第三章『魔法使いは碌でなし』

三、『魔法使いは碌でなし』その1

 永遠に続く、四ツ辻の回廊。


 出口はなく入口もなく、在るのはただ格子のような平坦な道。


 旅人よ。何処へ逝って、何処へ還る。


 重い荷物を背負い、当て処もなく彷徨う薄暗い四ツ辻の回廊。


 悪魔が火をやろうと、声を掛ける。

 この暗い道を進むには、明かりがいるだろうと。


 天使が鍵を渡そうと、声を掛ける。

 この道を進んだ先の扉で、使うだろうと。


 どちらも必要ないと、旅人は断った。

 天国にも地獄にも、旅人の居場所はないのだから。


 旅人よ。何を目指して、何を求めるのか。


 手探りで彷徨う、四ツ辻の回廊。

 それは業の成すものか、それとも罪故か。


 杖を頼りに、淡々と旅人は進む。


 とっくに軀は朽ち果てて、骨すら土へ帰り始めている。

 それでも魂だけは重い枷に囚われて、此所を出ることを拒んでいる。


 旅人よ。何故彷徨い、何故留まる。


 明日もなく、昨日もない。

 永遠に刻の停まった、四ツ辻の回廊。


 辻を右へ左へ迂っても、広がるのは四ツ辻の路。

 入り組んではいないが、それは迷路。

 永遠に抜け出す事の出来ぬ、巨大な牢獄。


 旅人よ。どうして此所へ訪れた。

 決して安らげぬ、隘路あいろと知っていながら。


 永遠と続く、四ツ辻の回廊。


 旅人の答えはなく、応えはしない。

 淡々と、闇に靴音が響くばかり。



        ◇



 それは、純然たる暴力であった。


 市内郊外。東京多摩地区で武闘派と名高い、某広域指定暴力団傘下の大窪組。

 その事務所が、一瞬にして血煙に包まれる。消煙と血臭の混じる厭な臭い。壁であった存在が瓦解し、高価な調度品の数々がモザイク片のように砕け散った。


「玄関から堂々とだと!?」

「何処の組の襲撃カチコミだ!?」

「武器庫にある得物モノ、全部出せッ!!」


 三多摩は疎か関東一円に勇名を轟かせ、組員全員が死をも恐れぬ血に餓えた狂犬と名高い大窪組である。当然襲撃してきたを迎え撃とうと各々得物を携え立ちはだかった。


 結果は、火を見るよりも明らかである。穿たれたグレネードとNATO弾の嵐によって、建築物ごと爆散し血煙の一部と化した。


「何者だ・・・・・・何なんだ、お前――」


 生き残った者達は畏れ戦き、蜂の巣を突いたように恐慌した。

 彼らは皆、死をも恐れぬ屈強な男達である。故に己の死には動じない。しかし、眼前に広がる光景は別である。

 其処此処が千切れた屍体、臓物のこびり付いた壁の残骸。


 それは彼らの住処たる鉄火場ではなく、一種異様なであった。


「手ェ空いてる奴らは、怪我人の手当を――」

「無駄です、全部死んじまってるッ!」

「こんな、惨い――――手が、取れちまって・・・・・・」


 日の当たらぬ裏稼業とはいえ、彼らは常識の世界で生きる存在である。このような惨状は、未だかつて体験したことがない。


 死山血河。

 積み重ねられている屍体の数もさることながら、この場所を満たす雰囲気。

 殺意が、全く感じられないのだ。今この場で執り行われているのは、鏖殺でも虐殺でもない。部屋はこんなにも死臭で満ち満ちているのに、殺意には悪意が微塵も感じられず無味乾燥。


 強いて言うなれば、ロードローラーで荒れ地を舗装するような無機質な暴力であった。


「――全く、恨みはないんだよ。本当に」


 歯を鳴らして恐怖に歪む組員に対し、男は口を開く。

 着込んだトレンチコートには血が染み込み、頭には肉の欠片が乗っている。辛うじてシルエットから人である事は確認出来たが、その不気味な黒を放つ窪んだ双眼からは人の気配が感じられない。


「上司の命令でね、これ以上厄介事を増やさない処置だそうだ。困るんだよね、本当。僕はただの調停員なのに」


 銃声。男の言葉は愚痴であり、特に組員に聞かせるものではなかったのだろう。引き金トリガーを引いて屍体に変える作業を終えると、勇気のような足取りで奥へと進んでいく。


 両手に構えた短身仕様クルツのMP5。ダイアルはフルオートに合わせてある。引き金トリガーを引き絞りながら進む様はSTGの自機のようであり、また破城槌を構えた兵士のようでもあった。


「正直、隠れられると面倒なんだ」男は銃声に負けぬよう声を張り上げて言い放つ。「隠れていたってどうせ死ぬんだから、素直に出てきてくれないかな」


 沈黙。

 先刻まで響いていた勢いのある罵声は鳴りを潜め、ただただ人の死ぬ音が響くのみ。既に戦意は喪失し、反撃する気配さえ微塵も感じない。


 本能が、警鐘を鳴らしているのだ。

 、強く。


「・・・・・・成る程。どうせ弱い連中を虐げていた奴らだと高を括っていたが、いざとなると気が滅入るね。これでは、どちらが悪人か分からない」

 嘆息混じりに空の弾倉マガジンを投げ捨てると、新しい弾倉マガジンを取り付ける。


「ああ分かっているよ、ちゃんとやる。胸くそ悪いけれど、これでも給料貰っている仕事だからね」


 会話じみた独り言を呟き、男は作業を再開する。

 引き金トリガーを引き、防弾処理された分厚い扉へグレネードを叩き込む。立ち籠める粉塵と一層濃くなる血煙。それらは幽鬼のように揺らぎ、憤怒の色に染まる怨念のように男の周りを漂っていた。


「じゃあ、そういうことだ。出来れば君達には、この弾倉マガジンが尽きる前に死んで欲しい。生憎と研ぎ立てとはいえ、流石にこの数を捌けるナイフは持ち合わせていなくてね」


 血に染まる男の貌が、初めて表情を帯びる。顎を薄く開き、血のように赤い口腔を覗かせた。それでもまだ、一片の殺意さえ感じられない。無味無臭。その異様さに、周囲は更に恐慌した。


「何なんだ、お前。一体、何なんだよ・・・・・・」

「さてね。野良犬とか飼い犬とか色々言われているから、案外狂犬きみたちと同じイヌ科かもしれないな。連れているのは、猫だけれど」

 面白味もなく答えると、男はソファーを遮蔽物にしていた組員二人を撃ち殺す。返り血が男に問い掛けた組員の顔に掛かり、それが一層恐怖を煽った。


 それでもまだ、男の雰囲気に変化はない。


 男は最早、人ではなかった。

 自分達のような狂犬ですらない。

 化け物と、形容することも憚られる。


 そう、それはまるで先日この事務所を訪れて自分達に仕事を依頼してきた――


「お前ひょっとして・・・・・・鳥の仮面を被った――」


 無数に重なる断末魔と断続的に野太く響く銃声によって、組員の言葉は掻き消させる。故に男の耳にその言葉は届くことなく、周囲に響く雑音と同じように打ち棄てられた。


 規則正しい、人の死ぬ音がする。

 淡々と坦々に。


 やはりそれは殺害ではなく、意思なき無機質な作業であった。

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