四、『最後に残った魔法は〝希望〟』その6

 星見 恵那わたしがまだ子供だった頃。


 ある日突然、家に魔法使いが来た。

 その人が何者か考える知能はまだ持ち合わせておらず、精々〝魔法使いのお爺さん〟だと認識する程度だった。


 魔法使いは、彼女に様々な魔法を見せてくれた。

 それは魔法使いの世界は疎か現代に於いても陳腐極まりない子供だましであったが、それでも初めて魔法を見た星見 恵那にとってはどれもこれも素晴らしい物ばかりであった。


 魔法使いは魔法を見せる度に、星見に言った。自分は魔法使いだから何でも出来る、と。そしてそれは事実であり、彼女はそれを心から信じていた。


 魔法使いの帰国が迫る日、最後の想い出にと魔法使いは星見 恵那と遊園地へ行く約束をした。しかし当日、彼女はインフルエンザに罹り、遊園地へ行く約束は反故になってしまう。

 嘘吐き、何でも出来ると言ったじゃないか。愚図る幼い彼女を宥める両親。しかし星見の機嫌が直る事はなく、その怒りの矛先は魔法使いにまで飛び火した。



 ――何でも出来るなら、わたしだけの遊園地を作ってよ!



 怒りにまかせた子供の戯れ言に、両親は困惑しながらも失笑していた。あまりその人を困らせてはいけないよ、と諭しながら。

 しかし当の魔法使いは、その願いを本気で聞き入れた。必ず遊園地を君にプレゼントするよ、と幼き孫と約束した。約束して、彼はこの国を去った。


 魔法使いにとって、約束は絶対である。

 それは悪魔でも妖精でも、してや愛孫であろうとも関係ない。約束したからには必ず実現させる――――それが、魔法使いとしてのノルベルト・クナイフェルの矜持であった。


 あれから直ぐに事故で両親が他界し、彼女の希望に満ちあふれていた世界は常闇へ閉ざされた。

 長男でありながら、反対を押し切って異国の娘と結ばれて出来た子供である。親戚達の星見 恵那への態度は冷たく、貞操の危機に陥った事も一度や二度ではない。逆恨みした親戚によって虚実入り交じって流された噂の数々は、今も彼女を枷のように束縛していた。


 一方ノルベルト・クナイフェルも、魔法使いとしての栄誉と名声は欲しいままにしていたが、クナイフェル家や魔法を取り巻く数々の問題に巻き込まれて次第に精神を磨り減らしていった。

 それでも彼は約束を果たす為に彼女だけの遊園地を作っていた。遠い異国に居るであろう成長した星見 恵那と遊園地を巡る事を夢見て。


 魔法が完成した時、ノルベルト・クナイフェルの精神は既に瓦解していた。

 僅かに遺された理性を頼りに巻き物に魔法を封じ込め、彼は埋葬協会最大手のLIMBOリンボ社に遺産として登記した。


 全ての手続きが終わった夜、彼は顳顬こめかみに拳銃を宛て引き金トリガーを引いた。

 それは折しも星見 恵那が今の叔父伯母夫婦に引き取られた日と同じであったが、運命の悪戯などではなく単なる偶然であろう。


 斯くしてノルベルト・クナイフェルの遺産は、星見 恵那に相続される事となる。

 紆余曲折を経て顕現した約束まほうは、台風二十二号を斬り裂くよう宙空に出現した。



 そして今、約束まほうの中央に星見 恵那わたしは居る――




        ◇



「全部・・・・・・思い出した――」


 煉瓦造りの地面に座り込み、呆然と雨に打たれながら星見 恵那は独り言ちた。


「あの日、わたしが遊園地が欲しいって無茶苦茶な事を言ったから、わざわざ遊園地こんなものを作ったのね。本当に、とんでもない人」


 周囲を見渡す。ライトアップされたアトラクションの数々が、独りでに動いている。

 キャストやマスコットの類は居らず、客は自分一人だけ。

 こぢんまりとした空間に簡素なジェットコースターに観覧車、そしてメリーゴーランドやゴーカートとアトラクションは簡素な物ばかり。最近人気の派手なアトラクションは皆無。そのシンプルな光景に、星見は昔見た古い映画に出てきたサーカスに付随する移動式遊園地を連想した。


「あの人相当なお爺さんだったから、きっと遊園地という概念が古いのね」


 呟くと、星見は来ていたレインコートを脱ぎ捨てた。

 濡れないのは良いけれど、雨を弾く樹脂じみた感覚は気持ち悪くて厭。気持ち悪いのであれば、濡れていた方がまだ具合が良い。


「こんなオモチャ箱みたいな世界、こんな下らないモノを奪い合っていたの。殺し合いまでして――」


 馬鹿馬鹿しくなる。

 幼少期ならまだしも、今はもう十七才。遊園地ではしゃぐ歳ではない。しかし何故か、そうして斬り捨てる事の出来ない不思議な魅力がこの遊園地にはあった。


 優しさに満ち満ちているのだ、この空間は。

 誰かを愉しませようとする空気が仄かな甘みを伴って、抱きしめるように周囲を優しく包み込んでいる。

 ずっと昔、こんな世界で生きてきた気がする。それは家や家族、家庭が纏う空気そのものであったが、その正体に星見 恵那は至る事が出来なかった。


「・・・・・・ところで」


 立ち上がり、濡れた髪を耳へ掛けながら星見は視線を下に向ける。


 目測数百メートル上空。

 周囲は台風の影響で荒れ狂い、下界の様子は窺えない。飛行機や飛行船ましてやエレベーターなど、周囲に降りる手立ては皆無。


「まさかとは思うけれど、ひょっとして作った後の事は何も考えていなかった・・・・・・?」


 背筋が凍る。

 どうやって此所から抜けだそうか。


 刹那、地上付近で爆発音のように大きな雷鳴が響いた。

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