死線ノスタルジア

成瀬七瀬

「一緒に死んでほしい」


 知り合って十年と三カ月目、彼に言われた。




「はあ?」


 俺はそう答えた。


 少し笑っていたかもしれない。


 だって当たり前だ、今まで彼がそんな事を--「死にたい」だとか、自殺を仄めかす言葉を俺に言ったことは無かった。冗談だと思うさ。




「一緒に死んでくれないか」


 彼はまた言った。


 真面目な顔をして、俺を真っ正面から見つめて。そのまましばらく睨み合って、先に目を逸らしたのはいつもの通り、俺だった。彼の視線は強い。




「何言ってんだよ」


 言いながら俺は、ひょっとしてこいつ鬱病だったのかなと思った。


 鬱病の患者はそれを誰にも言わずに、表面的には普段通りの顔をして、そして堪えきれなくなったら唐突に死んだりするという話を聞いたことがある。


 まるで、操り人形の糸が、ぷっつりと切れたように死ぬ。




「本気だよ」


「意味わかんねえよ」


「だろうね」


 彼は笑った。ろうそくの炎が風に揺れるように笑った。




「それは、あれか、つまり心中か」


「うん。無理心中よりはマシだろ、こうしてお願いしてるんだから」




 ……全然マシじゃない。




「何で死ぬんだよ」


「死にたいからだよ」


 視線が絡み合う。息が苦しくなってきた。動悸、混乱、顔が熱い。殴りつけてやりたい衝動が突き上げる。




「心中なら普通は恋人だ。ミユキがいるだろ。俺は止めやしない、二人で勝手に心中しろよ」


「ミユキは駄目だ」


「なんだ、喧嘩でもしたのか」


 恋人と喧嘩して、少しおかしくなったからこんな事を言っているのか。到底彼らしくない言動だったから、俺はそうして無理やり自分を安心させようとした。




「しない。いつもの通り仲良しこよし」


「わけがわからん」


 場を繋ぐために飲みたくもないコーヒーを口に含んだ。すっかり冷めている。




「心中は恋愛相手とするべきじゃない」


「なんで」


「大体において一過性のものだろう、恋愛は。死んで冷めてから悔やんでも遅い。友情は、違う」


 ……だから俺か。




「たった一人の親友の、お前と終わりたいなと思って」


「は……」


 もう笑うしかない。くそ真面目な顔をしやがって。心中は恋愛相手とすべきじゃない、か。


 それなら。




「……俺はだめだよ」


「死にたくないか」


 そうじゃない。いつもいつも死にたいと思っていた。


 無意識に手首の躊躇い傷を隠す。鞄の中には睡眠薬と酒。俺は今日死ぬつもりだった。最後に会いたい奴に会って、それから何処か遠くで死ぬつもりだった。俺を操る糸はとうの昔に切れている。


 なんてタイミングだろう。




「……いいよ」


 俺は少し考えたふりをして応えた。


「ありがとう。じゃあ、行こうか」


 彼は何でも無いことのように笑った。


 まるで映画でも見に行くみたいだ。


 彼が言ったことに従うならば、俺は彼と心中するべきではない。




 俺は十年前からずっと、おまえを。




 胸に浮かんだ言葉を、不味いコーヒーの残りと一緒に飲みくだす。どちらも苦いはずなのに味はわからなかった。


 二人で死ねるのなら、最期まで伝えないというのも悪くないか--。


 彼の視線を既に懐かしく感じながら、そんな馬鹿な事をぼんやり思った。






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