二、『調停員は高校講師』その6

 ――深夜。


 本当に、朝学校へ登校する手順で星見 恵那は夜の学校へ侵入出来た。校門を潜り下駄箱へローファーを放り込み、上履きを履いた所で気付く。


 今から七不思議の真偽を確かめようとしているのに、果たして上履きで良いのだろうか。しかし、在学中の校舎をローファーで歩き回るのは如何なモノか。熟考した末、星見は更衣室で上履きを体育館履きに変えた。これならば、全力で走っても問題ない。今の時間、階段とかでパンツを見てくる不届き者も居ないだろうし。


 いや、居たか一人。正確には一匹だが。


「更衣室から出てきたから、てっきり体操服で来るのかと思ったぜ。夜の学校で体操服とか、どことなく背徳感が漂って最高だよな。今からでも遅くない、着替えてこい」


 死ねよ、クソ猫。星見は剣呑な視線をタマへ穿つと、タマを肩に座らせている転法輪を見た。

 昼間と変わらぬ、スーツ姿。手には柄の長い懐中電灯を握り、夜の見回りでもしている講師に思えた。


 否、事実転法輪 循は講師である。偽物ではあるが。


「お察しのように、帰っていないよ」


 懐中電灯で星見を照らしながら、転法輪は言った。


「最近不審な噂が広まっているって言ったら、一発オーケーだった。警備会社に丸投げだと保護者の体面が悪い、しかし自分達が見回りをするには時間が足りない。そんな時にアルバイトの若造が自ら志願してくれれば、誰だって断らないさ」

 講師の事をアルバイトって言うな、偽講師。


「しかしそれにしたって、よく一人きりでオーケーが出ましたね。普通、何かあった時のために校長先生とか居るものじゃあないんですか?」

「校長先生だって、夜には家に帰りたいんじゃないの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

 半眼で己を見つめる星見に対し、転法輪は「冗談さ」と肩を竦めた。


「まあ公立ならばともかく、此所は私立だからね。そういうの、緩いんじゃあないの? 僕の居た高校とかも、校長帰った後でも先生が夜の十一時ぐらいまで残っていたし。酷い時には終電ギリギリもあったね。あれは可哀想だったな」

「貴方、高校通っていたの?」

「その頃は、まだ日本に居たからね。だから僕の最終学歴は高校中退さ」

「高校中退で世界史の講師ですか」

「教員免許の習得には試験がないからね。採用にはあるけど。履修の時に教職課程を取れば、あとは授業中に寝ていたって勝手に取れる。条件さえ満たす事が出来れば、偏差値四十切っているようなFラン大学だって履修可能だ。まあそんなもんなのさ、教員免許って。ならば僕が詐称しても別に問題はないだろう?」

「問題だらけです、発言全部」

 語気を強め、星見は言った。


「とにかく、今この校舎に居るのはわたし達二人と一匹だけという事ですね?」

「オイラのカウントに〝匹〟を付けるな!」

「ああ、そうだよ。僕らだけさ。つまりそんな校舎を彷徨うろついている連中は、不審者かお化けって事だ」

 タマを無視し、転法輪は続ける。


「もっとも、お化けというは存在しない。居るとしたら、不審者の類だろうね」

「魔法使いなのに、幽霊を信じないのですか」

 踵を返して歩き始めた転法輪に対し、星見は後ろから追いかけるように声を掛けた。


「別に魔法という存在は、君達が考える幽霊みたいな超常の存在じゃあないんだ。現実の延長線。アプローチが違うだけで、やってることは電気文明たる現代技術とそう大差はないよ」


 言うと、不自然な動作で懐中電灯を廻し始める。光が壁や天井に不規則な八の字を描き出した。


「これはマグライト、懐中電灯だ。ご覧のように、光源を生み出す道具さ。魔法でも同じような道具があってね、焔の壷という。炎の精霊を壷に閉じ込めたもので、魔法使いはそれを光源にして暗闇を点すんだ。まあ正直、ルーメンで換算するとこのマグライトに軍配が上がる。しかし壷は職人の手で精巧に作られた美術品だから、今でも熱心なコレクターが居るんだ」

