第11話

ペットボトルの水を半分まで入れて、私は女子トイレから飛び出したのだった。

女子トイレから出るとあれほど沢山いた生徒たちの姿が少なくなっていた。



「どうかしたの?」



待ってくれていた圭太へそう聞くと「さっき、グラウンドに自衛隊のヘリが来たんだ」と、廊下側の窓から外の様子を見つめた。



「ヘリ?」



窓に近づいて外を確認してみるけれど、ここからではグラウンドの様子が見えない。



「食料を届けに来たみたいだ」



食料と聞いて人肉を貪る生徒たちの姿を思い出したけれど、すぐにその光景を打ち消した。

自衛隊が持ってきた食料は感染者用の食料ではない。

非感染者の、普通の食料に決まっている。

わかっていたはずなのに、ガックリと肩を落としてしまいそうになる。



「それなら取りに行かないと」


「俺はまだ大丈夫だから」


「でも、なくなっちゃうかもしれないよ?」



生徒たちが一斉に食料に群がっていたとすれば、圭太の分なんてすぐになくなるはずだ。



「それは大丈夫だと思うけど……」



そう言ったとき、バタバタと足音が聞こえてきて視線を向けた。

そこには1人の男子生徒が両手にパンやおにぎりを抱えて走ってくる。

男子生徒は私達の姿に気づくことなく、空いている教室へ飛び込んだ。


様子が気になってドアを少し開けて覗き込んでみると、男子生徒は大量の食べ物を開けて次々と口へ運んでいく。

そんなにお腹が減ってたんだろうか?

いつまでここに閉じ込められているかもわからないから、もっと大切に食べればいいのに。

そう思っていると、突然男子生徒が咳き込み始めた。


最初は一気に食べたことで喉につまらせたのだろうと思っていたけれど、様子がおかしい。

男子生徒は咳き込みながら横倒しに倒れ、顔が真っ青になっていく。

呼吸もヒューヒューと嫌な音がし始めた。



「ちょっと、大丈夫!?」



見かねて教室へ飛び込んで声をかける。

男子生徒は自分の喉をかきむしりながらのたうち回っている。

そのせいで上のシャツがまくれ上がり、赤い斑点が出ている皮膚が見えてしまった。



「感染してる!」



思わず声を上げて彼と距離を開けてしまう。

自分もすでに感染しているけれど、条件反射だった。



「空腹に耐えられなかったんだ」



圭太が静かな声で呟いた。

男子生徒はしばらくその場で痙攣を繰り返していたが、やがて怠慢な動きになり、そして完全に止まってしまった。



「嘘でしょ……」



口から泡を吹いて白目をむく男子生徒に恐怖心が湧き起こる。

人肉以外のものを食べたらこんなにもあっさり死んでしまうの?

それじゃ、自衛隊員に連れて行かれたユカリはもう……?



「これはもらっておこう」



男子生徒が手をつけなかったおにぎりを3つ、圭太が手に持った。



「少し、食べてみるか?」



圭太がおにぎりを差し出してくる。



喉が自然とゴクリと音を立てる。

恐る恐る受け取ったおにぎりにはサケとパッケージに書かれていた。

感染前には普通に食べていたおにぎりだ。


これを一口でも食べることができれば、この猛烈な空腹も弱まってくれるだろうか。



「無理はしなくていい。少し口に含む程度で」



圭太の言葉を半分ほど聞いたところで、私はフィルムを剥がしておにぎりを口に入れていた。

瞬間、海苔の芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。

おいしい……。


そう感じたのはほんの一瞬の出来事だった。

次の瞬間には土を口に含んでいるようなひどい不快感を覚えた。

舌の上に広がる米の食感は、へどろのようで、咄嗟に吐き出していた。



「うっ!  げほっげほっ」



吐き出した後も土の香りが残っていて、無理やり水を飲んでそれをごまかす。



「なにこれ、すごくマズイ……」



まるでサケおにぎりの味なんてしなかった。

これは人の食べ物じゃない。



「口に入れただけでダメなのか」



「土みたいな味がした」



そう言って死んでしまった男子生徒へ視線を向ける。

それでもパンを口いっぱいに頬張った彼は、人だけは食べないと決めていたんだろう。

その優しさが切なくなる。



「そっか……」



圭太が苦しそうに眉根を寄せる。



「圭太は気にしないで、ちゃんと食べてね」



そう伝えても、圭太は無言で手の中のおにぎりを見つめているだけで、口にしようとはしなかったのだった。




警戒しながら廊下へ出るとあちこちに血溜まりができている。

しかし人や死体の姿はなく、残っているのは骨と死んだ人間が着ていた制服だけだった。

胸元のネームを確認しなければ、その死体の性別すらもわからなくなっている。

それくらい綺麗に平らげられているのだ。



「本当にすごい食欲なんだな」



血溜まりの中に放置された制服を見て圭太が呟く。

血溜まりの中には肉片のひとつも残されていない。



「うん……」



私はその血を飲み干してしまいたいという欲望をどうにか押し込めて同意する。

さっきから空腹で微かにメマイを覚え始めていた。

このままでは倒れてしまうかもしれない。



「グロくないのがまだ幸いだ」



圭太は口元に手を当てて、再びあるき出したのだった。


☆☆☆


ふたりでやってきたのは昇降口だった。

まだ物資が残っているかどうか、念の為にかくにんすることになったのだ。



「でも、なんかおかしいよな」



1階へと階段を降りながら圭太が首をかしげている。



「おかしいって、なにが?」


「だって、まだ昼過ぎだぞ? 食料なんて、まだまだ残ってるはずだけどな」


「物資が届くのが早すぎるってこと?」


「俺はそう思う。何日も学校に監禁されていたわけじゃないし、感染者は食べられないんだから、そんなに簡単に食糧難になるとは思えないよな」



そう言われればそうかもしれない。



「自衛隊の人たちって昨日からこの街を警戒してたよね。だから、事前に用意されていたんじゃないかな?」



私達が学校に登校してきてからすぐに街は封鎖された。

昨日からその議論がかわされていたとしてもおかしくはない。



「その自衛隊の動きも早すぎると思うんだ」


「え?」



思わず足を止めて聞き返す。



圭太は真剣な表情で顎に手を当てて考え込んだ。



「新種のウイルスが発見されても、街を封鎖させるなんてそう簡単なことじゃないと思うんだ。まずはどういうウイルスなのか研究して、それがどれだけ驚異的なのか調べる。それから街を封鎖するかどうかの議題に入る。こういう流れじゃなきゃ、おかしいだろ? それなのに、今回は異様に早く封鎖された気がするんだ」



確かに、ウイルスに関する情報がまだあまり出ていない段階から、街が封鎖されていたかもしれない。

圭太が言う順番が狂っている。



「それってつまり、どういうことになるの?」


「これはただの憶測だけど、もしかしたらウイルスがこの街に充満することが事前にわかっていたのかもしれない」



その言葉に目をむく。



「なにそれ。それじゃあ誰かが意図的にウイルスを撒いたってこと?」


「わからないけど、その可能性もあるかもしれないってことだ」



圭太は再びあるき出し、私はその後をついていく。

もしも圭太の言う通り誰かが意図的にウイルスをばらまいていたのだとすれば、それは一体なんのため? そして誰がしたことだろう。

考えてみてもなにもわからない。

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