二、『調停員は高校講師』その2

 教室を出て左側、階段の手前に転法輪 循は居た。


 肩にはタマが腰掛け、星見 恵那へ向けて含みのある笑みを浮かべている。

 明らかに、こちらを待っていた。馬鹿にしている。腹立たしく思えて、星見は剣呑な視線を一人と一匹に向けた。

 二人は顔を見合わせると肩を竦めて失笑する。それが大層癪に障る仕草であった為、星見の両眼はより一層細められた。


「こんな所で話すのかい?」


 食って掛かろうとする星見を視線で制し、転法輪は言った。


 見渡せば廊下には生徒や教師が行き交っている。後数分もすれば授業が始まり、廊下は静寂に包まれるだろう。そんな中、目の前の男を大声でなじれば根も葉もない噂が飛び交うのは必至。

 星見 恵那は下唇を噛み締めて転法輪へ付いてくるよう告げると、足早に階段を蹴り上げて昇り始めた。


 ただでさえ好き勝手言われているのだ、これ以上変な噂を立てられて堪るか。


「これは、また――」


 星見 恵那が指定した場所は屋上であった。

 厳密には屋上ではなく、本来の屋上は見上げた一段高い場所に設けられている。


 コンクリートで作られた簡素なステージと、それを囲うように並べられた同じくコンクリート製の椅子らしきオブジェ。全く手入れはされて居らず、周囲は悪戯で投げ込まれたコンクリートブロックや小石、長年に渡り散って積もった無数の落ち葉が腐葉土を形成していた。


「野外演劇場、というみたいです」


 棘のある声で、星見は呆ける転法輪に説明した。


「この高校を建て直したのが丁度バブル期だったようで、うちにもお洒落な施設をと作ったみたいですが、結果はご覧の有様です。これでも昔はシェイクスピアなんかをやったこともあるらしいですが、そもそも今は演劇部がありませんし」

「シェイクスピアって、此所でるとしたら『夏の夜の夢』か?」

「いや、案外『冬物語』かもしれないぜ」


 こぢんまりとしたコンクリートのステージに視線を向け、転法輪とタマは口々に感想を述べる。


「さあ、わたしには分かりません。昇降口のトロフィーラックに写真が飾ってあるので、それで判断してください」

 それより、と星見は剣呑な視線を転法輪へ向けた。


「何で貴方が高校ここに居る訳? それに先程の授業、アレは一体何!?」

「言ったろう、僕らは調停員。君の護衛が仕事だと」

 悪びれもせず転法輪は言った。


「だから、この学校の講師になったんだよ。そうすればいつでも君を守れるからね」

「守るって言っても・・・・・・教員免許は!?」

「そんなモノがなくても教職に就いている人は、一杯居るじゃあないか。ニュースとか見た事ない? 別に連中と違って給料や退職金を掠め取ろうって魂胆じゃあないから安心してくれ。偽講師は君が相続するまでの短い間だけだ」


 この男、とんでもねぇ事を言い出した。てっきり魔法か何かでお茶を濁すと思っていた星見は二の句が継げない。


 出会ってから数日、未だに星見 恵那は転法輪 循という男を計りかねていた。

 掴み所のない、それでいて情に棹さす傾向きらいがある。青年と少年が同居しているような不安定感。率直に言って、訳が分からなかった。


「じゃあ、さっきの授業は? どう考えてもアレ、洗脳でしょう。何か怪しげな呪文を唱えなければ、あんな風にならないわ。ハーメルンの笛吹き男みたいに」

「一つ、良い事を教えてやる。教育と洗脳の違いなんて、腐敗と発酵の違いぐらいだ。有用か無用かの違いだけで、二つに特別な差異はない。要するに、教育のプロセスを流用すれば洗脳を行う事も実に容易い訳さ。そんな簡単な事に、わざわざ魔法を使う必要はないよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 外道を軽々と通り越した発言に、星見は軽い眩暈を覚えた。

