二、『調停員は高校講師』その3

 月が出ていた。満月ではない、上弦の月。


 中秋の名月は来月であるが、澄んだ夜空の月は美しい。ビルの屋上ならば特に。


「右コンマ六度修正、下コンマ二度だ」


 タマの指示通り転法輪は銃口を動かした。スコープ越しに覗く景色が線のように引き延ばされ、固定される。十字線レティクルに区切られた男の上半身。右手を入れた懐から、僅かに黒光りする拳銃が見えた。

 引き金トリガーを引く。薬室チャンバーからフェデラル製6.5㎜ライフル弾が穿たれ男の顳顬こめかみを正確に撃ち抜いた。


「やはり、お前が観測手スポッターだとり易いな。どんな凄腕でも、流石に風の一つ一つは視認出来ないからね」

 突然屍体となった男に、ざわめく周囲。その光景を眺め、転法輪は満足げに頷いた。

あてがわれた時はどうかと思ったが、なかなか良いじゃあないかこのライフル。録に試射もせず、この通り百発百中だ。まさに質実剛健を絵に描いたライフルじゃあないか。10BAね、僕も自分用に買ってみようかな」

 ボルトを引き、薬莢を弾き出す。熱を帯びた黄金色の金属筒が音を立てて地面に転がった。


「止めておけよ。サベージ社のライフルなんて、他のライフル遣いから馬鹿にされるぜ。連中、掛けた金が強さだと過信しているからな」

「構わないさ、別に仲間を誘ってハンティングに行く訳じゃあないんだ」

「・・・・・・ハンティングみたいなモノだけどな、これも」

 やれやれと肩を竦め、タマは言った。

「オイラ達、一応保険屋だよな? 何でこんなゴルゴじみた事やっているんだ? つーかお前、スイス銀行に口座なんて持っていたっけ?」


 眼下では、救急車とパトカーのサイレンが響いている。転法輪はライフルのバイポッドを折り畳み、ライフルバッグへぞんざいに放り込んだ。


「仕方がないだろう、〝君はあれからずっと殺し屋に命を狙われています〟って素直に星見 恵那に言えるか? 彼女に気付かれないよう殺すしかないだろう。それに僕だって、スイス銀行に口座ぐらい持っているさ。根無し草に、あのシステムは便利だ」

 転がったまだ温かい薬莢をポケットに押し込み、転法輪はすくと立ち上がる。


「しかし流石に多いな、あの男で十一人目か。これじゃあ、ちょっとした大物だ。普通、十代の少女に差し向けられる殺し屋の数じゃあないな」

「それだけ、本気で奪いに来ているんだろうぜ。実際、LIMBOウチの顧問弁護士を審問官宜しく火刑にしたんだ。形振り構わないでやらかしてくるだろうよ」

 タマの言葉に、転法輪の目が細められた。


「・・・・・・困るな、それは。今までは、星見 恵那だけを暗殺しようとするから何とか対処出来たんだ。周囲の人間を巻き込んでテロじみた事を起こされれば、流石にこちらも打つ手なし、だ」

 もっとも、と左手の時計に視線を落とす転法輪。文字盤に封入されたトリチウムガスが淡く緑色に輝き、八時二十三分を浮き上がらせる。


「クナイフェル家のに、そこまでする度胸はないよ。連中は今時珍しい魔法文化を礼賛する家だからね。表の人間に神秘が流出する事を極端に畏れる奴らが、大勢の人間を巻き込むような大胆な事が出来るとは到底思えない」

「だと、良いんだけどな。もうこりごりだぜ? 香港の時みたいに大勢のキョンシーに追いかけられるのは」

「こっちも御免だよ。アレのせいで謹慎食らって、香港支部の編纂室に缶詰にされたんだ。これ以上缶詰にされたら、骨まで柔らかくなってしまう」

「猫缶になったら、喰ってやるぜ」

「言ってろ」

 転法輪は言い放つと、ライフルケースを肩に担ぎ眼下の景色へ目をやった。


 救急車とパトカー、そしてポンプ車が各々赤色灯を回転させている。ブルーシートを広げ始めた殺害現場を遠巻きに眺める、一人の少女。アッシュブロンドの髪を耳に掛け、やがて興味が失せたように踵を返してその場を立ち去っていく。肩に掛けた学生鞄が揺れ、持ち手に結わえられた小瓶が振り子のように動いた。


「星見・・・・・・恵那、ね」


 少女――――星見 恵那の姿を視線で追いながら、転法輪は徐に呟いた。彼女についてはイーヴリン・ポープから渡された資料とタマによる内偵によって熟知している。この時間帯に連れ立って遊ぶ友人も塾や予備校に通う予定もない。


 では、一人で何をしに繁華街へ?