「風の瓶と違って?」

「ああ、あんなIKEAの瓶とは違う」


 本当にIKEAの瓶だったのか、アレ。


「うっせぇな、中身が良ければ外見ガワなんてどうでもいいんだよ。ったく、がさつな見た目のくせにドイツ人は無駄に精巧な物を作るから腹が立つ」

「炎の壷って、ドイツ人が作っているんですか?」

「別に焔の壷全部がドイツ製という訳じゃあないけれど、彼らドイツ人は炎の魔法を操るのが得意なんだ。一番有名な焔の壷の製作者は聖ヤコブ修道院院長だったヨハンネス・トリテミウスだね。彼の産み出した芸術の極致たる炎の壷は全て神秘遺物レリックに認定され、未だにその一つで国一つが買えるという。焔の壷といったらドイツ製という認識は彼のお陰だ」


 ぴたりと、天井で光を固定する。


「そしてもう一人、ノルベルト・クナイフェル。彼もまた、焔の壷の製作者として有名だ」

「誰なの、その人は」

「君の、祖父だよ」

「――――――――――」


 瞬間、先日見た夢が星見 恵那の脳裏でフィードバックされた。

 幼少のみぎりに、我が儘を言って困らせた老人。ノルベルト・クナイフェル。それが、あの人の名前だったのか。


「ノルベルト・クナイフェルは、焔の壷の制作にも秀でていたのさ。彼が制作した焔の壷は、今世紀に於いてもっとも神秘遺物レリックに近い魔法品マジック・ギアと言われている。国一つとまでは行かないまでも、市場に出回れば恐らく相当な金額だろうね」

「相当って一億ぐらい?」

「ドルなら分からないけれど、円では安いな。たかが懐中電灯ではあるけれど、欲しい人なら田畑に娘を付けて売り払っても買いたい品物だから。ナイフで言えば、ランドールとかラブレスみたいなものさ」


 どちらも知らない星見は頭上に疑問符を浮かべたが、やがて駅前で限定十五個で売っているデラックス・カレー・カツサンドDCCと同じであるという結論に達した。


「つーか、最近の焔の壷はメーカーブランドこそドイツだが、生産国は中国ってパターンが多いからな。ゾーリンゲンみたいに」

「魔法の世界でもそうなんだ・・・・・・」


 横から口を挟んだタマの言葉に、星見は項垂うなだれる。


「前から言っているけれど、魔法は別に特別なものではないからね。現実の延長線、だから魔法品マジック・ギアを中国が安価で作っているし遺産相続問題だってある」

 故に僕らが居る、直接語らずとも転法輪の雰囲気がそう言っていた。


「まだ分からないんです、魔法の事」


 ぽつりと、星見は切り出した。


「貴方達の言動や態度から、大体の事情を察する事は出来ます。しかし根本が分からない。あまり普通の世界と変わらないと貴方方は言いますが、その変わっている所が分からないんです」

「それが分かるには、魔法使いになってみるしかないな」

 淡々と歩きながら、転法輪は答える。


「魔法使いと普通の人間、色々相違があるけれど一番違う所は魔法使いは軒並みイコール学者って事だ。普通の人間は、本屋が居たり魚屋が居たり大工が居たり教師が居る。しかし魔法使いは、どんな職業に就こうとも根っこは学者なんだ。皆、何かを探求したがっている。言うなれば、全員大学院で修士課程まで納めて修士になった連中が暮らしている世界だな」

「・・・・・・凄い、面倒くさそう」


 星見が露骨に辟易した貌を見せたので、転法輪は声を上げて笑った。


「うん、事実面倒くさい。押し並べてプライドは高いし、揃いも揃って理屈屋だ。隙あらば相手を言い負かそうと、常に虎視眈々と狙っている。そういう連中が一丁前にコミュニティを築いているんだ。普通の人間が暮らす世界より、ルールが重要になる。だから魔法使いの世界は、ルールの世界と置き換えても良いだろう」


