第4話

「いるよ。病院が一番多いかもしれない」


「そうなんだ……」



それでユカリは怖くなって診察を受けずに帰宅したのかもしれない。

市民を守るはずの自衛隊員が、市民を脅かしてどうするの!?

憤りを感じていたとき、後方から麻子が声をかけてきた。



「ユカりちゃん、よかったらこれ食べる?」



麻子が右手に持っているのは栄養ドリンクのゼリーだ。



「小腹が空いたときのためにいつも持ち歩いているの」



そういう麻子の手からユカリがゼリー飲料を奪い取り、乱暴に蓋を開けていく。



「こういうのは、試してみてないの」



驚く麻子に説明して、ユカリはゼリー飲料に口をつける。

そこから先は恐る恐ると言った様子でゆっくりとゼリーを吸い込んでいく。



「どう? 味はおかしくない?」



私の質問に答える代わりにユカリは一気にゼリー飲料を飲み干していた。

あっという間に空になったゼリー飲料から口を離してホッと息を吐き出すユカリに、つい笑ってしまう。



「良かった。味、なんともなかったみたいだね?」



味覚障害になってもすべてのものの味が変わるわけではないと、聞いたことがある。

普通に食べられる食材を探せば、見つけられるかもしれないんだ。



ユカリの場合はそれがゼリー飲料だったんだろう。



「購買にも売ってたよね? 買ってこようか?」



一瞬で飲み干してしまったユカリを気遣い、麻子が言う。

昨日の朝からほとんどなにも食べていない状態では、これっぽっちの食事じゃお腹は膨らまないはずだ。



「そうだね。沢山買ってきておけばいいかも」



ユカリの代わりにそう返事をしたときだった。

突然、座っていたユカリの体がグラリと横へ揺れたのだ。

そのまま留まることなく、床に倒れ込む。



「ユカリ!?」



すぐにしゃがみこんで超えをかけるが、ユカリはビュービューと苦しそうな呼吸を繰り返すばかりで返事をしない。



「どうしたのユカリ!? しっかりして!」



両手でユカリの体を揺さぶってみても反応はない。

目は開いているのに、何もみていない様子だ。

急な出来事にどうしていいかわからず、ただうろたえるばかりだ。

麻子は泣いてしまいそうな顔になっている。



「せ、先生を呼んで!」



このまま放置しておけばどうなるかわからない。

私はクラスメートたちへ向けて大きな声で伝えた。

それに気がついて近づいてきたのは小林純一だ。

純一は圭太の親友で、成績がよくて女子生徒に人気の生徒の1人だった。

純一は倒れているユカリと見た瞬間顔色を変えた。



「アナフィラシキーショックだ!」



ユカリに駆け寄るなり、そう叫んだのだ。



「アナフィラシキーショック?」


「あぁ。食物アレルギーとかで起こるショック状態のことだよ。下手をすれば死ぬ」



『死ぬ』その言葉に喉の奥に言葉が張り付いて出てこなくなる。

全身から血の気が引いて、指先が細かく震えた。



「長岡さんはなにか食べた?」


「さっき、これを……」



空になったゼリー飲料を見せると、純一はそれを奪い取るようにして説明を読み始めた。



「アレルギーはリンゴかもしれない。俺と同じだ」


「え、じゃあ純一も?」



聞くと純一は一度頷いて見せた。



「俺も、気が付かずにリンゴを摂取して、倒れたことがある。だからわかるんだ」


「で、でも、ユカリがリンゴアレルギーだなんて聞いたことないよ!?」



私達は親友だ。

少なくても私はそう思っている。

だから、アレルギーとか、大変ななにかがあればきっと伝えてくれるはずだった。



「アレルギーは突然発症することもある。普通に食べられていたものが、急に食べられなくなるんだ」


「そんな。それじゃユカリは自分のアレルギーに気がついていなかったってこと?」


「そうだろうな。気がついていれば、きっと断るはずだから」



ユカリは呼吸が苦しいのが自分の首まわりをかきむしり始めている。

私は慌ててユカリのブラウスの一番上のボタンを外した。

瞬間、胸元にも赤い斑点が出てきているのが見えて息を飲む。

こんなところにまで出てきてたなんて……。


観察するようにジッと見つめてもそれがなんなのかわからない。

アレルギー反応として出てきているんだろうか?

