第9話

「体調はどうだ?」


「大丈夫。とくに、なにもないから」


そう答えるものの、本当は空腹感がどんどん増している。

普段からこのくらいの時間帯になるとお菓子でも食べたくなるけれど、今日はちょっと小腹が空いたとか、その程度の空腹感ではない。

朝食べてきたものはすでに消化仕切ってしまい、胃の中は空っぽ同然のような空腹感だ。



「ニュースでは空腹感があるとか言ってたけど、それは?」



聞かれて返事に詰まってしまった。

初期の微熱のような体のダルさはとっくの前に収まり、今は次の段階へと進んでいる。



「だ……大丈夫だよ。そう言えば、水は大丈夫って聞いたよね?」



水を飲むことで少しは空腹感もごまかすことができるはずだ。



「そうだったな。ペットボトルを空にして入れてこよう」



圭太はそう言い、一旦自分の席へと戻った。

持って戻ってきたのはまだ封を開けていないお茶のペットボトルだった。



「ちょっと待ってて」



私にそう言い置いて1人で教室を出る。

教室の外は危険なんじゃないかと懸念してけれど、圭太はすぐ近くのトイレに入っていった。



「俺たちいつまでここにいればいいんですか? 帰宅はできないんですか?」



冷静な声で質問をしているのは直だ。

直は真剣な表情で先生の返事を待っている。



「今、出入り口には自衛隊の人たちがいます。まだ、外へでることはできません」



先生は疲れ切った声色で返事をする。



「感染者だけ隔離することはできないんですか?」


「感染力が強すぎて不可能です。先生だって、もう感染しているかもしれなません」



答える先生の顔がスッと青ざめる。

自分が感染していたらと考えて、つい顔に出てしまったみたいだ。



「今日は通常授業はありません。帰宅もできません。みなさん、感染しないように気をつけて……」



先生はボソボソと呟くようにそう言うと、逃げるように教室から出ていってしまったのだった。

その姿を見て非難する生徒たちもいる。

どうにかしろと叫ぶ生徒もいる。


だけど本当は先生たちになにかができる状況ではないことがわかっているはずだ。

どれだけ助けを求めてみても、教師だって人間でしかない。

医療関係者ですら困惑している今の状況を変えられるのは、もっと大きな存在でしかない。


先生がいなくなった教室内はあちこちから不平不満の声が漏れ出す。



中には普段の憂さ晴らしでもするかのように椅子や机を持ち上げて壁投げつけはじめる生徒もいる。

ここにいたら危ないかも……。

そう思ったとき、圭太が戻ってきた。

手には水がたっぷりと入ったペットボトルが握りしめられている。



「これで少しはマシになるかも」


「ありがとう」



差し出されたペットボトルにすぐに口をつけ、一気に飲み込んでいく。

喉を鳴らして半分くらいまで飲んだところで、ようやく口を離した。

少しは空腹感が和らいだようにも感じられるけれど、それもつかの間のことだろう。

私のお腹は水だけではいっぱいになれないくらい、空腹を感じている。



「少しマシになったよ。ありがとう」



圭太の気持ちを踏みにじりたくなくて微笑む。

圭太の表情も少し柔らかくなった。



「よぉし! 感染してるやつら、こっちに集まれよ!」



そんな声が聞こえきて視線を向けると、クラス内で1番乱暴者と言われている大谷くんが窓の近くに立って教室を見回していた。

大谷くんの周りには友人が3人待機している。



「まずは感染しているかどうか、シャツを脱いで確認するんだ」



大谷くんはそう言うと自らのシャツを脱ぎ始めた。

そこにはよく日焼けしたまっさらな肌が出現する。



他の3人も同じようにシャツを脱いで、自分たちは感染していないことを示している。



「感染者を集めてなにするつもりだ?」



聞いたのは純一だった。

怪訝そうに眉を寄せている。