 分かったかい? と転法輪に問われて、星見は初めて自分の発した質問に対する答えであると気付いた。


「・・・・・・わたしが聞きたかったのは、そういう概念の事じゃあないんですけれど。もっとこう、ドイツ人は火の魔法が得意とかそういうの」

「ああ、そういうことか。属性なんていうのは、魔法を理解するために単純化させたものだから、あまり当てにならないよ」

「ちなみに、我がアイルランドは風の遣い手が多い」


 胸を反らし、誇らしげにタマは宣する。


「何となく察していたけれど、実際そうなのね。つまりイギリスは風という訳か」

「それは思い過ごしだよ」

 転法輪は人差し指でタマの喉元を撫でながら言った。


「イギリスは連合王国UKという名を冠する通り、複数の王国が合わさって出来た国だ。魔法も同じで、得意な魔法は地域で大きく違う。聞いた話ではウェールズなんて、王族だけに伝わるドラゴンを従える魔法があるらしい。いつか見てみたいものだね」

 言うと、転法輪はタマを撫でる手を止めた。


「まあ、あくまでも得意ってだけだ。風の魔法が得意なドイツ人が居るように、火の魔法が得意なイギリス人も居る。先程も言ったように、属性というものは理解するために単純化させたシンボルみたいなものだから。実際はもっと複雑なんじゃあないかな」

「実際は・・・・・・って、分からないんですか? 魔法使いなのに」

「そう、魔法使いなのに分からない事だらけだ。しかし表の世界だって日々学説が刷新されているだろう? 一緒だよ」

「不安定な物なんですね・・・・・・魔法って。思っていたものと、何か違う。みんな分かっていて使っていると、勝手に思っていた」

「スマホだってパソコンだって、仕組みを全て理解して使っている人間は少数派だろう? 皆ふわっと使い方を理解して、ふわっと使っている。それと違う所はあれだな、魔法は本来製作者なら知っているはずの仕組みが製作者にも分からないってところかな。新しい魔法というのは、基本的に偶然出来るものだから」

「コンピューターだって同じようなモノだろ。でなきゃ予期せぬ不具合なんて起きやしねぇよ」

「その辺は、君達の仕業さ。グレムリンとかトロールとか」


 快活に笑う転法輪の隣で、星見は俯いた。


「そんな・・・・・・使い方も仕組みもよく分からないものを使って、一体魔法使いは何がしたいんですか?」

「答え合わせさ」

「あの、テストの時にやる答え合わせですか?」


 星見の問いに、転法輪は小さく頷く。


「正確には、この世界に散りばめられた問題の、答え合わせだよ。別に魔法使いだけじゃあない。程度の差はあれど誰もが自分なりのアプローチで、問題を出した誰かさんから解答用紙にAを貰う事を夢みている。魔法使いという生き物は、その欲求がちょいと人より強いのさ」

「祖父も・・・・・・そうだったんですか?」


 星見の言葉に、ぴたりと止まる転法輪。


「マイスター・ノルベルトは、この世界の問題に対してただ一人答え合わせまで到達した魔法使いだ。配られた問題の問一で躓いて試験終了まで頭を抱えている魔法使いが大勢居る中で、彼は全ての解答用紙を埋める事が出来た。正解不正解は別にしてね」

「優秀だったんですね」

「優秀過ぎたのさ。誰もねたみやそねみを抱かないレベルまで到達した人間は、果たしてどうなると思う?」


 星見は黙考する。例えば試験、例えば容姿。完璧な存在は、何処か近付き難く同じ人間には思えない。


「・・・・・・神様、ですか」

「そう、神様だ。優秀過ぎる人間は敬い畏れられ、コミュニティから遠ざけられる。彼は優秀過ぎたが故に孤独になり、次第に心の病に体を蝕まれ――――自ら、命を絶った」

「!?」


 星見は僅かに動揺を見せる。しかし直ぐに平静を装い口を開いた。


「・・・・・・ねたんだ魔法使いに呪文を掛けられ、自殺させられたんじゃあないですか?」

「そういう噂も多数あったよ。自殺の原因が魔法か故意かなんて、分からないからね。初めて君を見付けた時、正直僕は誰かの魔法で操られていたと思った。相続人が死ねば、相続権が失われるからね」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「僕はね、思うんだよ。この世界に散らばる回答欄を埋めて、誰よりも真実に近付き高見に上り詰めた彼だけれど、案外魔法というやつがとても嫌いだったんじゃあないかなって」