「ま・・・・・・そういう日も、あるよな」


 深く考えず、転法輪は屋上を後にした。

 雑居ビル特有の饐えた埃の臭いを感じながら、転法輪 循はふと気付く。


 最近、妙に屋上に縁がある。



        ◆◇◆◇◆



 気紛れに、試してやろうと思った。


 本当に自分を守ってくれているのならば、こういう繁華街に来てもどこからともなく転法輪 循が現れると。


 しかし現実は違った。ついさっき、ヤクザの抗争で組員の男が狙撃手に襲われたらしいが、転法輪は姿を現さなかった。

 もし流れ弾に当たったらどうなっていただろう。狙いが逸れて逆上した男が自分を人質に獲れば流石に現れたかもしれないが、その希望はブルーシートに包まれて閉ざされてしまった。


「・・・・・・ばっかみたい」


 思わず、独り言ちる。別に幻滅した訳ではない。ああやっぱりそうなのか、と現実を再認識しただけであった。


 助けてやる、守ってやる、そんな言葉は聞き飽きた。近所の人だって教師だって児童相談所の職員だって、言うだけならば簡単な言葉。しかし星見 恵那を汚泥の中から本当に引き揚げてくれた人間は過去誰一人として居なかった。


 確かに、物理的には何度も救われた。自分を慰み者にしようとした不届き者は、残らず塀の中である。しかし精神的には一度たりとも救われた事はない。事態が収束した後はすべからく余所余所しくなり、一定の距離を置かれて自分の周りから消えていく。いつもの事だ。そう、悲嘆する事でもない。


 そろそろ九時。夜が深くなるにつれ、繁華街の輝きが一層増すように感じる。実に碌でもない場所だ。喧嘩も絶えないし、詐欺もスリも日常茶飯事。あそこはラブホテルだし、その裏側には風俗店だって何軒もある。場末という言葉がよく似合う。行き着く所まで行ってしまった者達の吹き溜まり。それなのに何故か星見 恵那の瞳には、この街を行き交う人々が皆愉しげに映った。


 引き寄せられているのだろう、と星見は考える。波長が合うから、愉しげに思えるのだと。


 考えてみれば、この境遇にしては真っ直ぐに育ったものだと自分でも思う。よくまあ、横路に逸れなかったと。しかしそれは、決して死んだ両親に悪いとか世間体とか、してやお天道様が見ているからなどではない。


 星見 恵那は思考する。結局横路に逸れている人間というものは、大きなところで世界にそこまで絶望していないのだと。絶望していないからこそ、何処かに希望があると考えるからこそ、逃げ道を探す為に横路へ行く。何もない、世界に希望なんて欠片もない、全ては行き止まり。それを身を持って知っているからこそ、自分は横路に逸れなかった。ただ、それだけだ。


 では何故、今こうして慣れない繁華街を彷徨っているのか?


「ああ・・・・・・成る程、ね」


 希望があると、考え始めているのか、自分は。

 救われたいって、思ってしまっているのか、わたしは。


「本当に、ばっかみたい」


 ちょっと不思議な事があったぐらいで、全てが変わると考えるのは子供の特権だ。現実はそんなに単純ではない。少しの変化によって生じた大きな波も、緩慢とした毎日が平坦へと変えていく。陳腐な例えだが、真綿で首を絞められるような感覚。それが厭で堪らなかったから、自分は自分を殺す事を選んだのだ。


「――――――」


 ぴたりと、足を止める。

 考え事をしながら歩いていた為、自分でも気付かない間にこんな裏路地まで来てしまっていたらしい。


 あれ程までに賑わっていた表通りと違い、今だLED化されていない外灯がまばらに周囲を照らしている。店も閉まっているのか開いているのか分からないような店ばかり。開いている店も間違いなく裏稼業まっしぐらの店ばかり。


 とんでもない所に来てしまった、直感的に星見はそう思った。周囲から向けられる視線は、間違いなく敵意。此所はスリルを求める女子高生が遊び半分で来るような場所ではない。ドラッグ、売春、もしかしたら拳銃密売。普通に生きて普通に死ぬ人間には一生縁のない代物のオンパレード。それらが全て、眼前にある。


