第7話

馬乗りのなっている方の生徒には見覚えがあってポツリと呟く。

この学校では運動部に力を入れていて、特に柔道部員たちはみんな強い。

去年の地区大会で優勝した生徒だったはずだ。



「おい、なにしてんだ」



眉間にシワを寄せた圭太が近づこうとしたその瞬間だった。

柔道部の生徒が、羽交い締めにしている生徒の首に噛み付いたのだ。



「ギャアア!」



鼓膜をつんざくような悲鳴が廊下に響き渡り、ベリベリと肉片が噛みちぎられていく音が続く。



「やめろ! やめろよ!」



もがく男子生徒を高速したまま、くちゃくちゃと音を立てながら肉片を食べていく。

首から溢れ出した血が廊下に血溜まりをつくり、私はその場から動けなくなってしまった。



「うまい。これなら食べられる。これなら」



柔道部の生徒はぶつぶつと呟いて、更に男子生徒の体に噛み付く。

犬歯が太い血管を噛みちぎったようで、男子生徒は小さく悲鳴を上げたのを最後に力をなくしていく。



「食べれる。食べれる。うまい」



くちゃっ。


くちゃくちゃっ。


くちゃっくちゃっくちゃっ。


肉片を食べ続ける生徒の制服は乱れていて、その奥からは体に現れている赤い斑点が見えていたのだった。


☆☆☆


「うっ」



信じられない光景を目の当たりにした圭太が男子トイレへと駆け込んだ。

私はまだ呆然と立ち尽くして柔道部の生徒を見つめている。

柔道部の生徒は口の周りを真っ赤な血に染めながらも至福の表情を浮かべている。



「それ……美味しいの?」



聞くと柔道部の生徒が顔を上げた。



「あぁ。うまい。普通のものは食べられないけど、人間の肉はすごくいい匂いがしたんだ。これなら食べられるかもしれないと思った」



柔道部の生徒はしっかりとしか声色で答える。

別に、本人の意識がないとかそんな状態ではないみたいだ。

知らない間に自分の喉がゴクリと音を立てていた。



「いつから、そんな状態なの?」


「昨日かな? 朝はそうでもなかったけど、昼を過ぎたくらいからすごい空腹感があったんだ。だけどどんな匂いをかいでも美味しそうに思えない。吐き気がするくらいだった。唯一まともに口にできたのは水だけだったんだ」


「水だけ……」



やっぱりこの人も感染者なんだ。

そう理解すると全身が寒なっていって、両手で自分の体を抱きしめた。

廊下を汚す血の匂いが自分の食欲を加速されせているのがわかる。


だけど私はそれに気が付かないふりをした。

人肉が美味しいなんてそんなこと、絶対にありえない!





