二、『調停員は高校講師』その4

 季節外れではあったが、肝試しを決行した。


 数は五人。発案者である大槻おおつきを筆頭に男子三人と女子二人。場所は自分達の学び舎たる高校の校舎。はっきり言って、ベタなシチュエーションである。


 しかし深夜だというのに、校舎の中はいまいち盛り上がりに欠ける雰囲気であった。それもその筈。この高校は数年前に耐震化工事を行った為、老朽化した箇所は全て新しい物へ置き換わっている。夜の学校は空気が違うというが、懐中電灯やスマートフォンの光が映し出した光景は昼間とそう大差はない。


「思ったより、怖くないね」


 上履きが廊下を鳴らす音が無数に響く中、一人の少女が口を開いた。名を小西こにし 沙友理さゆりという。小柄な栗色の髪が特徴の少女であった。成績優秀でおっとりとした性格。Dクラスの星見 恵那程ではないが、美人の部類に入ると大槻は思っていた。


「正直、こんなに何もないと怖いのは警備員さんの方だよね。停学とか、心配だな」

「大丈夫だよ。あんなジジイよか、俺の方がつえぇ。ぶっ殺せばそれで終わりだ。痛い思いをしてまで、わざわざ侵入した事なんてチクらねぇって」

 大槻はわざと大声を出すと、小西へ己の力を誇示するようにポケットから折り畳みナイフを引き抜いた。両手で刃を起こすと、窓辺に翳して明かりをブレードに浴びせる。


「いざとなったら、ナイフこいつで脅せばいい。ちょっと頬でも斬り裂いてやれば、ビビって素直に言う事聞くだろう」


 刃渡り五センチにも満たぬ粗末なナイフで空を切る。心なしか、小西から信頼感を抱かれている気がした。デザインが気に入って常連にしている雑貨店で年齢を偽り衝動買いしたものだが、心底買って良かったと大槻は胸中で小躍りする。


 正直、肝試しはに過ぎない。目的はあくまでも小西 沙友理である。彼女は天然に見えてガードが堅い。今まで何人もの人間が玉砕している。遊ぶのはいつも女子ばかり、男子とは精々カラオケ程度で盛り場の類はまず行かない。


 しかし、そんな小西 沙友理でも一つだけ突破口があった。それが幽霊や妖怪などオカルトの類である。小西 沙友理はそういった摩訶不思議な存在を愛でる趣味があるらしい。大槻にとってはどうでもいいものであったが、それを利用しない手はなかった。


 都合の良い事に、最近この高校では不思議な現象が度々目撃されている。死んだはずの生き物が校舎を徘徊したり、仮面を付けた男が校庭を舞っているという。大槻は端から信じてはいなかったが、この千載一遇のチャンスを見す見す逃す程彼は愚かではなかった。


 友人二人と共に肝試しを決行し、小西 沙友理とその親友を誘い出す事に成功した。後は適当な理由を付けて三人を散らし、二人きりになればいい。所詮女なんて、雰囲気さえ良ければ直ぐに流される生き物だ。それはガードが堅い女だって変わらない。


 もしもの時は、と大槻はナイフを握る手に力を込める。少し痛めつければ、従順になるだろう。可愛い顔を傷付けるのは不本意であったが、犬猫同様に躾は大事だ。


「本当なのかな、あの話。ちょっと期待していたんだけれどな」

「それを確かめに来たんだろう。まあ、どうせ誰かが脅かしているだけだろうけどな」

「星見 恵那とか?」

 友人の一人、川口かわぐちが口を挟んだ。


「有り得る。彼女影キャだし、一人でそういう事してそう」

 川口の言葉に、小西の親友である生盛きもり 由依ゆいが同意する。

 彼女は小西 沙友理とは正反対の明け透けな性格で、クラスの男子にすこぶる人気があった。川口もその一人で、彼女が居るならと今回の作戦に半ば強引に参加したのである。


「っていうか、あの子って何考えているか分からないし、ぶっちゃけ見た目含めて幽霊みたいなものだよね。正直、不愉快なぐらいキモい。人を苛つかせる天才だわ、あの白髪女」

「幽霊が、あんなエロい躯してっかよ。アイツ、絶対ぜってぇGカップはある」


 鼻息荒く川口が言った。


「噂じゃ頼めば誰にでもらしてくれるらしいじゃあねぇか。俺も頼んでみっかな」

「噂だろ、どうせ。それにお前みてぇなブタ、星見に跨がったら彼女の背骨が折れてしまうよ」

 舌打ちしながら、大槻は言い放つ。


 畜生、折角の雰囲気をブチ壊しやがって。小西 沙友理が身構えたらどうしてくれる。


「でも実際、転校してきた理由はマジっぽいからね。前の学校で教師や育ての親に色目使ってたって。それが拗れに拗れて、最後はお約束の刃傷沙汰。案外、土下座でもすればさせてくれるかも」