「幸いにもここは3階だ。地面はコンクリートだし、窓から落ちれば死ぬことができる。感染者たちには悪いけれど、今ここで飛び降りてもらう」



なんでもないことのように言ってのける大谷くんに教室内が静まり返る。

教室の温度が1度下がったように感じられた。



「なに言ってんだよ。むちゃくちゃだぞ」



純一が反論するけれど、大谷くんはニヤついた笑みを浮かべて首をかしげる。



「他にどんな方法があるんだよ? 俺は感染者が他の生徒を食ってるところを見たんだ! 黙って食料になるつもりか!?」



唾を飛ばして怒鳴る大谷くんに、後方に座り込んでいた女子生徒2人が泣き出してしまった。



「なんでもします。だから殺さないで……」



震える声でそう懇願する2人に大谷くんが近づいていく。



「そう言えばお前ら感染者だっけな?」



そう言われて2人はシャツの袖を元に戻す。



しかし大谷くんは気にする素振りもみせず、1人の襟首を掴んで引き寄せた。

ブラウスの第一ボタンが外れ、そこから体を覗き込んだ。



「ちょっと、やめなよ!!」



女子が非難の声を上げる。



「感染者に下心なんで出すわけねぇだろ」



大谷くんは吐き捨てるように言うと、女子生徒の腕を掴んで引きずるように窓辺に近づいていく。



「ねぇやめて。お願い。なんでもするから」



か細い声で懇願する女子生徒は無力に窓の前まで連れてこられてしまった。



「なんでもする? じゃあ、ここから飛び降りろよ」



大谷くんの命令に女子生徒の頬に涙が伝う。



「それは嫌。それだけは……!」


「うるせぇ! なんでもするって言ったのは自分だろうが!」


「だって……」



恐怖で全身が震えて立っていることもできない状態なのに、大谷くんは追い詰めるように女子生徒の体を窓へ向けて押す。

女子生徒は思わず両手を窓のさんに置いて体のバランスを保ってしまった。


それを見越していたのだろう。

大谷くんは女子生徒の背後に回ると両足を抱え上げたのだ。

小柄な女子生徒の体はふわりと宙を浮く。



「いいか? これはお前が自分の意思でやったことだからな?」



大谷くんの声と「やめて!!」と叫ぶ声が重なり合い、次の瞬間、窓の向こう側に女子生徒の姿が消えていた。

次いでドシャッと重たいものが落下したような音が窓の外から聞こえてくる。



「イヤァ!」



教室でその様子を見てしまった誰かが悲鳴を上げて逃げ出す。

それにつられるように次から次へと生徒たちがドアに殺到していき、なかなか出られない状況になってしまった。

大谷くんが大股に近づいたかと思うと、最後尾にいた男子生徒の襟首を後ろからつかみ、引き倒した。

そしてシャツをめくりあげて感染していないかどうか確認する。



「お前はセーフ」



ニタリとした笑みを浮かべたままで男子生徒を開放する。

開放された生徒はすぐさま教室の後ろへと逃げ出した。

大谷くんは同じようにドアに群がる生徒たちの感染を確認している。



「やめろよ!」



引き倒され、感染を確認された男子生徒が必死で抵抗して大谷くんの顔に爪を立てた。

ガリッと音がして大谷くんの頬から血が流れ出す。


けれど大谷くんはそれも気にせず、強引に男子生徒と立たせた。

今度は小柄な女子生徒とは違うから、仲間を使って両脇から挟み込むようにして歩かせている。



「助けて! 俺だって感染したくてしたわけじゃない! お前らだって、もう感染してるかもしれないんだぞ!」



必死の抵抗も虚しく、2人がかりで窓から突き落とされてしまう。



「くそっ。なんてむごい」



圭太が吐きそうな顔でうつむいたのでハッと我に返った。

ここにいたら危険だ。

私達まで巻き込まれてしまう。


窓の外から香ってくる血の香りについ引き寄せられてしまっていたことは、絶対に言えない。



「早く、ここから出よう」



私は圭太と共に席を立ったのだった。

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