第16話

「これがあるから大丈夫。薫が勇気を出して取ってきてくれたバッドだ」



そう言って微笑んでみせる圭太に、私も同じようにバッドを握りしめて立ち上がった。

感染者が圭太を襲っても、非感染者が身を守るために私を襲ってきても、これがあれば大丈夫。


なんとなく、そんな気持ちにさせられた。

それから2人で教室を出て近くの部屋から探し始めた。

女子トイレに男子トイレ。


それに、2階にある2年生の教室を探して回る。

2階は比較てき綺麗な場所が多かったけれど、教室内はさすがに血の海ができていた。


感染者に食べられて骨しか残っていない生徒。

逆に非感染者に襲われて死んでいった生徒。


それらに混ざって先生の姿もあちこちに見られた。

綺麗に食べられてしまった死体はいいけれど、なぶり殺された感染者の死体を見る圭太はつらそうだった。


顔が潰れていたり、体中殴られて骨が折れていたり。

見るも無残な姿ばかりだ。



「2年生の連中は教室内で殺し合いが勃発したんだろうな」



3年生たちはみんな一斉に外へ逃げ出そうとしたけれど、2年生はそれよりも先に誰かが誰かを殺した。

または、食べるなどしたんだろう。

だから逃げる隙もなく教室で息絶えた死体の数が多いんだ。


麻子の死体がどこかに紛れていないか、制服や死体の顔を確認していく。

幸い、どこの教室にも麻子の死んだ形跡は残されていなかった。



「よかった。この階に麻子はいないみたい」



となると、残されているのは3階か、1階だけになる。



「どっちを先に探す?」



階段までやってきて圭太が聞く。

どちらからでも問題ないと答えようとしたときだった。

3階から男子生徒の悲鳴が聞こえてきて私達は同時に視線を上へ向けた。


もちろんここからじゃなにも見えないけれど、誰かが襲われているのか、逃げているということだけは理解できた。

ここで巻き込まれるわけにはいかない。


私はすぐに「1階に行こう」と、声をかけたのだった。


☆☆☆


1階に辿り着くまでの階段で死んでいる生徒2人を見つけた。

彼らの乱れた着衣から覗く肌には赤い斑点が広がっている。

それを見て思わず顔をしかめてしまった。



「みんな、感染者を殺すことに抵抗がなくなってきてるのかもしれないな」



首に締められた痕が残っていたり、胸を刺されていたりする死体は当時の状況がそのまま呼び起こされて痛ましさを感じる。



「仕方ないよ。やらなきゃ、やられるんだから」


私は自分にそう言い聞かせて階段を駆け下りた。

1階の廊下にたどり着くと保健室の前に白衣を着た女性が倒れているのを見つけて息を飲んだ

保険の先生だ!