 薄々気付いていた事であったが、この男の倫理観はかなり独特である。長い間海外で暮らすと、このような人間に育つのだろうか。


「それに魔法を使うのに呪文が必要なのは、大規模な儀式か初心者ぐらいだ。はまあ、電車の車掌とかがやってる指さし確認みたいなものだからね。大体の魔法に、呪文は必要ない」

 言うと、転法輪は肩に乗ったタマへ目配せをする。嘆息するとタマは肩から飛び降り、何処からか小さな笛を取り出した。


 子供がナイフで削って作ったような、粗末な木製の縦笛。それを口に咥え音を鳴らす。

 草笛のような、音。音色ではない、単なる音。何が始まるのかと若干期待していた星見は、肩透かしを食らう。しかしそれも束の間、野外演劇場に風が吹き始めた。


「っ――――――」


 何が起こっているのか、風が強すぎて目を開けていられない。風の勢いに眼球を慣れさせるようゆっくりと目を開けると、宙空へ向けて紐を回転させるタマの姿が映った。


 例えるならば、昔映画で見たカウボーイ。投げ縄を牛へ掛けるように宙に向けて縄を放つ。

 尖端に作られた輪が縮まると同時、ロープを手繰り寄せるタマ。何をしているのか、何が起きているのか、全く分からない。何かを捕まえたようだが、小さくなった輪には何も掛かっては居なかった。


「・・・・・・これが魔法だよ」


 事態を飲み込めない星見の隣で、転法輪は言った。


「地味だろう? 伝統的な魔法でね、〝風追い〟という。風笛で喚んだ風をああいったロープで捕縛するんだ。後は瓶や袋なんかに詰めて飼っておく。そうして風が必要な時に瓶を割ったり袋を破いたりして使うんだ」

「あ、瓶・・・・・・・・・・・・」


 星見はタマの腰でジャラジャラ音をさせる小瓶に視線をやった。あの空瓶には、捕まえた風が入れられていたのか。そうして、自分が助けられたあの日の出来事を思い出す。あの時自分を持ち上げるように吹き上げた風の正体は、これだったのか。


「大航海時代、アイルランドの魔法使いが潤っていたはこれさ。風を受けて推進する帆船全盛期だったから、あの風の小瓶は非常に高く売れた。最高値の時は金貨一袋と交換されたと聞く。何もない海の真ん中で立ち往生する事に比べたら、金貨の一袋ぐらいどうってことなかったのさ」

「誰でも出来るの?」

「コツを掴めれば、誰でも。けれど、大体昔から風追いはああやって妖精猫ケット・シーの仕事だよ。猫というのはね、風を読むのがとても上手な生き物なんだ。猫としての感覚を持ちながらロープを操れる両手がある妖精猫ケット・シーにとって、風追いはまさに天職だったという訳さ」


 言うや、転法輪はタマへ視線をやる。


「釣果はどうだった?」

「どうもこうも、あまり良くないな。天気から南風が掛かると思ったが、実際掛かったのは季節の変わり目に渡り損ねた竜巻だ。痩せ細って旋風みたいになってやがる」


 不満そうに小瓶に詰めているタマであったが、ふと己を見つめる星見の視線に気付いて作業を止めた。瓶と星見を交互に見やり、それから徐に瓶を星見へ放る。


「目当ての風じゃあなかったからな、やるよ」

「高価な物じゃないの?」

「昔はな。タービン廻す船が主流の今じゃあ、完全に値崩れしているよ。精々、ヨットレースの不正に使われている程度だ」

 からからと笑うと、タマは散らばった縄を巻き始めた。


「痩せたチビとはいえ、本物の竜巻だ。使いようによっては色々便利な事が出来る。それこそ、飛び降りたくなっても途中でキャンセルする事だって可能だ」

「その話はもう止めてッ!!」

 金切り声で星見 恵那は叫んだ。


 思い付きで自殺しようとした所を目撃されただけならいざ知らず、助けられて事あるごとに茶化されるなんて、それこそ自殺ものの羞恥である。


「ま・・・・・・とにかく、お守りだ。その辺の量産型女子高生みたいに学生鞄にでもぶら下げておけ。必要な時は地面にでも瓶を叩き付けて割ればいい。使い捨て、一回こっきりだから慎重にな」