 拙い、肩に掛けた学生鞄の持ち手を両手で強く握り締めて唇を噛む。逃げなければ、コイツ等から。捕まったら、裸にされて犯されるなんて生易しいものではない。五臓六腑に角膜や血液、体を構成しているありとあらゆるパーツは全て奪い取られるだろう。最近では戸籍なんかも売り物になるという。とにかく自分という存在全て食い散らかされ、肉片さえも残らないのは確実だ。


「――――――」


 コツン、と小瓶が持ち手を握る手の甲に当たる。いけ好かないブタ猫から貰った竜巻の入った小瓶。これを割れば、瓶の中に閉じ込められた竜巻が周囲の連中を蹴散らしてくれるだろう。


 しかし、と緊張で歪み始めた両眼で周囲を観察しながら星見は思う。本当に、良いのだろうか。こんな場所で竜巻を解放すれば、周囲の人間は死んでしまうのではないだろうか。


 そもそも――――彼らは、本当に自分に危害を加えようとしているのだろうか。


 分からない。どうにかしなければならないのに、考えが纏まらない。気ばかりがはやって、堂々巡りの袋小路に囚われる。迷っているのか、人を殺す事を。違う。そういうのじゃあない。違う。


 怖いんだ、星見 恵那わたしは。

 どうしようもなく怖くて怖くて、誰かに助けて欲しいのだ。

 こういう時こそ、どこからともなく颯爽と現れるものじゃあないの? 己を守ると、言ったのであれば。


「――君、こんな所で一体何を?」

「!?」


 後ろから頭に乗せられた手に、星見は身を強張らせる。


「そんなに驚くなよ、こっちまでビックリするじゃあないか」


 聞き覚えのある声。振り返ると、見知った顔が居た。

 カーキ色のトレンチコートを身に纏い、やたらと長い鞄を背負っている。本人は魔法使いだと宣うが、どう考えても軍人か傭兵の類であった。


「転法輪 循・・・・・・」

「そうだよ、君がよく知っている転法輪 循さんだよ。こんな所で一体何をしているんだ、君の住んでいる場所は幸町さいわいちょうだろう?」

「ちょっとした気紛れです」


 助けてくれた、本当に来て欲しかった時に来てくれた、その嬉しさを紛らわすように星見は素っ気ない口調で答える。


「それよりも転法輪こそ、こんな所で何を? まさか講師が夜回りという訳でもないでしょう」

「それはその・・・・・・アレだ、大人にしか行けない店に用事があったんだよ。君に話したら、赤面するような店さ」


 嘘吐きめ、星見はしどろもどろに答える転法輪の肩に目をやった。何処の世界に喋るブタ猫を連れて風俗店を利用する客が居る。


 どうせ、と辺りを見渡しながら星見は思考する。視界の端に、銃や刀剣類が壁に掛けられた店があった。流石にあれは本物ではないと思うけれど、似たような店に行ってきたのだろう。謂わば、魔法使いの。きっとあの長い鞄の中は銃とナイフで一杯だ。


「セクハラですよ、先生。間違いなく、講師クビです」

「そうかい? まあ、僕の講師としての経歴は出鱈目だから、クビになったとしても生活に支障はないけれど」


 真顔でとんでもない事を口走る転法輪。何度もだと、いちいち反応する気も失せる。


「それより、こんな所にいつまで居る気だい? 保護者たる僕が居るとはいえ、流石にこのままだと連れて行かれるぞ」

「何処に?」

「良くてソープ、悪くて解体工場という具合かな」


 転法輪の答えに対し、星見は失笑する。場違いな筈なのに、堰を切ったような笑い声が留まらない。笑って笑って、僅かに泣いた。


「ラーメン」


 人差し指で己の涙を払い星見は言った。


「奢ってくれるなら、すぐにでもこの場から離れますよ」

「そんなモノで良いのか?」

「ええ。洋行帰りの貴方には、物足りないかもしれませんが」

「そんな事はない、ラーメンは大好物だ」


 但し、と転法輪は人差し指を立てた。


「味噌ラーメンね。それ以外、僕は奢らない」


 それだけ言うと、転法輪は踵を返す。近くでタマが「オイラは豚骨醤油」と喚いていたが、転法輪は完全に無視してスマートフォンで近くの味噌ラーメンを扱うラーメン屋を検索していた。


「早く来い、置いて行くよ」


 自分を呼ぶ転法輪の声に、星見は慌てて二人の後を追う。

 胸中で感謝の言葉を呟きながら。

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