咄嗟に駆け寄って「先生!」と声をかける。

先生はうつ伏せに倒れていて返事をしない。

圭太が先生の体を仰向けにするとその首にカッターナイフが突き立てられているのが見えた。



「ひっ」



思わず悲鳴をあげて目をそらす。



何体もの死体を見てきたけれど、慕っていた先生が死んでいるのはさすがにキツイ。



「非感染者に襲われたんだ」



白衣の下から覗いている手首には赤い斑点がある。

それを見つけて圭太が言った。



「先生も誰かを食べようとしたってこと?」


「たぶん、そうなんだろうな。それで、返り討ちにあったんだ」



強烈な食欲が先生をも狂わせてしまう。

私はスカートの上からポケットの中の肉片の感触を確かめた。

でも私は大丈夫。


まだこれが残っているから。

肉片のブニブニとした弾力を確認すると少しだけ安心できた。



「それは違うよ」



突然そんな声が聞こえてきたかと思うと、保健室の中からフラリと麻子が姿を表した。

その顔は真っ青だ。



「麻子!!」



思わず駆け寄り、その体を抱きしめる。



「どこにってたの? 心配したんだよ!?」


「私、朝から体調がよくなくて、それでずっと保健室にいたの」



「そうだったんだ」



それならひとこと連絡してくれたら良かったのに。

そう思ったとき、麻子の足に赤い斑点が出ていることに気がついた。

麻子も感染している。

おそらく、今朝からだろう。



「さっき言ってた、違うっていうのは?」



圭太が麻子を警戒しながら尋ねる。

そう言えば、そんなことを言っていたっけ。



「先生は誰かを襲ったりはしてないよ。別の感染者が、非感染者を襲おうとしてたの。先生はそれを止めようとして、巻き込まれた」



麻子が倒れている先生に視線を向ける。



「そのカッターナイフは非感染者がご信用に持ってたものだったの」



麻子の声は震えている。



「先生は感染してたけど、人肉なんて食べなかった。どれだけお腹が減っても、食べなかった」



麻子はブツブツと呟くように言って保健室の中へ戻っていく。

私は開けられたドアから中の様子を確認した。

そこには倒れている男子生徒の姿が見える。



意識を失っているだけのようで、胸元が上下しているのが見えた。



「カッターナイフを持ってた非感染者だよ」



麻子は男子生徒を見下ろして説明した。

そしてその喉が上下にゴクリと動く。



「私も我慢してた。先生と一緒に水だけ飲んで……。でも、もう……」



麻子が震えながら男子生徒の横に膝をつく。

男子生徒が苦しげにうめき声を上げて寝返りを打った。

もう少しで目を覚ましそうだ。

麻子がこちらへ視線を向けて、大粒の涙を頬に流す。



「私はダメ。もう、我慢できない!」



次の瞬間。

男子生徒が目を開くのと麻子がその首に噛み付くのは同時だった。

男子生徒の絶叫が保険室内に響き渡る。

麻子は男子生徒の首の肉を引きちぎり、恍惚とした表情で咀嚼するとゴクンッと喉を鳴らして飲み込んだ。



「くそっくそっ! 化け物め!」



男子生徒が闇雲に麻子を殴りつける。

麻子はひるむことなく再び噛み付く。


男子生徒は絶叫しながら麻子の頬を殴りつけた。

ゴキッと嫌な音がして、麻子の顔面が歪む。



頬骨が折れたことにも気がついていないのか、麻子は今度は男子生徒の足に噛み付いた。

アキレス腱を引きちぎり、咀嚼して食べる。



「助けて、助けてくれ!」



歩けなくなった男子生徒が助けを求めてこちらへ視線を向ける。

でも……。

オイシソウ。


ゴクリと唾を飲み込んで私は男子生徒に背を向けた。

麻子の空腹感は自分が一番よく理解している。

それに、これ以上見ていると私も耐えられそうになかった。


保健室を出てドアを後手に閉めると、私は圭太の手を握りしめて「行こう」と、その場から逃げ出したのだった。


☆☆☆


「麻子と行動しなくていいのか?」



保険室内の光景を見ていたはずの圭太がそう声をかけてきたので私は曖昧にうなずいた。



「ここは鍵をかけておけば安全だと思う。しばらく食料もありそうだし」



少なくても、私達みたいになんの目標もなく校内にいるよりはマシだと思えた。

それに、これ以上麻子の食事風景を見ているとこちらの空腹を押さえられなくなってしまう。

うしろ髪を引かれる気持ちになりながらも私達はまた歩き出した。


昇降口周辺では倒れている生徒たちの姿が極端に少なく、けれど血溜まりがあちこちに広がっている。

それを見ていれば自衛隊員たちが近くで死んでいった生徒や先生を運び出していたことがわかった。



「麻子を見つけることはできたけれど、これからどうすればいいか……」



麻子を見つけるという目標を果たすことはできたけれど、その後どうするかは考えていなかった。

学校内で生き残っている生徒たちがどれくらいいるのかもわからない。



「とにかく、どこか座れる場所を探そう」



校内を歩き回って疲れたのか、圭太がそう提案した。



自然と浮かんでくるのは自分の教室だけれど、また3階まで上がるということは階段の途中の死体などを見なければならないということだ。

それは避けたくて、私達は1階にある音楽室へと向かった。

高校に入学してから音楽は選択科目になり、私も圭太もこの教室へはまだ1度も入ったことがなかった。



「こんなことでもないと、入らなかった場所だな」



圭太がそう呟いて分厚いドアを開く。

音楽室の床には柔らかな赤いマットがひかれていて、フカフカして踏み心地が良い。

音を吸収させるためか、壁も通常の教室とは異なっているみたいだ。



「ここなら横になっても大丈夫そうだね」



学校内に保健室のベッド以外で横になれそうな場所はそうそうない。

私は嬉しくなって柔らかな床の上に座り込んだ。


そのまま横になってしまおうかと思ったが……グジュッ。

手のひらに嫌な感触がして咄嗟に床から手を離す。

その手の平は真っ赤に染まっていたのだ。



「え……?」



一瞬なにが起こったのかわからなくて頭の中が真っ白になった。

私の手、どうしてこんなに赤くなってるの?

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