 廊下を靴底の樹脂が擦る音が二つ、暗い校舎に響き渡る。ゆらゆらと懐中電灯の光が人魂のように蠢いた。


「分からない事はさ、分からないままでいいんだよ。好奇心というヤツは厄介で、釣り針の返しみたいに一度引っ掛かったらなかなか外れない。そいつが首をもたげる前に、無視する事が肝心だ。わざわざ夜の校舎まで来て、異常な事を理解する必要はない」

「・・・・・・分かっていたの」

「そりゃあね、肝試しって歳でもないだろう。後は好みの異性を引っかける口実ってのもあるけれど、そういうのは大抵おバカな男子の仕事だからね」


 笑う転法輪に対し、星見は目を逸らす。


「残念ですけれど、貴方はわたしのタイプじゃあないわ」

「オイラは?」

「論外よ、バカ猫」

「猫って言うな、オイラは誇り高い妖精猫ケット・シーだぞ!」

「猫で十分よ、猫ッ!!」

「さて、肝試しもおしまいだ。もう十分だろう、鍵を返して帰ろうか」

「ねぇ、じゃあ五人は?」


 踵を返した転法輪に星見が問う。


「最初に言ったろう、何処かへ遊びに行っているだけだって。一応、君が訪れる前にざっと見回ったけれど、怪しいヤツは誰も居なかった。明日にでも、ひょっこり現れるだろう」

「ひょっこり・・・・・・ですか」

「ああ。まあ、学校なんていうものは出席日数を調整すれば、そう積極的に行かなくても良い所だからね。行きたくなったら、行けば良いのさ」

「じゃあ――――」


 押し殺した声で、星見は転法輪へ問うた。



は、行きたくなったから来たんですか? こんな時間に」



 二人の眼前には、手押し車をする全裸の男女。少女が少年を押している。どちらも雑に口と目が縫い付けられ、堅く塞がれていた。


「ああ、多分出席日数が足りなかったんだろう」


 予想外の展開に、転法輪も呆然と眼前の光景を眺めている。

 少女が動くと、ひたひたと少年の両手が足のように動く。手押し車をされていると思われた少年は下半身が切断され、少女の腹部で結合されていた。その悪趣味極まりない外見に、星見 恵那の表情が嫌悪で歪む。それは僅かに動揺の色を含んでいたように転法輪には思えたが、直ぐに元に戻った為に確信はなかった。


「お前、またかよ!?」


 タマが悲鳴に近い声を上げる。


「お前が有り得ないって言った事に限って、全部現実になるじゃねぇか!! しかもコイツら、どう見ても死人アンデッドだろう! お前香港の時のキョンシーといい、どんだけ連中に好かれているんだ!?」

「え、キョンシーって?」

「日本へ戻ってくる前はね、香港に居たんだよ。そこで色々あって、悪い魔法使いにキョンシーを文字通り死ぬ程けしかけられたのさ」

「そんな事やってたんですか・・・・・・」

「お陰で謹慎だ。コイツと居ると始末書で事典が作れちまう」


 タマの視線に対し、転法輪は涼しい顔で肩を竦める。


「とにかくだ、正直かなり拙い。死者に対抗するってのは、とても大変なことなんだ。何しろ、連中はもう死んでる。死んでる奴をもう一度殺す事程、無駄骨という言葉が似合う所業はない」


 さてどうしたものか、転法輪は懐中電灯で男女を照らしながら矯めつ眇めつその光景を見つめる。死人はこちらを襲うことなく、また様子を見るでもなく、撥条仕掛けの玩具のように不規則に周囲を徘徊していた。


