第10話
☆☆☆
どうにか生徒たちの波から抜け出した私達だったけれど、廊下はすでに大混雑を起こしていた。
我先に逃げ出そうとしている生徒たちが前へ進むことができない。
「薫、こっちだ!」
しっかり手を握り合っていた圭太に引っ張られて隣の教室へ転がり込む。
ここの生徒たちも外へ出ようと考えたのだろう、教室内には数人の生徒の姿しか残っていなかった。
「ひとまずここにいれば安全だろ」
圭太は疲れ切った様子で近くの椅子に座り込んでしまった。
自分たちの教室へ戻ることもできないし、仕方がない。
麻子の姿を確認することができなかったのだけが、気がかりだ。
しばらく椅子に座っていると少しずつ気持ちが落ち着いてくる。
そうするとまた空腹感が私を襲い始めていた。
大切に持っていたペットボトルの水を口に含んでゆっくりと飲み込む。
なんの味もしない水だけれど、圭太が準備してくれたというだけで特別感がある。
「大丈夫か?」
「うん。まだ、どうにか」
本当はずっと空腹を我慢している状況だったけれど、私は頷いて見せた。
水の他に食べられるものは人肉しかない。
そんなものを食べるなんて、絶対に嫌だった。
教室の隅の席を借りて座っていた私達に、もともとこの教室にいた1人の男子生徒が近づいてきた。
「君も感染してるの?」
そう聞かれて思わず身構える。
大谷くんのように感染者を攻撃するつもりじゃないだろうかと、不安がよぎった。
その不安は顔にも出ていたようで、男子生徒は笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ。今ここには感染者しか残っていないから」
そう言って教室にいる数人の生徒へ視線を向けた。
「僕たちが感染しているとわかって、みんな逃げ出したんだ」
「そうなんだ……」
自分たちに危害を加えることはなさそうなので、ひとまずホッと胸をなでおろす。
「そっちの彼も感染者だよね?」
当然という様子で尋ねられて圭太が一瞬返事に詰まる。
けれどすぐに「あぁ、そうだよ」と、頷いた。
ここでは感染者として振る舞ったほうがよさそうだ。
私と圭太は目配せをして頷きあった。
私達のクラスでは感染者を排除する動きになったけれど、このクラスでは感染者から逃げる手段を取ったみたいだ。
どれだけ逃げたって、学校内から出ることはできないけれど。
「ところで、お腹は減ってない?」
小首をかしげて質問されて私は思わず頷きそうになる。
だけど圭太がいる手前「大丈夫だよ」と、答えておいた。
「そっか。これから食事をする予定だったんだけど、君たちはまだ大丈夫そうだね」
そう言われて他に残っている子たちが、一箇所にとどまって動かないことに気がついた。
私と圭太が教室へ入ってきたときに、少し視線を投げてよこしただけだ。
「食事って?」
好奇心からそう質問した。
「見てみる?」
そう言われて私と圭太は素直について歩く。
みんなが集まっている場所へ移動してくると、その中心に猿ぐつわを噛まされた男の先生が転がっているのが見えた。
確か、このクラスの担任だ。
先生は猿ぐつわを噛まされているだけでなく、手足をロープで縛り上げられている。
視線がぶつかった瞬間くぐもった声が漏れ出た。
『助けてくれ!』と言っているのがわかる。
だけど私の体は硬直してしまって少しも動くことができなかった。
「先生、助けを求めても無駄だよ? この2人だって感染してるんだから。でも先生のことは食べないって言ってるから、よかったね? きっと、感染してまだ時間が経ってないんだろうね」
男子生徒は淡々と説明しながら、ロッカーから銀色のフォークを取り出した。
どこから持ってきたのか、生徒たちの手にはスプーンやフォーク、ナイフが準備されている。
「これ、調理室から持ってきたんだ」
そう言ってなんの躊躇もなくフォークを先生の眼球に突き刺した。
ブスッと小さな音がして、先生の体がビクンッと跳ねる。
他の生徒たちが先生が暴れないように体を押さえつけた、