圭太がトイレから出てくるのを待って私達は今の現状を把握しようと努めた。



「学校内の感染はすでに広まってるみたいだな」



ひと気のない1階の空き教室へやってきて、圭太は呟く。

その顔は青ざめていて、ひどく悪い。

あんな光景を見てしまったんだから、当然のことだった。



「うん、そうだね。先生たちはもう授業どころじゃないってことだよね」


「感染者たちが全員さっきみたいになるのか?」


「それは……わからないけど」



噛みちぎられていく人肉を見たときに感じた空腹感については黙っておいた。

自分が誰かの肉を噛みちぎるなんて、考えたくもない。



「これから先どうする? 教室に戻るか?」



当初の予定は教室へ戻って友人らの様子を確認することだった。

だけど、今はまだ状況が変わってしまった。

学校に長く入ればいるほど、自分たちの命を危険に晒すことになるはずだ。



「学校から出た方がいいよね?」



友人らには、その後に連絡を取ればいい。



「そうだな。やっぱりそれが一番いいよな」



圭太は自分を納得させるように何度も頷いている。



ここよりも外の方がマシだという保証はどこにもない。

けれど、このまま学校にとどまっているよりは幾分生き延びる可能性が高くなる。


逃げればいいんだ。

逃げ続けていれば、きっと誰にも捕まることはない。



「行こう」



圭太が私の手を握りしめる。

私は力強く頷いたのだった。


☆☆☆


まず向かった先は空き教室から一番近い生徒玄関だった。

ここは1年生が使っている場所で、出入り口には5人もの自衛隊員が銃を持って警戒していた。



「あれってなにを見張ってるんだろう。やっぱり、私達なのかな」


「たぶん、そうだんだろうな」



答えながらも圭太はまっすぐに自衛隊員たちへ向かって歩き出す。

私は慌ててその後を追いかけた。



「ねぇ、大丈夫なの?」



後ろから小声で声をかける。



「近づいたくらいじゃ発砲なんてしないさ」



民間人をいきなり撃ち殺すようなことはない。

そんなことはわかっていたはずなのに、状況が状況なだけに不安が押し寄せてくる。


発砲されなかったとしても、真正面から向かっていって外に出られるとも思えない。

もっと、なにかいい方法はないだろうか……。

そう考えていたとき、不意に私達の横を駆け抜けていく女子生徒の姿があった。



「襲われてるの! 助けて!」



三編みをした彼女は叫びながら自衛隊員たちへ助けを求める。

襲われているということは、彼女は感染していない生徒なんだろう。

しかし、近づいてくる彼女へ向けて自衛隊員の1人が銃を向けたのだ。

その光景に思わず足を止める。



「このままじゃ殺されちゃう!」



泣きじゃくっている彼女には銃口が見えていなかった。

まさか、自衛隊員がこちらへ銃を向けているだなんて、考えてもいなかったんだろう。

彼女は足を止めなかった。



「止まれ! 感染の可能性のある人間を出すわけにはいかない!」



自衛隊員の叫び声よりも、自分が食い殺されてしまう恐怖の方が勝っていたのだろう、彼女は真正面から突っ込んでいくように走り、途中に響いた銃声と共に足の動きを止めていた。



「あ……れ? なんで……?」



打たれた場所で棒立ちになり、どうして自分が銃撃されたのかもわからずにまばたきを繰り返す。

やがて彼女の体は横倒しに倒れ込み、赤い血が玄関タイルに広がっていく。

自衛隊員たちはトランシーバーで上層部となにか連絡を取り合い、そしてその場に静けさが降りてきたのだった。


☆☆☆


短時間に2人の生徒が殺される光景を見てしまった私達は、ふらふらと空き教室へ戻ってきていた。

年のために他の出入り口も確認するつもりでいたけれど、あまりにも衝撃が大きすぎたからだ。


教室の壁を背もたれにして座り込み、どうにか体の震えを抑えようとする。

けれどなかなかうまく行かない。

さっきから体はブルブルと震えっぱなしだ。



「大丈夫。大丈夫だから」



何度もそういう圭太も、もうなにも考えられていない様子だ。

とにかく大丈夫だと口に出すことで、心の安定を図っているのかもしれない。


私は震える手でスマホを取り出した。

昨日の晩しっかりと充電してきたから、夕方くらいまでは使えるはずだ。

検索画面を表示して、この街のウイルスについて調べてみると、10万件ものサイトがヒットした。



「あっという間に10万件だよ。それくらい報道もされてるんだろうね」



そう言っても圭太からの返事はなかった。

新しい記事もきっとどこかにあるはずだと期待してニュースページを確認する。



『院内感染。高齢者施設での感染。次々と起こるクラスターに病院はすでに逼迫状態』


「病院でも感染者が出てるんだ……」


「薫も、病院へ行かないと」


「そんなの無理だよ。学校から出られないんだから」


打たれた彼女はきっと感染していなかった。



けれど、感染の可能性があるとして撃ち殺されてしまったんだ。

思い出して下唇を噛みしめる。

悲しい気持ちと同時に、死体から流れ出した血の匂いを思い出して、また空腹感を刺激される。


朝ごはんはちゃんと食べてきたのに、どうして……。

圭太にこの異様な食欲を悟られないように、必死に別のことに集中する。



「病院へ行けば、治るかも知れないだろ。あんな風にはならなくてすむかもしれない」



圭太は懇願に近い声色でそう言った。



「でも、ワクチンも治療薬もまだないって書かれている。出現してから間もないウイルスだから、まだなにも研究が始まってないんだよきっと」



新薬ができるまでには何年も時間が必要だ。

一朝一夕でできるものじゃないことくらい、わかっている。



「ウイルスが突然出てきたなんておかしいだろ。きっと、なにか原因があったはずだ」



圭太はそう言って頭を抱える。

もともとあったウイルスが変異したのか、それとも全く新しいウイルスなのか。

そのウイルスは一体どこから来たのか?

まだまだわからないことだらけみたいだ。



「くそっ。父さんならなにかわかるかもしれないのに」



圭太の父親はウイルスの研究室に努めている。



圭太もいずれはそこで仕事をするつもりにしているから、ウイルスについては少しの知識を持っていた。



「今わかっているのは、おそらく空気感染すること。感染後は体に赤い斑点ができるけれど、それは衣類の下がメインだから見ただけじゃわからないこと。水しか飲められなくなること。それに異様な食欲が出てくること。あとは……」



指折り数えながら現状を把握していく圭太が言葉を止めた。

お互いに視線をぶつけ合う。



「人肉なら、アレルギー症状を起こすことなく食べられるということ」



圭太の声が私達以外に誰もいない空き教室に響いたのだった。

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