「・・・・・・あの二人、死んでいるんですか?」

「まあね。目と口を縫ってあるだろう? あれは死者に余計なモノが取り憑かないようにする処置であると同時に、魔法が出て行かないようにする処置でもある。縫い目が粗い辺り、本職じゃあないのかもしれないな」

「本職?」

死霊師ネクロマンサーの事だよ」


 唾棄するようにタマは吐き捨てた。


「屍体を下僕にして操る悪趣味な連中さ。ブードゥーの連中が有名だな、ゾンビ作ってる連中だ」

「風追いや焔の壷、大体の魔法はゲームのように戦闘に特化させたものではなく、生活の延長線で発展した。より便利に、より効率的に。しかし死霊師の魔法ネクロマンシーは戦火によって鍛えられ、戦禍によって発展した戦闘特化の魔法だ。死なない兵士、死なない労働力。決して命令に逆らわず完璧に行動する駒なんて、戦争に打って付けだろう? 何せ、は無限に戦場に転がっているのだし。一種の永久機関だ」

「じゃあ、あれも魔法使いの仕業って訳?」


 星見の視線の先で、死人は壊れた玩具のように単純な動作を繰り返している。


「他に一体誰が? 言ったろう、お化けも幽霊もまやかしだって。有り得ないんだ、現実的に。屍体が動くなどという不条理が起きたのなら、起こした奴が必ず居る。不条理を条理に変えるのが、魔法使いの仕事なんだよ」

 しかし、と風変わりな魔法使いは死人へ視線を向けた。


「こちらを襲う意思はないようだが、放っておいても騒ぎになって面倒だ。おいタマ、お前確か鎌鼬かまいたちの瓶を持っていただろう。あれで屍体を跡形もなく刻んでしまえ。見たところ再生機能は持っていないだろうから、取り敢えず動かなくなる筈だ」

「オイラの事、タマって呼ぶんじゃねぇ。あと、鎌鼬は品切れだ」

「何でだよ?」

「知り合いに古いメタルミニチュアを譲って貰う報酬で渡したんだよ」

「何でそんな下らない事に、貴重な鎌鼬を使ったんだよ!?」

「ネット環境のない場所に半年間監禁されていたからに決まってんだろッ!! 一体誰のせいでとばっちり食らってカビ臭い地下室に押し込まれたと思っている!? eBayでも滅多にお目に掛かれないミニチュアとなら、鎌鼬の瓶など安いもんだ!!」

「このナード猫め・・・・・・」


 苦々しげに嘆息すると転法輪は懐中電灯を放り捨て、徐にスーツのボタンを外してひるがえした。左脇に固定したカイデックス製のシースが露出する。


「どうせならもっと刃渡りのある得物を持ってくれば良かったが、まあこんな事は予想していなかったから仕方がない」


 シースから引き抜かれた、黒いナイフ。キャンバスマイカルタで誂えたハンドルを握り、ブラックパウダーでコーティングされた黒い切っ先を死人へ向けた。


「サバイバルナイフ!?」

「いや、オンタリオのRAT-5だ」

 律儀にメーカーと製品名を答える転法輪に対し、「そうじゃない」と星見は胸中で突っ込む。


「ちょっと意外だったな・・・・・・」

「!?」


 突如、今まで無意味な動作を繰り返していた死人が、敵意に似た視線を転法輪 循へと向けた。


「自我が残っている、というより条件反射みたいだな。自動的、警備システムということか。差し詰め、歩く監視カメラだ」


 趣味が悪い、と吐き捨てる。侮辱されたと言わんばかりに、縫い付けられた二つの口がくぐもった咆吼を上げた。転法輪はハンドルを宙空で逆手に握り直し、死人を迎え撃つ。


 戦闘特化型のナイフではないという意味で、星見 恵那の〝サバイバルナイフ〟という言葉を転法輪 循は否定したが、〝サバイバル〟という大本の意味では、RAT-5がサバイバルナイフに分類されても何ら不思議はない。