昨日はこんなふうに倒れることもなかったけれど……。

わからずに呆然とユカリと見つめていたとき、大慌てで保険の先生が入ってきた。



「長岡さん、大丈夫!?」



倒れているユカリを見つけてすぐに駆け寄る。



「先生、倒れる前にこれを食べたみたいです」



純一がゼリー飲料の空を先生に手渡し、アナフラシキーショックの可能性を訴える。



「もしそうだとしたら大変よ。すぐに救急車を呼ぶわ」



白衣のポケットからスマホを取り出し、救急に電話を始める。

私と麻子はそれを少し離れた場所から見ていた。



「どうしよう私。なにも知らなくて」



麻子が両手を胸の前で合わせて小刻み震えている。

その目には涙が滲んでいた。



「大丈夫。麻子のせいじゃないよ」



誰もユカリがアレルギーだなんて知らなかった。

もしかしたあユカリ自身も気がついていなかったんだ。

それを責めることはできない。

やがて救急車の音が近づいてきて、学校は物々しい雰囲気に包まれたのだった。


☆☆☆


救急車がグラウンドに停止したとき、ユカリは苦しげにうめき声を上げて空気を求めていた。

顔色は悪く、意識もあるのかどうかわからない。

先生や私達の呼びかけに反応することもなかった。


本当に危険な状態かもしれない。

全身から嫌な汗が流れてきたとき、ようやく救急隊員が教室内へ入ってきた。

が、それは医師ではなく、自衛隊の服を着た男性3人だったのだ。

自衛隊員の3人は大げさなくらいのガスマスクを身に着け、ユカリを見つけるとすぐに駆け寄ってきた。



「みなさん離れてください!」



ユカリの周辺から離れるように促されて、私と麻子ははじき出されるようにして教室の隅へと移動することになった。

それから自衛隊員はユカリの様子を観察し、なにかよくわからない言葉をいくつも交わしている。

その間にもユカリは苦しんでいて、教室の隅にまでそのうめき声が聞こえていた。



「なにしてるんですか! 早く病院へ運んでくれないと、長岡さんが危険だ!」



見かねが純一が叫ぶ。

自らもなったことがあるというアナフラシキーショックは、本当に死ぬほどの苦痛があるんだろう。



しかし自衛隊員はすぐに動き出そうとせず、どこかに連絡を取り始めた。

搬入先の病院を探しているのかもしれない。

患者を搬送するにも手順が必要なことは理解できるけれど、どうしてももどかしい気持ちになって、唇を噛みしめる。


この一分一秒がユカリの生死を分けることになるのかもしれないんだ。

もしユカリが死んでしまったら……。

そこまで考えて私は強く左右に首を振った。


ユカリが死んだらなんて、そんな不吉なことは絶対に考えないようにしなきゃ。

ユカリは今、頑張ってるんだから。

それからしばらくしてようやく通信を終えた自衛隊員たちがユカリを担架に乗せた。



「ユカリ、頑張って!」



教室を出ていくユカリへ向けて、私はそう声をかけるしかなかったのだった。

ユカリが教室から運び出された後も教室内は騒然としていて、私と麻子は動くことができずにいた。



「私のせいで……」



麻子が小さな声で呟いてズルズルと座り込む。



両手で顔を覆って、足置きれずに泣き出してしまった。



「麻子のせいじゃないよ。大丈夫だから」



麻子の隣に座り込み、その背中を撫でる。

撫でながらも自分の手が小刻みに震えている事に気がついていた。

まさか自分の友人がこんなことになるなんて考えたこともなかった。


教室内に入ってきたのがガスマスク姿の自衛隊員だったということも、ショックを加速する原因になっていた。

どうして自衛隊員が来たんだろう……?

そう思っても、当人たちはすでにいないのだから聞くこともできない。



「おい、グラウンドを見て見ろよ!」



不意にクラスの井上直の声が響いて顔を上げた。

直は窓の外を指差している。

みんながそれに釣られるようにして窓辺へと近づいていった。



「なんだあれ?」


「授業の一環じゃないの?」


「そんなの聞いていないよ?」

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