四、『最後に残った魔法は〝希望〟』その9

「ほらよ、忘れ物だぜ」


 タマが投げて寄越した右腕を左手で受け取ると、転法輪はそれを抱えて脱ぎ捨てたトレンチコートをまさぐって小瓶を取り出す。

 それは普段タマが風を詰めている小瓶と同じ物であったが、中は琥珀色の液体で満たされていた。


「回収してくれて、助かったよ。流石にじゃあ、腕は生えてこないからね」


 言いながら、瓶の封を切る。

 粘度の高い液体を右腕の切断面に満遍なく垂らすと、琥珀色の液体は光を帯びながら瑪瑙色へと変化した。


「これで完璧だ。ああまったく、とんでもない仕事だったよ」


 模型を接着するような感覚で右腕を結合させると、腕や五指を動かしてその動きを確認する。骨まで切断されたにも拘わらず、その動作には一切の違和感はない。


「本当に・・・・・・人間じゃあないんだ――」

「失礼だな、これでも人間だよ」

 星見の嫌悪感のある視線にばつの悪い貌でしかめると、転法輪は言った。


「これは妖精の薬だ。日本にもあるだろ? 河童の妙薬って。妖精郷の花を煮詰めて作った、どんな傷口でも立ち所に塞いでしまう魔法の薬さ。もっとも、ちゃんと腕がくっつくかどうかは五分五分だったけれどね」

 それより、とトレンチコートに視線を向ける。


「この薬で服が直れば良いんだけれど。また中田商店で新調しなければいけないな」

「中田商店?」

「ああ、上野にあってね。何かと便利な店だ」


 日本で買ったのかよ、それ。

 星見が嘆息混じりに襤褸ぼろ切れと化しているトレンチコートに視線を向けた途端、首が切断されたマーフィーの遺体が視界に入る。


「あの人・・・・・・」

「今度こそ、遺体はLIMBO社うちが回収するから心配しなくて良いよ。もう、蘇って君を追ってきたりはしない」

「そうじゃないの」

 転法輪の言葉に首を振って星見は答える。


「あの人、そんなに悪い人じゃあなかったのかなって。だって口では色々言っていたのに、わたしを真っ先に殺す事はなかったから」

「どうだろうね」

 煙草を咥え、ジッポーを擦りながら転法輪は言った。


「真意は結局、本人しか分からないよ。僕だって彼は昨日今日の間柄だから、腹の奥底までは分からない」

 けれども、と紫煙と共に言葉を吐き出す。



「この世界に根っからの悪人は居ないよ、根っからの善人が居ないようにね」



「・・・・・・・・・・・・・・・」

「この遊園地だって、そうさ。此所にはノルベルト・クナイフェルの愛情と良心が、これでもかってレベルで詰まっている。それだけなら良い話だけれど、それって言い換えればそれらのだからね。そもそも君はあの頃よりも成長していて、遊園地なんてプレゼントされても無邪気に喜ぶ年齢じゃあない。彼氏と行くならいいけれど、それだって二人で過ごす時間が愉しいのであって別に遊園地自体が愉しい訳じゃあないだろう? アトラクションも陳腐だし」


 彼氏、という言葉に星見は耳まで紅潮する。

 それを悟られないように、星見は髪で耳を隠した。


「しかしだからといって、それが駄目という訳じゃあないさ。ノルベルト・クナイフェルが冷静な判断力を失っていた事を差し引いても、彼は純粋な気持ちで君を喜ばせようとしてこの魔法を作ったんだ。前に彼が本当は魔法が嫌いなんじゃないかと言った事があるけれど、きっとそれと同じぐらいに好きだったんじゃないかな、魔法。でなければ、一番愛する君に一番の贈り物を届ける方法として魔法を選ぶ事はないよ。端から見れば、矛盾しているようだけれどね。しかしそれが人の想い、感情なんだ」


 咥え煙草で、妖精の薬を他の傷口に塗り込めながら転法輪は語る。


「僕はね、そういう〝想い〟こそが魔法の本質だと思う。マーフィー・マーはそれを〝野蛮〟だと斬り捨てたけれど、誰かに何かをしてやりたいって欲求や衝動は良くも悪くも強いんだよ。理性と倫理の牢獄に閉じ込められてしまっては、輝くものも輝かない。自由が良いんだ、真っ新で大きな自由に跳ね回る感情が。だからノルベルト・クナイフェルが君を喜ばせたいと願って生まれたこの魔法は、こんなにも綺麗でとても美しいのさ」

「・・・・・・そういうの、分からない」


 星見はぽつりと言った。


「今まで生きてきて、そういう事は一度もなかったから」

「じゃあ、今から体験すれば良いんじゃあないかな」


 吸い殻を空へ弾くと、笑いながら転法輪は星見の手を引いた。


「夜が明ければ、この遊園地の魔法も解ける。イーヴリンがあの調子では、迎えの箒が何時になるか分からない。その前に遊んだって罰は当たらないよ。何せ、此所は遊園地なんだから」

「――――――――」


 須臾。急にライトアップされるアトラクション。

 軽快な音楽にメリーゴーランドが回転し、外周をジェットコースターが走り抜ける。いつの間にか風も凪いで雨も止み、満点の星空に浮かぶよう観覧車が動いていた。


 あれだけ破壊されていた全てが、息を吹き返している。

 それはまるで魔法のようで、星見 恵那は思わず息を呑んだ。


「何で・・・・・・こんな――」

「あの瓦礫の山では遊べないだろう? つまりはそういうことさ」


 ああそうだ、と思い出したようにわざとらしい転法輪の声。

 その手には、白く細い短杖ワンドが握られていた。


「僕からの誕生日プレゼントがまだだったね」


 刹那。満点の星空に舞い上がる、幾重もの花火。

 澄んだ藍色の空をキャンバスに沢山の大輪が咲いて消えるのを繰り返す。


「誕生日おめでとう、星見 恵那」

「どうして・・・・・・だって、貴方は取り替え子チェンジリングで魔法が――」

「さあ、どうしてでしょう?」


 悪戯っぽく、転法輪は笑う。その少年じみた笑顔が、嘗て祖父が見せた笑顔と重なった。

 光り輝くアトラクションと、次々頭上で咲く花火の花束。それらを背に、転法輪 循は佇んでいた。何がしたいと、こちらに問い掛けるように。


 ああやっと分かった、星見 恵那は確信する。

 これが魔法なんだ、と。

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