三、『魔法使いは碌でなし』その6

 深夜、吊り橋の中央に二人の男が佇んでいた。


 一人は転法輪 循、もう一人はエドゥワルド・クナイフェル。

 静かな夜であった。周囲には二人の他は誰も居らず、聞こえてくる音も虫と橋梁の下を流れる浅川あさかわせせらぎだけ。

 しかし二人の間に流れる張り詰められた緊張感は、新調した弦のように冷たい空気を次々と爪弾かせていた。


「――まずは、礼を言おう」


 静寂を破るように、エドゥワルドは口を開いた。

 彫りの深い巌のような男であった。一刀彫りの如き荒い顔は油断なく転法輪を見つめ、宿り木の香を焚き籠めた深緑色のローブから覗く短杖ワンドが、剣帯に吊されたレイピアのように納められている。


「我が決闘メンズーアの申し出を受け入れたこと感謝する。我が名はエドゥワルド・クナイフェル。古き血の一柱クナイフェル家の当主であり、ノルベルト・クナイフェルが遺した遺産の正統なる後継者だ」


 正統なる後継者、という言葉を聞いて転法輪は失笑する。

 太い眉をひそめるエドゥワルド・クナイフェルの顔に、転法輪は昔テレビで見たゴールキーパーの顔を重ねた。


る前に言っておくが、あの遺産は君のモノではない。君が黒焦げにした弁護士も生前言ったと思うけれど、君達クナイフェル家の面々はきちんとノルベルト・クナイフェルの遺言に則り、各々見合った遺産を正規の手続きで相続した。アレは、星見 恵那が相続すべき遺産だ。君は魔法決闘メンズーアで遺産の正当性を主張したいようだが、僕に言わせれば単なる通り魔か強盗の所業だよ」

「神聖なる決闘を愚弄する気か、転法輪 循」

「――――――――」


 エドゥワルドの言葉に対し、転法輪の表情に影が差して目付きが険しくなった。エドゥワルドは差して気にした様子も見せず、言葉を進める。


「まあいい、所詮は保険屋。貴族の持つべき誇りノブレス・オブリージュと無縁の連中に何を言っても無駄か。それよりも、貴様の出で立ちは何だ? 貴様も魔法使いであるならば、そのようなトレンチコートではなくローブを纏い給え」

「知らないのか、酢キャベツ野郎クラウツ。トレンチコートは従軍魔法使いの出で立ちが元になって作られた由緒ある正装なんだぜ」

「ついでに、自分の遣い魔も飼い慣らしておくべきだ。言葉遣いと共にな」

 唐突に現れたタマに憤怒の一瞥をくれ、エドゥワルドは言った。


「しかし、妖精使いとは珍しい。保険屋など退職して妖精郷の研究でもしていれば良いものを」

「残念ながら、僕は妖精士フェアリー・テイマーではないしタマも僕の遣い魔ミニオンなんかじゃあない。タマは数少ない僕の友人だ」

「そうだぞ! オイラはまだコイツに宝石を喰わされてないからな。オイラの体はな、豚骨醤油ラーメンとちゅーるで出来てるんだ! あとタマって呼ぶんじゃねぇ」

「つまり、契約を結んでいないというのか? 無法の妖精を野放しにするなど、貴様それでも魔法使いか!?」


 タマの言葉を無視し、エドゥワルドは驚愕の表情を浮かべる。


「オイラに言わせてみれば、お前ら魔法使いの方がよっぽど無法者だぜ。お前らクジラとイルカには優しいくせに、妖精にはその愛情の片鱗すら見せないもんな。妖精の末路は、大体が実験材料か駆除対象。だからオイラは、お前ら魔法使いが嫌いなんだよ。妖精が火薬を嫌う事を知ってて、妖精除けに花火打ち上げたりするしな」

「当たり前だろう、妖精猫ケット・シー。クジラもイルカも知能が高く庇護すべき動物であるが、お前達妖精は悪戯と称して人間に害悪しか撒き散らさない。そんな存在を愛玩する人間は、よっぽどのお人好しか変態だけだ」

「――そういうエゴが、嫌いなんだよね」


 それはタマの言葉ではなかった。

 背後で煙草を燻らせながら憎悪を燻らせる転法輪 循が放った言葉であった。予想外の人間から穿たれた言葉に、エドゥワルドは目を見張る。


「僕もね、苦手なんだよ魔法使い。特に君みたいな奴がね。ローブと一緒にエゴを身に纏って、まるで自分が高尚な存在のように我が物顔で杖を振るう。お前等ただの時代遅れのロートルのくせに、いちいち偉そうなんだよ」

