四、『最後に残った魔法は〝希望〟』その2

 廃墟となったマンションの最上階、星見 恵那はそこに居た。


 カーテンや段ボールで陽光を遮断し、光源は灯油ランタンと携行型ストーブのみ。僅かな光が一層闇を深くする部屋の一角、椅子のように組み上げられた骨に星見 恵那は拘束されていた。


 隣には、マーフィー・マー。星見 恵那の様子を覗き込み、時折人差し指で指し示す。


「そこ、間違っていますよ。正解は三です」

「ああ、それで変な数字になったのね」

 消しゴムで消し、星見は三を書き込んだ。正解を回答欄に記し、そこではたとシャープペンシルを握る手を止めた。


「・・・・・・何で、こんな所で微積をやっているわけ? わたしは」

「貴女を人質にしたのは、こちらの都合ですからね。せめて勉強ぐらいは教えて差し上げないと。こうして時間を奪っている間に、普通の高校生は授業を受けているのですから」

「普通の高校生・・・・・・か」


 数式に視線を落とし、星見は言った。

 段ボールの隙間から見える景色は灰色がかっていて、夜のように薄暗い。天気予報では台風が近付いているらしいが、果たしてこの朽ち果てた部屋が持つかどうかは分からなかった。


「とっくの昔に、わたしは普通じゃあないのだけれど。貴方達がやってくる大分前からね」

「普通ですよ、貴女は。至極普通の娘です」

 慇懃無礼にマーフィーは笑った。


「貴女の不幸は、日常の延長線上の出来事だ。不条理に感じるかもしれませんが、だからといって普通を諦めてしまう道理はない。貴女には、日常の世界で幸福に生きる権利があるのですよ」

「変な人。貴方のせいで、こうして不幸になっているのに」

「それについては、弁解のしようがありませんね」


 肩を竦め、マーフィーは応える。


「しかし、貴女も変な人ですよ。幾ら俺の顔が良いとはいえ、こんな怪しい人間に囚われているというのに順応している。普通なら、部屋の隅で震えているのがセオリーでしょう」

「慣れているから。わたし、物心付いて少しした辺りから周囲が他人だらけの環境で育ったのよ。こんな事で震えていたら、とっくの昔にこの世界から消えていたわ」

「そういえば・・・・・・そうでしたね。全く、俺とした事がとんだ失言です」

 目を伏せ、マーフィーは小さな声で独り言ちた。しかし英語で尚且つあまりにも小さく掠れた声であった為、星見は聞き取る事が出来なかった。


「貴方、わたしから魔法を買い取ってどうするの? 貴方も世界の答え合わせがしたい訳?」

「そんなもの、俺は興味がありません。有り体に言えば、転売ですよ。貴方から買い取って、それを欲しがる金持ちに高く売り付ける。それが我々WoMAウーマの業務なのです」

「ああ、だから画商・・・・・・」

 星見の言葉に、マーフィーは無言で頷いた。


「我々は、ただ魔法や魔法使いをショーケースに入れて展示しているのではありません。求めている者へ適正価格で販売する。そうする事によって魔法や魔法使いに一種の流動性が生まれ、それらが完全に消滅するのを防ごうとしているのです」

「どういう意味?」

「あの調停員パーミッショナーから聞いていませんか? 魔法は魔法使いでなくても使う事が出来る、と。一部の例外を除いて、魔法は手順さえ間違わなければ才ある者なら誰でも扱う事の出来るなのです。しかしいにしえの魔法使い達は己の傲慢からその技術を秘匿して、魔法を特別な存在としました。結果、同じく誰もが簡単に扱える科学技術の台頭によって魔法は完全に廃れ、今では脳味噌に黴と埃が詰まった連中が己の利権を守る為に権威の笠として使っているのが現状です。それでは、魔法は時代という風雨に晒され朽ち果てるに任せるしかない。それを打破する為、我々WoMAウーマは魔法を売買し魔法使いを派遣する。魔法という存在を世界から忘れさせない為に」

「・・・・・・変ね、それ」

 長いマーフィーの語りが終わるのを待って、星見は口を開いた。


「魔法は野蛮な存在だと、貴方はわたしに言った。そんな野蛮な存在をわざわざ残す理由が分からない」

 それに、とマーフィー・マーを見据えて星見は言い放つ。


「とてもじゃあないけれど、貴方が魔法を好きだとは思えないのよ。その長ったらしい演説も、取って付けた大義名分リクツみたいでわざとらしい」

「――――――――」


 圧倒的鉄面皮。

 マーフィーは眉も眉よりも細い眼も微塵も動かさず、直立不動で星見の傍らで佇んでいた。隙間から這い出した蜘蛛の足のように、重苦しい空気がやって来る。それが殺意というものであることを星見は身を持って知っていた。

 あの日、あの血塗れの転法輪 循が醸し出した雰囲気と、同じであったから。


「今度は――」


 はた、と気付く。このマーフィー・マーという男、似ているのだ。転法輪 循に。

 特に、感情の起伏の歪さがそっくりだ。わざとらしいぐらい日常を演じ、茶番のような日常を重んじる。まるで、猫の額程の沙漠のオアシスに全力で飛び込む行き倒れように。


 ひょっとして、と星見は思う。


「代入を間違えています。先程ではありませんが、初歩的なミスですね。お喋りに夢中になって、注意力が散漫になったのでしょう」

「ああ、それでおかしくなっていたのね」



 魔法に固執する転法輪 循もその実、魔法という存在が嫌いなのではないだろうか。



「・・・・・・ところで、こうやって拘束されているわけだけれど、トイレとかはどうするつもり? わたし変態じゃあないから、人前で尿瓶しびんなんて絶対に使わないわよ」

「ああそれならご心配なく、その時は拘束を解きますので。トイレはこのマンションの三百メートル先にコンビニがありますので、そこを使って下さい」

 マーフィーは段ボールで塞がれた窓を指差した。


「見ての通りの廃屋ですから、トイレが使えないんですよ。お手数掛け致しまして申し訳ありません。代わりと言っては何ですが、経費で落とせますので気まずかったら適当な菓子でも買ってきて下さい。勿論、弁当でも良いですよ。ちなみに、俺のお勧めはスパイシーチキンです」


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

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