 たった一本のナイフで枝を払い、獲物を狩って食材を刻み、緊急時には戦闘に使用する事が出来る――――それをサバイバルナイフと言わず果たして何と呼称するか。


 特にオンタリオ製のナイフは、軍でも使用される堅牢な構造。RAT-5は刃渡りこそ短いが、オンタリオ社のお家芸たるカーボンスチールの斬れ味は絶妙であり、ハンティングに於いて大型動物の解体も苦無くこなせる逸品であった。


 その斬れ味は大型動物から屍体へ対象を映したとしても、遺憾なく発揮される。


「――――――」


 転法輪は襲い掛かる死人に対し、下段から斬り掛かった。

 少年の右腕が深く裂かれ、黒い血飛沫がみかづきの如く吹き上がる。大自然に鍛えられた獣の肉すら、楽々と刻める銘品。鎧う毛皮すら皆無の柔な人の肉など、紙を裂くよりも容易い。


 死人の身体能力は、生前の筋組織の発達に比例する。死霊魔法ネクロマンシーとは魔法の力で筋組織を強引に動かしているだけであり、死人は映画のような化け物ではなく操り人形に近い。死亡した事により体内の再生機能が停止している為、破壊されればその機能は永遠に失われる。故に転法輪 循の一撃は生者にとっては深手であるが、死人にとっては致命傷であった。


 しかし、死人である。既に死亡している為に、致命傷を受けたとてこれ以上死亡する事はない。映画に於いてゾンビは脳を破壊すれば動かなくなるが、魔法で筋組織を動かしている死人は脳を使用していない為に頭部を破壊しても無意味である。機能が停止するまで、解体するしかない。


「待って――――――」


 その発想に至った星見が、転法輪を呼び止める。反応が僅かに遅れ、少年の左手によって斬り裂かれた。幸い空気を含んだスーツで止まり、肉までは達していない。


「元には、戻らないのね。もう、死んでいるから」

「ああ」

「そこの醜男だけ殺すって事は、無理?」

「無理だね。コイツ等、脳味噌の代わりに電池積んでるようなものだから。接続されているけれど、別々の個体。少年を破壊しても、この少女の活動が停止する事はない」

「じゃあ――」

 唇を噛みしめ、星見は覚悟を決めたように口を開いた。


「その醜男と切り離してから、二人を殺して」

「心得た」


 言うや素早く、転法輪は破れたスーツを翻して死人へと肉薄する。一足飛び。無骨なナイフを構えて振り上げ、一閃の如く振り下ろした。

 防衛機能が失われた死人の肉体は、接合部分から腐敗が始まっている。そこを正確にナイフが食い込み、繋がれた二つの肉体を切り離した。


 血の海が、じわりと広がる。

 少年の上半身から露出した拍動する臓物。思わず顔を背ける星見に反比例するように無表情な転法輪。少女あしを失い両手を使って這いずる少年の様に、彼は小学生の頃図書室で読んだ本に出てきた妖怪を連想した。