「マジで!? よっしゃ、明日実行してみっかな」

「やめた方がいいって、絶対。どうせ、真っ黒だから」


 川口の発言に盛り上がる生盛。それが更に大槻を苛立たせた。

 まったく、馬鹿の川口を連れてくるんじゃあなかった。いつも陽気な西野にしのだって、今日は気を遣って黙ってるってのに。


 ああ、クソ。面白くねぇ。大槻はナイフを仕舞うとポケットから煙草を取り出し口に咥えた。ライターで火を点けようとするが、ガスが切れているらしく点火しない。


「おい、西野。お前のライター貸せよ」


 言って、左に居る西野へ振り返る。瞬間、顔が硬直しぽとりと咥えた煙草が口から落ちた。



 間違いなくに、西野は居た。両目と口が雑に縫い付けられた状態で。



 成る程、道理で黙っていた訳だ。いつもクソうるさいコイツが大人しいなんて変だと思ったんだ。確かにこの口じゃあ何も喋れないよな、異常状態の中で大槻は場違いな感想を抱いた。


 おい西野が、と大槻が他の三人へ声を掛けようとした刹那、悲鳴が聞こえた。何があったと振り返ると、各々声も出せず指差す代わりに光源を廊下の奥へ向けている。



 ひたひたと、音がする。誰かが廊下を裸足で歩いているような、そんな音。



「あん・・・・・・?」


 目を凝らす。自分は、そんな事をしている暇はない。西野の目と口をなんとかしなければならないのに。

 震える光源が、シルエットを浮かび上がらせる。ひたひた、ひたひた、ああうるせぇ。大槻はデブの川口から懐中電灯をひったくると、一体が何なのか確かめるべく光源を穿った。


「な――――――」


 浮かび上がったのは、小柄な人間であった。

 しかしそれは上半身だけで、下半身は大型犬という奇妙な姿。西野の時のように、雑な縫い目で上半身と下半身が結合されている。

 頭部は西野と同じ、目と口が縫われて塞がれていた。裸足なのは仕方がない、犬に靴は履けないのだから。


 足が、竦んだ。このままじゃあ、拙い。肝試しどころじゃねぇ、このままだと俺達も西野と同じようになってしまう。


「に・・・・・・逃げよう」


 辛うじて絞り出された大槻の言葉に、残りの三人が異口同音に頷いた。西野は捨ててく。しょうがない。病院なんかに行っても、あんなものは治らねぇ。お互い脇目も触れず、一目散で来た道を駆けていった。


 どれぐらい走ったか、大槻は徐に足を止めた。息を整えながら、他の人間の行方を捜す。居ない。捕まってしまったか。小西、大丈夫か。荒い呼吸で名前を呼ぶが、誰も応えてはくれなかった。


 異常事態。こうなったら、停学なんて気にしていられない。大槻はスマートフォンを取り出し、震える指で何度もロック解除を試みる。しかし指紋が認識しない。

 ああくそ、もう一度。ダメだ。クソ。パスワード、なんだっけ。ああそうだ、緊急通報。解除しなくても110は繋がる。


 だが。


 繋がらない。有り得ねぇ。もう一度、110。しかし結果は同じ。ディスプレイの表示を見る限りアンテナはきちんと立っているのに、何故か電話が繋がらねぇ。


「――本当は、ケンタウロスらしく馬でやりたかったのですが」


 背後から、聞いた事のないくぐもった男の声がした。スマートフォンを放り捨てるとポケットからナイフを取り出し、マンガで覚えた通り逆手に構える。


「しかしこの国で誰にも気付かれず大型動物を殺すのは、人間を殺す時よりも難しい。だから犬で代用したのですけれど、これは駄目だな。実戦向きでもなく、浪漫もない。やはりコストパフォーマンスを考えると、アライグマの方が良かったか」

「!?」


 振り返った瞬間、大槻は驚愕した。男は仮面を被っていた。その仮面に、大槻は恐怖したのである。

 まるで鳥類のくちばしを連想させるような、長い突起が尖端に付いた異形の仮面。それは嘗て中世ヨーロッパに於いて『ペスト医者』と呼ばれる者達が付けていたマスクである事を大槻は知らない。しかし周囲に漂う香草の臭いと仮面の醸し出す怪人じみた異常さは、彼を恐慌させるには十二分であった。


「精々、このように怖がらせる事が出来る程度です。残念ですが仕方がない。実験というものは失敗の積み重ねだから、諦めましょう。元来我慢強い方なのですよ、俺は」


 一人で納得し、何度も頷く仮面の男。その度に尖端の嘴が、死に神の大鎌のように宙空を斬った。


「予定通り、投入するのはノーマルにしましょう。しかしそうすると困りましたね、先程の彼が無駄になってしまいます。今から足を戻そうにも、神経が死んでしまっていて恐らく接続出来ません。少年の方はそのまま運用するつもりですし、ああ困った困った」


 初めて。大槻は初めて、ゴーグル越しの視線と目が合った。細い糸のような目。それは切っ先が鋭い刃物のようで、視線だけで斬り裂かれるような錯覚を覚える。


 男は大槻がナイフを構えている事など微塵も気にせず、細い目を更に細めて笑った。


「そこの君、申し訳ありませんが足を頂けませんか?」

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