第14話

オイシソウオイシソウオイシソウ。

タベタイタベタイタベタイタベタイ!



「違う!!」



思わず大きな声を上げていた。

ハッと顔を上げる。

さっきまで無心に食事をしていた男子生徒が動きを止めてゆっくりと顔を上げた。

そしてこちらへ振り向く。



「あっ」



小さく呟いて、その後は言葉が続かなかった。

口の周りをベッタリと血に染めたその人は、私達のよく見知った人だったから。



「純一」



圭太の声が震える。

純一が食べていたのは担任教師だということがわかった。

先生は白目を向いてすでに呼吸を止めている。



「純一、お前なにしてんだよ!」



圭太が純一の胸ぐらを掴み上げる。

純一はされるがままに立ち上がった。



「なんだ。圭太か」



純一は含み笑いを浮かべて圭太を見つめる。



「一緒に食べるか?」



先生の死体を見下ろして誘う純一に圭太の目に涙が浮かんできた。



「何言ってんだよ! 食べるわけないだろ!」



圭太の叫びに純一の表情が変わる。



「もしかして、まだ感染してないのか?」



その質問に圭太は答えなかった。

純一が、自分の友だちが人を食べているのがショックで、なにも考えられなかった。



「どうしてお前は感染してないんだ?」


「知らねぇよそんなの!」



圭太は純一の体を突き放す。

純一は数歩後ずさりして踏みとどまった。

そして今度は視線が私へ向かう。


純一の視線が『薫は感染していないのか?』と聞いているのがわかった。

私は腕まくりしたままの腕を純一へ見せた。



「薫は感染してるのか」



その声色はどこかホッとしていて、まるで感染していない方が異常だといいたげだった。



「それなら、薫も食べるか?」



質問されてゴクリと喉がなる。

本当はメマイがするほどの空腹を感じている。

もう、いくら水を飲んだって無意味だった。



「私は……大丈夫だから」



喉から手がでるほどに欲しい食事を断り、後退りをする。

これ以上ここにいれば我慢ができなくなる。

圭太の前で人肉を食べることになってしまう。



「そっか……。じゃあ、頑張れよ」



純一はそう言うと一歩前に出て私に手を差し出してきた。

差し出された手に一瞬躊躇した後、握りしめる。


友達とこうして握手したことなんてなかったから、なんだか妙な気持ちだ。

でも、これは純一なりの気持ちなんだろう。



「あ……りがとう」



私は震える声でそう伝えて、純一から手を離したのだった。


☆☆☆


それから私と圭太は2階の誰も居ない教室で座り込んでいた。

圭太は純一のあんな姿を見てしまったのがショックだったようで、少しも口をきこうとはしなかった。

私は窓から外のグラウンドの様子を確認した。


そこには学校内から運び出されていく負傷者たちの姿が見える。

みんな自衛隊員たちに抱えられて、動いている者は1人もいない。



「自衛隊員たちが学校内にもいるんだ……」



その姿はまで見ていなかったけれど、できる範囲で遺体を回収しているみたいだ。

その遺体の中には感染者も混ざっているようで、感染者たちの死体は黒いビニールに入れられ、密閉されていく。

あれじゃまるでゴミ扱いじゃない。


その様子を見て胸の内側が痛くなる。

感染したくてしたわけじゃないのに、死んだ後の扱いもあんなふうになってしまうなんて、信じられなかった。

他の人たちを守るためだと言っても、気分はよくない。



「なにを見てるんだ?」



少し落ち着いたのか、圭太がそう聞いてきた。



自衛隊員たちが死体を運び出していると説明すると「感染者も死んでるのか?」と、自分も窓の外を確認しはじめた。



「人を襲ってるんだから、殺される前に殺そうとする人がいてもおかしくないよ」



感染者たちがウイルスのせいで死んでしまったとは思えない。

殺されたのだろうけれど、それはすべて正当防衛になるだろう。



「そうだよな」



圭太は深い溜息と共に言葉を吐き出す。



「悪い。ちょっと、トイレ」



やはり気分が優れないのか、圭太は1人で教室を出ていってしまった。

もしかして感染している私と一緒にいたくないんだろうかと、予感がよぎる。

誰だって、自分を食べるかもしれない人間と一緒になんていたくないはずだ。


それなのに圭太はずっと私と一緒に行動してくれている。

その優しさに答えたいという気持ちと、抗うことが難しくなってきている空腹感の間に私はいる。

純一が握手してきた右手はまだギュッと握られたままで、私はその拳をそっと開いて確認した。


あの瞬間、純一が私に手渡してくれた肉片がそこにはあった。

手を開いた瞬間からいい香りがフワリと香る。

お腹がグーッと派手に音を立てて、咄嗟に左手で胃の当たりを押さえつけた。

ダメだ。



これ以上我慢することはできない。

本当に倒れちゃう。

教室のドアへ視線を向けても圭太が戻ってくる気配はない。


今なら食べられる。

この肉を口に入れて、すぐに飲んでしまえば圭太には気が付かれないはずだ。

ゴクリと唾を飲み込む。


手の中の小さな肉片に唾液がどんどん溢れ出してくる。

震える口をゆっくりと開いて肉片を近づいけていく。



タベロ。



タベロタベロタベロタベロ!!


☆☆☆


「うっ! ごほごほ!」



一気に水を飲み込んだせいで気管に入り咳き込んでしまった。

けれど続けてガブガブと水道の水を飲み込んでいく。

肉片は、結局食べることができなかった。


どれだけお腹が空いていても、それが人間の肉だと考えると口に入れることができなかった。

トイレで水をがぶ飲みしながら涙が溢れだしてくる。

今の自分はなんで無様なんだろう。


なんで情けない姿なんだろう。

いっそ、パンを悔いいっぱいに頬張ってアナフィラキシーで死んでしまった、あの感染者のようになれればいいのにと思う。

けれど私はあんな風にもなれなくて、さっきの肉片を捨てることもできずにいた。


肉片は、スカートのポケットにねじ込んでしまった。

お腹がちゃぽちゃぽになるまで水を飲んでようやく顔を上げる。

あの強烈な空腹感はなくなっているけれど、それもつかの間だとわかっていた。

私はまた空腹感に苦しむことになるんだろう。


こんなのは一時のしのぎにしかならない。



「教室に戻らないと。圭太が心配するかもしれないし」



鏡の中の自分にそう言い聞かせて濡れた口元をブラウスの袖で拭う。

ひどい顔色をしているけれど、それはもう仕方ないことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る