「何だと――」


 銃声。

 激高し、短杖を抜き放つエドゥワルドの足下に銃痕が刻まれた。


「決闘の礼儀も忘れたのか、エドゥワルド・クナイフェル。伝統が泣いているぞ。決闘の前にはまず御辞儀、そうハリー・ポッターでも書いてあるだろう?」


 吸い殻を吐き捨てると、銃を構えた転法輪は嗤い捨てた。


「所詮魔法決闘メンズーアなんてものは、が魔法を使って戦う為に整備されたお遊びだ。僕を殺したいなら、本気で来い。そんなものじゃあ、遺産も星見 恵那の命も僕から奪えやしないぞ」

魔法決闘メンズーアに無粋な銃とは。所詮、しきたりを解せぬ無作法者か」

 ローブを翻し、短杖ワンドを構える。


「我が神秘の前に、ぬかずくがいい」


 突き出した、尖端にホルスの意匠を抽象化させた飾りの付いた極彩色の短杖ワンド

 うわべだけの歴史と伝統をなぞり、金を掛けただけの品である。その悪趣味極まりない造形に、転法輪は蔑んだ視線を向けた。




 踊れ躍れ、我が手の中で。

 炎よ芽吹いて息吹け。

 渦は拍動し、熱は力となる。

 我はヴァルカンの金床、振り上げし魔法は槌。




「・・・・・・名を以て肉を持ち、鍛造された炎の顎で不逞の輩を喰い散らすがいい」


 大仰な詠唱と共に短杖ワンドに宿る力が放たれ、漆黒の虚空へ門を開く。放たれるは炎の蛇。うろこの如き火の粉を滑らせ、転法輪 循へ炎の顎を向けた。


 所詮はこの程度か。

 召喚された蛇の一撃を軽々と回避し、転法輪はつまらなげに思考する。

 下らない三文台詞といい、まるで歌劇だ。どうせなら、あの野外演劇場の方が似合っている。当たり前だ。これは殺し合いではない。言うなれば喧嘩の延長線。


 今でこそ魔法使い同士の決闘を表する単語として用いられる〝メンズーア〟であるが、その語源は百年以上前の学生決闘に遡る。

 互いにナイフを用いて向かい合って戦い、先に体の部位に傷付けた者を勝者とする。そのルール故に通常の決闘と違い死者や重傷者が出にくい事から、学生同士の揉め事を解決する手法として用いられた。


 致命傷を与えない暴力。

 その性質は、学生同士から魔法使い同士に変遷しても変わらない。

 相手に魔法で一撃を与え、屈服させた者を勝者とする。故に扱われる魔法は派手なものが多く、とてもではないが実戦向きとは言い難い。

 丁度、今し方かわした炎の蛇のように。


 誤解されがちであるが、かつて魔法が戦場で頻繁に用いられたのは威力からではない。

 投石器、弩砲、近代に至れば大砲に臼砲といった火薬兵器。単に屍の山を築きたいのであれば、魔法の力を使わずともそれらだけで事足りる。


 なのに何故、戦場に絶えず魔法使いが投入され続けたのか。

 それは魔法が持つ不気味さに起因する。魔法の心得がない者にとっては、魔法は魔法であるだけで恐怖の対象となり得る。

 大部分の兵士が思っているのだ。訳の分からぬ呪文を唱えながら杖を天に翳すだけで、魔法使いは戦場を厄災の渦へ呑み込むと。それが味方の士気を向上させ敵の志気をくじく。


 分かっていれば、魔法は大した脅威ではない。

 使用するのに手順が多過ぎ、戦闘には向いていない。


 欧州魔法の起源は、痩せた土地での生存戦略。

 暖を取る為に火を操り、肥沃な土地へ作り替える為に土と水を操った。新天地を求め風を起こして船を繰り出し、兇悪な獣を狩る為に矢よりも早い礫弾を放つ。全ては生活に根ざしたものであり、人間同士の諍いに使われるものではない。