 しかし、妖怪。確かにこれは、学校の怪談じみている。転法輪は場違いに嗤い、千切れても尚動き回る死に損ないアンデッドに何度も切っ先を突き立て二度目の死を与えた。

 続いて、間髪入れずに少女へ向けて間合いを詰める。少女が己の爪を振りかざすよりも早く首を刎ね、骨が露出した腹部から刃を入れて下から上へと斬り裂いた。


「――友達、だったのかい?」


 動かなくなった死人に視線を向けながら、転法輪は星見へ問う。


「別に・・・・・・そんな、関係じゃあないわ。わたし、友達居ないから」


 けれど、と星見は血の海に転がった少女の頭部を見下ろした。


「話し掛けてくれたのよ、わたしに。理科室は何処ですかって、たったそれだけの話」


 体育館履きを血に染めながら、星見は頭部が転がった方へ歩いて行く。ソックスやスカートが血で汚れるのも厭わず、膝を付いて少女の頭部を拾い上げた。


「幾ら死ぬにしたって、大槻のような醜男と繋がれて死ぬ必要なんてなかったのに。運が悪かったわね、小西さん」

 ねぇ、と少女――――小西 沙友理の顔に付いた汚れをハンカチで拭いながら、星見は転法輪へ尋ねた。


「この人達って、どういう扱いになるの? 魔法って隠されるものなんでしょう? 魔法で死んだら、どうなる訳?」


 それが、自身の成れの果てを問うているのは明白であった。転法輪は暫く思案し、やがて乾き始めたナイフの血糊を払うとシースへと戻した。


「大体は、行方不明だね。適当な事件をでっち上げるよりも安上がりだから。隠しきれない大規模なモノだと、各方面に金を渡して捏ち上げるけれどね。LIMBOウチでもそういった保険プランがある。魔法使いがしくじった時の保険さ」

「今回は?」

「五人だからね、微々たるものだ。行方不明になるだろう」

「そう・・・・・・五人でも、微々たるものなのか」


 星見は呟くと、ポケットからカッターナイフを取り出し刃を繰り出した。

 縫い付けられた目と口の糸を切り、小西 沙友理の死に顔を整える。須臾、半開きになった冷たい双眼と目が合う。恐怖を押し殺し、手に力を加えて小西の目を閉じさせた。


「これ、わたしのせいなんでしょ? わたしが相続するのを邪魔したい魔法使いが、小西さん達をこんな目に遭わせた。違う?」

「現時点では可能性は高い、とだけ。しかし、君の高校で起きたんだ。警告であると考えるのは、ごく自然な流れだろう」

「回りくどい言い方ね、大人みたい」

 幾何か綺麗になった小西 沙友理の頭部を、花を手向けるように彼女の遺体の隣へ添える。


「けれど、魔法使いも間抜けですね。幾らわたしの身近に適当な親族が居ないからって、こんな同じ学校の生徒という共通点しかない赤の他人を警告に使うなんて」

「・・・・・・確かに、友達ではなかったかもしれない」

 転法輪は煙草を咥え、ジッポーを擦る。転がった懐中電灯が放つ光が、より一層紫煙を強調した。


「しかし、友達になる可能性はあった。先程の言葉を訂正して謝罪しよう。君は噂で聞いた小西 沙友理の身を案じて、真相を確かめにわざわざ夜の学校へ来たんだね。普通赤の他人に、そこまではしない。だから、君には小西 沙友理の冥福を祈って涙を流す権利は十二分にある」

「泣きませんよ、わたしは」

「心で泣くのは男の特権だからな、女は女らしくピーピー泣いてろ」

「うっさい、バカ猫ッ!!」

 徐にからかうタマの首を掴み、転法輪は拾った懐中電灯を星見へ手渡した。


「事態が事態だからね、僕らはこれから上司と連絡を取らなければならない。聞かれたくないんで、怖いかもしれないけれど此所で待っていてもらえないかな。多分、もう死人は居ないと思うから」


 転法輪は用件だけ告げると、踵を返す。


「おい、そんな適当な事言って、マジで死人アンデッドがまだ居たらどうすんだ!? オイラ、もうeBayもSteamもない環境なんかで監禁されたくねぇぞ!!」

「平気だよ。僕らが事前に廻った時に死人を見付けられなかったということは、死人の数が少ないということさ。例え居たとしても、一体か二体。動く屍体は生きている人間よりも脆弱さ。破壊出来なくとも、逃げる事は可能だ。数が多いと厄介だけどね」

「敵の魔法使いが居る可能性を考えろって言ってんだよ!?」


 猫掴みされて宙空でじたばたと喚くタマを窘め、転法輪 循は星見 恵那を背後に残したまま廊下を歩き出した。

 懐中電灯が点す、僅かな明かりの輪。それは常闇の世界に張られた結界のように星見 恵那を優しく護る。

 その明かりから遠ざかり、転法輪とタマは暗闇を進んでいく。


 暫くして、押し殺した嗚咽が聞こえた。

 静寂しじまの廊下で断続的に響き渡る、しゃくり上げる声。


「――ああ、イーヴリン? 僕だ」


 それを耳へ入れぬよう、転法輪 循はスマートフォンを耳に当てた。


 嗚咽はまだ、止まらない。

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