶりつけばすぐにでもなくなってしまうような細い手羽先。


私は口を大きく開いて彼女の小指に噛み付いた。

ガリッと骨の感触がして、それから歯を立てて肉だけを起用に剥ぎ取った。

少量の肉だけでも旨味が強くて、口の中で転がすと満足感が大きい。


更に隣の薬指にもかぶりつく。

彼女の指を一本食べる度に、彼女の記憶が自分の中に入り込んでくるような気がする。

柔らかくてしなやかな指先を持っているのは、ピアノでもやっていたからかもしれない。


中指の内側は少しくぼんでいて、ペンを持つ時間が多かったのだろうと予測された。

ペンだこまではできていないけれど、なかなかに勉強熱心だったのかもしれない。

それから先はもう夢中だった。



今までの空腹感を満たすように肉を削いで食べていく。

手の肉をすべて食べ終えたら、今度は彼女の制服を脱がしてみた。


ほとんど日焼けしていない真っ白な肌。

胸に触れてみると柔らかく、そしてすべすべしている。

まるで上質なクッションに触れているみたいだ。

けれどそれにもかぶりついた。


柔らかな肉は脂身が大きく甘くて、ほんのりとフルーツの香りがする。



「果物が好きな子だったのかも」



肉を食べながらそんなことを思う。

目を閉じると彼女が生きていた日々のことが走馬灯にように流れていく。

友人と笑いあった日々。

ピアノをしている彼女。


勉強が難しくて悩んでいる彼女。

なにも知らない生徒のことなのに、なぜか手にとるように理解できる。

相手の肉を食べるということは、相手の人生をいただくということだからかもしれない。


それはきっと、普段は意識していなくても豚や鳥や牛を食べるときだって同じだ。

家畜たちの人生を、命を、私達は頂いてきた。



今になってそれがリアルに感じられるようになったんだ。

私は食べる。

泣きながら、見知らぬ女子生徒の肉にかぶりつく。


美味しい。

でも食べたくない。

でも食べたい。


お腹が満たされていく。

こんなのは嫌。

綺麗事言うな、食べなきゃ死ぬんだから。


2人の自分が脳内でせめぎ合う。

どうすればいいかわからないまま、手と口だけを動かし続けた……。


☆☆☆


女子生徒の肉がほとんどなくなって骨と制服だけになったとき、私はようやく手を止めることができた。

これほどにまで空腹感が募っているのは自分でも驚きだ。

壁にかけてある鏡の前に立つと顔中に血を付けている自分が立っていた。


その形相はまるで鬼のようで、体が冷たく氷りつく。

私は人肉を人かけら食べたあの瞬間から、人間ではなくなってしまったのかもしれない。

ハンカチを取り出して顔についた血を丁寧に拭うと、校長室のドアを開いた。


廊下には、壁をせもられにして座っている圭太の姿があった。

その姿を見てホッと胸をなでおろす。

もしかしたら私が食事をしている間にいなくなっているかもしれないと考えていたのだ。


圭太は最後に私に食事をさせてくれたのだと、そう思っていた。



「圭太……」



思わず涙が滲んできてしまい、うつむく。



「どうした?」



圭太はすぐに駆け寄ってきて、今までと変わらず私の頭を撫でてくれた。



「どうして、逃げなかったの?」

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