 だがその起源はいつしか久遠の彼方に忘れ去られ、魔法使いは魔法を過信するようになった。


 何でも出来る、万能じみた全能感。

 その慢心が歴史を重ねてきた魔法使いの家系に多いとは、何たる皮肉。必死の形相で矢継ぎ早に炎の蛇を喚び出すエドゥワルド・クナイフェルを一瞥し、転法輪は嘲笑した。


「何故だ!? 解呪か、いいや違う!!」


 何度も頭を振り、短杖ワンドを振り下ろす。しかしその全てが転法輪に届く事はなく、闇夜を刹那のみ照らすだけ。


「知っているというのか!! 私の魔法、その全てを!?」


 エドゥワルドの言葉に、転法輪は破顔した。


「魔法というものはね、やがて解けるものなのだよエドゥワルド・クナイフェル」


 夜闇の中、白銀に輝く拳銃の引き金トリガーを引く。

 そこに呪文はなく魔法の片鱗もない。ただ相手を殺傷する為だけに鍛え上げられた現代技術の全てが、黄金色の銃弾となってエドゥワルドへ穿たれる。


「っ――――――」


 ローブを貫き肩を貫通した痛みが、エドゥワルド・クナイフェルの脳へ電流の如き衝撃を与えた。

 勝負はついた。それはエドゥワルドの望む形ではなかったが、決着は決着である。エドゥワルドは敗北を認め、杖を下ろした。


「・・・・・・確か君が勝利した暁には、遺産の放棄と星見 恵那の生命の剥奪だったな。では僕が勝利した暁には、一体何が報酬となる?」


 揺らぐエドゥワルドに対し銃口を突き付け、転法輪は冷酷な口調で問う。


「遺産相続の承認と星見 恵那の生存――」

「温いな」

 エドゥワルドの言葉を遮り、転法輪は言った。


「それだけでは君が全く損をしない。通らぬ道理を無理矢理通したんだ。君にはそれ相応のリスクを背負って貰う必要がある」

「既に十分過ぎるリスクを背負ったぞ、私はッ!!」

 悲鳴じみた叫びを上げ、エドゥワルドは血走る双眼で転法輪を穿つ。


「貴様等LIMBOリンボ共は私の屋敷を焼き、剰え我が家にカルティストの汚名を着せた!! 十分だろう、支払うリスクとしては! これ以上、一体私から何を奪う気だ!?」

「残っているじゃあないか、ポケットにベットし忘れたトークンが」


 意味が分からない、とエドゥワルドは首を横に振った。賭けるものなど、何も無い。もう勝負は決したのだ。

 では何故、この男は銃を下ろさないのか?


「まさか――」


 転法輪の言葉を理解し、エドゥワルドは青ざめる。


?」

「初めに言っただろう、と。君、まさかと思うが自分の命は計算に入れていなかったのか? だから温いんだよ、魔法使い。田舎の不良の喧嘩じゃあないんだ、殺すと言ったら殺すんだよ。ほら、ひょっとすれば逆転する事も出来るかもしれないぜ?」

「貴様その態度、伝統ある魔法決闘メンズーアを侮辱する気か!?」

「たかだか百年程度が伝統だって?」


 激高するエドゥワルドを嘲笑して転法輪は言い放つ。


「そもそも魔法決闘メンズーアなんて制度はさ、近代になって痕跡を揉み消し難くなった世間に合わせて作られた伝統とは真逆の存在だ。中世、魔法使い同士の私闘は即ち死闘だった。そんな事さえ、忘れてしまったのか。名誉に目が眩んでワーズワースに己の尻を捧げたクナイフェルは」


 引き金トリガーを引く。銃弾はエドゥワルド・クナイフェルを穿つ事なく炎の壁によって阻まれた。


「我が家の侮辱はその辺にして貰おうか、保険屋」

「そう、それでいいんだ魔法使い。殺す相手が殺意に塗れていないと、興が削がれるからさ」

 短杖ワンドを構え直したエドゥワルドに向けて、転法輪は嗤った。

「ぬかせッ!!」

 激高と共に振るわれる短杖ワンド



「大鷲よ、猟犬よ! 炎の形を纏いて我が元へ参じよ!!」



 虚空の門から放たれたのは蛇ではなく猛禽。火の粉を撒き散らし、転法輪へ飛翔する。


「こんな状況になっても、自分自身は戦わないんだな」


 獣の姿を象った炎。

 召喚されたそれらを一瞥し、率直な感想を言ちた。


「戦っているだろうとも、私は!!」

「いいや、違うよ。君はただけしかけているだけだ、戦争の犬達を」


 銃声と共に後退を繰り返すステンレスの遊底スライド

 放たれた実像なき炎を潜り抜け、左手でシースからRAT-5を引き抜いた。ブラックパウダーでコーティングされた黒い刃が、夜闇に溶けて宙空を舞う。


「殺し合いというのはね、自ら爪を振るうものさ」縮地の如き速さで間合いを詰め、転法輪は言った。「こんな具合にね」


 一閃。短杖ワンドが握る腕ごと夜空に舞う。噴き出した血飛沫が弧を描き、星空を出鱈目に塗り潰した。


「――僕は、君みたいな魔法使いが嫌いだ」


 腕を切断され戦意を挫かれたエドゥワルド・クナイフェルを睥睨するように、夜風にコートを翻し転法輪 循は視線を穿つ。身長はエドゥワルドの方が頭一つは抜き出ている。

 しかし何故か、この場に於いてその体格は逆転していた。


「たかが魔法が使える事を特別視し、魔法による戦闘行為を崇高なものと誤解している連中を見ているとね、本当に虫酸が走るんだよ。君達の下らない見栄や矜持の為に、魔法を使うな。魔法というものは、決してそういう醜悪なモノじゃあないんだ」