次に男子生徒はフォークを引き抜き、ズルリと眼球を取り出すとそのまま口の中へ放り込んだのだ。
そして恍惚とした表情を浮かべる。
「人の眼球ってさ、みずみずしくて美味しいんだよ。和菓子の水まんじゅうとか、あんな感じ」
モゴモゴと口を動かしながら説明する男子生徒に、思わず喉が鳴る。
お腹……減った……。
「君も食べる?」
小首をかしげてフォークを差し出され、思わずそれを手に取ってしまいそうになる。
必死で左右に首を振り「本当に大丈夫だから」と、微笑んだ。
「そう? 美味しいのに」
他の生徒たちも先生の体にナイフを突き立てて、その肉を美味しそうに頬張っている。
それはまるで高級レストランで食事をしているような、優雅さだった。
噛みちぎって引きちぎるような野蛮さは少しも感じられない。
こんな風に食べるのであれば大丈夫じゃないかという思いがふと脳裏によぎった。
なにも口の周りを血に濡らしながら食事をする必要なんてない。
感染者にだって自我はあるんだから、ちゃんとした振る舞いができる。
「薫、行こう」
圭太に言われて私は「え?」と聞き返してしまった。
圭太は蒼白で、また気分が悪くなったのか胸の当たりを押さえている。
それを見てようやくこの光景に気持ち悪くなってしまったのだと理解した。
「そ、そうだね」
私は慌てて立ち上がる。
「あれ? 一緒にいればいいのに」
男子生徒の言葉が甘い誘惑のように感じられる。
ここにいればきっと私はうまくいく。
みんなで獲物を捉えて、上品に食事を楽しむことができるだろう。
でも、無理だった。
圭太は感染していない。
それがバレたとき、きっと彼らに食料にされてしまうだろう。
「ごめんね。また、今度ね」
私はそう言葉を残して、後ろ髪を引かれる思いで教室を出たのだった。
☆☆☆
「あんなの普通じゃない。まるでゾンビだ」
廊下に出ると騒ぎは幾分か落ち着いていて、歩けるスペースができていた。
「そうだよね……」
自分も今すぐにでもあんな風になってしまうかもしれない。
例えば目の前を歩いている見知らぬ生徒の首すじに噛み付くことができれば、どれだけ満たされるだろうか。
「フォークとナイフを使ったって、食べてるのは人の肉だぞ? 信じられない」
圭太が溜息と同時に左右に首をふる。
同意してあげたかったけれど、今の私には彼らの気持ちの方がよく理解できる。
人の眼球はおいしい。
みずみずしい。
その言葉を何度も思い出して、何度も唾を飲み込む。
気を紛らわせるためにどれだけ水を飲んでみても、癒やされることがない。
いつの間にかペットボトルの中は空になってしまっていた。
「ごめん、ちょっと水を入れてくるね」
圭太に言いおいて近くの女子トイレのドアを押し開く。
途端に中から鉄の匂いが流れ出てきて私は目を向いた。
女子トイレの床に倒れている生徒がいる。
足がこちらを向いていて顔はわからない。
スカートが乱れて白い太ももが見えている。
「大丈夫?」
恐る恐る声をかけてみても返事はなく、また呼吸音も聞こえてこない。
回り込んで確認してみると、女子生徒の頭部から血が流れ出ている事に気がついた。
その血は排水溝へ向けてチョロチョロと流れていく。
しゃがみこんで顔を確認してみるけれど、私の知らない子だった。
麻子じゃなかったことに胸をなでおろすが、すぐに女子生徒の首に赤い斑点が出ているのを発見してしまった。
この子、感染してたらここで殺されたんだ!
頭をなにか硬いもので殴られたんだろう。
感染者同士が食べ合う光景はまだ見ていないし、倒れている子が食べられた様子もない。
残る可能性は大谷くんのように感染者を殺害した生徒がいるということだ。
私は数歩後ずさりをして、すぐに洗面台にとびついた。
殺人犯はまだ近くにいるかも知れない。
感染者が1人になったときを見計らって襲っているのかも知れない。
そう思うともう一刻もこの場にいることはできなかった。
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