第15話

そしてトイレから出ようとしたとき、バンッと勢いよくドアが開かれていた。

内開きのドアにぶつかってしまいそうになり、慌てて避ける。

入ってきたのは女子生徒だった。


顔色が悪くて足元がふらついている。

感染者だろうか?

身構えたそのときだった。


彼女はフラリと体のバランスを崩してそのまま床に倒れ込んでしまったのだ。

トイレの冷たいタイルの上でうめき声が上がる。



「大丈夫?」



見知らぬ顔だけれど、ほっておくわけにはいかない。

私はすぐに膝をついて彼女に声をかけた。



「お腹が減って、メマイがして」



その説明に私は彼女の足に注目した。

スカートの裾から見えているのは白い太ももに現れた赤い斑点だ。



「あなたは食べないの?」


「人の肉なんて、絶対に嫌!」



倒れながらも彼女はそういい切った。

そこには強い意思を感じる。



「人肉なんて嫌。でも……あなたからいい匂いがするのはどうして?」



私を見上げて彼女は首をかしげる。

咄嗟にポケットにかくしてある人肉に意識が向かう。



「な、なんのこと?」


「あなたも感染してるんだよね? なのに、どうして非感染者の匂いがするの?」



鼻がきくのだろう。

くんくんと犬のように私の体をかいで確認してくる。



「なにかの間違いじゃない?」



感づかれるわけにはいかない。

これは、唯一の私の食料なんだから。


私は自分でも気が付かないうちに、ポケットの中の肉片を守るために彼女をおいてトイレから出たのだった。



☆☆☆


トイレで倒れていた彼女が言っていたように、よく鼻をきかせてみれば学校内のあちこちからいい匂いが立ち込めている。

廊下も教室も血溜まりだらけなのだから、当然のことだった。

私はまるで宝物のようにスカートのポケット肉片を忍ばせて、教室へ戻ってきた。

そこには先に戻ってきていた圭太の姿がある。

圭太は窓辺に立って外の様子を確認していた。



「自衛隊の姿が増えたな」



街の方へ視線をむけてみても、あちこちに迷彩柄の車が停まっているのが見える。



「お母さんたち、大丈夫かな」



1度連絡を取り合ったきり、それ所ではなくなってしまった。

座り込んでスマホを確認すると、麻子からメッセージが届いている事に気がついた。



《麻子:薫ちゃん、今どこにいるの? 私ひとりぼっちだよ。どうすればいいかわからないよ》



麻子の姿は学校内が混乱に包まれる前に見ただけで、それ以降確認できていなかった。

私はすぐに麻子へ電話をかける。

しかし、呼び出しの音楽が流れるばかりで出る気配はない。

もしかしたらどこかで隠れていて、通話できない状態にいるのかもしれない。



《薫:こっちは大丈夫だよ。どこにいるの?》



メッセージに気がついてくれれば、きっと連絡してきてくれるはずだ。



「ニュースを確認できるか?」



圭太に言われて私はウイルスについて検索をかけた。

検索結果は更に増えていて、一番上に表示されたニュースサイトを確認してみるとこの街の感染者数は半数を超えていることがわかった。


それも、自衛隊員が把握しての数だから、本当はもっと多いはずだ。

そのサイトにはニュース番組の動画も配信されていた。

再生ボタンをタップしてみると、防護服を来た医師たちが院内で忙しく立ち動いている様子が映し出された。



『この病院では感染者たちが次々と運び込まれています。ですが感染者たちの症状は体力の低下や体調不良などではありません。異常なまでの空腹感です』



映像の中では感染者たちが医師を襲おうと暴れていて、それを数人がかりで取り押さえている。

1人の医師が注射器を取り出して、透明な液体を感染者に流し込む。


感染者は駐車を打たれた直後は暴れていたものの、すぐにおとなしくなって座り込んでしまった。

鎮静剤でも打ったんだろうか。


そう思って画面を確認し続けていると、一瞬だけ座り込んだ感染者の顔が見えた。

男性感染者は口から泡を吹いて白目を向いている。



とても呼吸しているようには見えなかった。



「なにこれ!」



驚いて動画を静止してしまう。

画面はリポーターへ移り変わったところで止まった。



「ちょっと戻そう」



圭太が手を伸ばして動画の下にあるスクロールバーを移動させる。

そこから再生ボタンを押すと、医師が注射をするシーンが映し出された。



「ここだ!」



一瞬で終わる問題のシーンで静止させて画面をマジマジと見つめる。

やはり感染者が生きているようにはみえない。



「安楽死させてるんだ」



圭太がボツリと呟いた。



「安楽死?」



あまり聞き馴染みのない言葉に首をかしげる。



「苦痛を与えずに殺すことだよ。主に余命が短いと診断された患者に行うもので、日本では行われていない医療行為だよ」


「でもこの医師は安楽死させてたよね?」



「あぁ。しかもネットニュースで動画で流れるなんて、考えられないことだと思う」



普通ならば大問題に発展する殺人事件だ。

けれど、それを咎めるような書き込みはどこにも見られない。



「もしかしたら、このウイルスの感染者にだけ特例が出されたのかも知れない。安楽死させてもいいって……」



圭太の憶測に全身が震え上がる。

医師までが患者を殺すようになったら、もう感染者たちの行き場は失われてしまう。

感染者はすでに人間ではないという扱いなのかもしれない。



「早く薬が開発されないと、この街は壊滅する」



もう半分の人が感染者となっているのだ。

そうなる日も近い。



「人を食べるか、自分が餓死するか」



私は自分の立場からそう呟いた。

圭太と目を見交わせる。

感染しても地獄。


感染しなくても地獄。

ここに逃げ道なんてないのかもしれない。





それから私達は寄り添うように座って少しの間眠ってしまったようだった。

全身に疲れが蓄積されていて、少し休息が必要だったんだろう。

目を覚ましたときには太陽が傾き始めていて、街の色合いが変わっていた。



「もう夕方か」



時計を確認して圭太が呟く。

時刻は5時前を差していた。

いつもなら授業が終わって帰る時間帯だ。

2人して窓の外を確認してみると、グラウンドにいる自衛隊員の姿が少し減っているような気がした。



「自衛隊員たちも休憩や交代をしなきゃいけないからな……」



もはや自衛隊にどんな意味があるのかもわからない状況だ。

けれど、入り口には相変わらず銃を持った自衛隊員たちが待機している。



「もしかしたら、中の状況を報告するためにいるのかもしれないね」



感染は全く収まる様子を見せない。

このままでは自衛隊たちにだって感染のリスクがあるはずだ。

それでも建物から離れないのは、状況を上層部に報告する義務でもあるからかもしれない。



「それにしても、学校内が静かだよね」



あれだけ生徒がいたはずなのに、今はどこからも音が聞こえてこない。

スマホを確認してみるけれど、麻子からの返事も来ていなかった。

不安が胸に膨らんでいく。


麻子は1人きりでいるみたいだし、もしかしたらもう……。

血を流して倒れている麻子と、麻子の死体に群がる感染者たちの姿を想像してしまって、慌てて左右に首をふってその想像をかき消した。

変なことを考えてはいけない。


それが現実になってしまったら、きっと発狂してしまうから。



「心配か?」



麻子とのメッセージ画面を開いたままギュッとスマホを握りしめていたから、圭太が感づいたみたいだ。



「うん……」



ユカリとはもう全く連絡がつかなくなっている。

残っている友達は麻子だけだ。



「探しに行ってみるか」



質問しながらも圭太はすぐに立ち上がってバッドを握りしめた。



「でも、危ないんじゃない?」

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