 引き金トリガーを引く。


「魔法は〝想い〟なんだよ。誰かを想って使うモノだ。誰かを笑顔にしたい、誰かを幸せにしたい、そういった〝想い〟が魔法には詰まっている。それを下らない人殺しの道具として使うな、そうやって人の〝想い〟を踏み躙るな」


 クリック、クリック、クリック。

 断続的な銃声が、小気味良く静寂しじまに響いた。

 宿り木の加護によって呪いに耐性のあるローブは、呆気なく単価にして数百円の9×19㎜の暴力に貫かれ、自らの血によって汚される。


「・・・・・・私の敗北だ。騎士道精神に則り、どうか最期の願いを聞き届けて欲しい」


 膝を付き、エドゥワルドは縋るような眼を転法輪へ向けた。じわりと滴る彼の血液が、ビロードの敷物のように広がっていく。


「せめて、最期は魔法によって死にたい」

「駄目だね」


 熱を帯びた薬莢が橋梁を跳ね、甲高い音を響かせる。


「彼処に居る妖精猫ケット・シーに命じてくれ」

「悪いがオイラは立会人だ。手を出すのはルール違反さ」

「魔法使いとして・・・・・・誇りのある――」

「それだよ、それ」


 引き金トリガーに籠めた力を緩め、転法輪は言った。

 親指で銃把グリップの横に付いたリリースボタンを押し込み、地面へ弾倉マガジンを落とす。


「魔法が廃れたのは、君達魔法使いのおごりの結果だよ。だから君は、一介の人間として死んで逝くんだ。魔法使いとしてではない、ただの弁護士殺しの犯罪者として惨めにね」

 銃弾アモで満たされた新しい弾倉マガジンを差し込むと、銃口を眉間へ定めた。


「最期に一つだけ教えてやろう。万が一君が僕に勝てたとしても、君は決して遺産を相続出来ない。はノルベルト・クナイフェルが最愛の孫娘に宛てただ。君にその包みを開く資格は無いし、また君では決して扱えない」

「何らかの、魔法による制約が――」

「そんなものじゃあないさ、これはまあ普通の神経していたら分かる事なんだよ。けれど君には理解出来ないだろうね、LIMBOぼくらの悪行の中に家族を鏖殺された事を勘定に入れなかった君には」

「・・・・・・教えてくれ、分からない。何故、私には相続出来ないんだ。星見 恵那の遺産とは、一体何なのだ? 賢者の石の製造法もソーマの醸造法も、全て我が手中にある。それらを凌ぐと言われるノルベルト・クナイフェル至宝の魔法、それが一体何であるか。それを知るまでは、死んでも死にきれないのだッ!!」

「そんな事も分からないのか? 爺さんが愛しの孫娘の為に遺した遺産だぞ」


 血を払ってナイフをシースに仕舞うと、転法輪は取り出した煙草を咥えてジッポーを擦る。



「孫娘が喜ぶモノに、決まっているじゃあないか」



 引き金トリガーを引く。

 銃弾は正確に眉間を穿ち、一瞬にしてエドゥワルド・クナイフェルの脳髄を破壊した。


「哀しいものだね、そんな事さえ分からなくなるぐらい魔法に取り憑かれるってのは」

「――ええ、まったく。本当にそう思いますよ」


 暗闇から姿を現す、男の顔。

 顔だけの亡霊のように見えたが、それは男の服装が黒尽くめであったからである。


 喪服かそれとも牧師服か、男の容姿などどうでも良い。

 問題はエドゥワルド・クナイフェルの張った結界を容易く超えて、この場所に佇んでいる事実。表情の読めぬ細い双眼を転法輪へ向けて、出方を窺っている。それは丁度、サバンナで獲物を見据える獅子によく似ていた。


「ね? 言った通りだったでしょう? 魔法の本質は〝野蛮〟だと」

「――――――!?」


 この場に於いて、初めて転法輪 循は動揺を見せた。

 目を見張り口元が硬直する。咥えていた尖端に火が点った煙草が落下し、地面に火の粉で星座を作り出す。


 正体不明の男に対する畏怖ではない。

 そのような事で転法輪 循の鋼の心は揺るがない。

 しかし、彼の背後で佇んでいる人影に対しては違った。


 腰まで届くアッシュブロンド、精巧な細工のように均整の取れた容姿。

 星見 恵那が、そこに居た。


 まるで、時間が停止しているようである。

 しかし下から聞こえてくる潺や虫の音が、容赦なくその錯覚を打ち消していった。



「何の・・・・・・冗談だ、これは――」


 一番見られたくなかった相手の眼前に、一番見られたくない自分が居る。

 普段の軽口で、取り繕う事さえ出来ない。


 転法輪 循の軀は、夥しい血潮に塗れていた。

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