 それだけ言うと、タマは巻き終えたロープを腰に吊るして中折れ帽を目深に被った。


「要は、って事さ」


 一部始終を眺めていた転法輪が口を挟む。


「この猫は口が悪く性根が腐っているが、根っこは悪い奴ではない。というか、妖精には善悪という概念がないんだ。あれは人間の定めた尺度だからね。まあ、だからといって悪い事をしない訳じゃあないけど。悪意がない方が碌でもないのは世の常だ。取り替え子チェンジリングとか、それの典型だろう」

取り替え子チェンジリング?」


 聞き慣れない言葉に、星見は首を傾げた。


「妖精がやらかす典型的な悪戯だよ」

 星見の疑問に対しタマが答える。


「洗礼前の赤ん坊を連れ去って、代わりに人形やら妖精を置いて行くんだ。取り替えられた赤ん坊は、当然戻ってこない。その親は取り替えられた事も知らず、自分の子供だと思って妖精やら木偶人形をあやすんだ。魔法が解けて自分の育てていた存在のに気付いた時、決まって夫婦はブッ壊れる。胸クソと質の悪い最低の悪行さ」


 語り終えてから、タマは押し黙る。


「オイラはやってないからな、取り替え子チェンジリング。ああいうのはピクシーとかレッドキャップみたいな下等な連中の仕業だ。オイラのように高貴な妖精は、もっと知的でおぞましい悪戯を思い付くぜ。後、オイラは猫じゃあねぇ。いいか、よく聞け――」

「な? 良いヤツだろう?」


 思い付く限りの悪行を語るタマを尻目に、転法輪は言った。


「・・・・・・悪ぶっている中学生、みたいね」


 星見は半眼でその光景を眺め、率直な感想を述べる。


「でも・・・・・・取り替え子チェンジリングか――」

「何か、思う所でもあったのかい?」

「別に、大したことじゃあないわ」

 受け取った小瓶を鞄に結わえながら星見は言った。


「わたしも取り替え子チェンジリングだったのかな、と思っただけよ。それに気付いて、みんなわたしを避けるのかなって」

「それはないよ。タマも言っていたろう、取り替え子チェンジリングに気付いた両親は壊れてしまうと。記録を見る限り君の両親は発狂した訳でもないし、また君を預かった歴代の親戚連中も常軌を逸した行動は取ったけれど、別におかしくなった訳じゃあない。つまり君は、取り替え子チェンジリングではないということさ」

「知ってる。ただの冗談です」


 短く答えると、星見は上履きが汚れる事も厭わずに腐葉土を踏み締めてステージへ上がった。


「けれど、本当に取り替え子チェンジリングだったら良かったのに。あんな連中と血が繋がっているというのは、考えただけでも身の毛がよだつから」

「そこまで家族が嫌い?」

「ええ、とっても」

「確かに、直近はそうだろうな」

 転法輪は懐から煙草を取り出し口に咥えた。


「けれどまあ、繋がっているというのは案外良いものだよ。託されているんだ、思いとか願いとか色々。たまには呪いの類もあるな。それらが混ざり合って、連綿と続いていく。ちょっとやそっとじゃ再現出来ない、ある種の魔法だよ」

「意外だわ」

 目を丸くして、星見は言った。


「貴方から、そんな道徳の教科書みたいな言葉を聞くとはね。なんていうか、貴方はちょっと兄弟とか家族みたいなカテゴリを冷笑しているような人だと思っていたから」

「僕らしくない、ね。僕は多分、続いているというのが羨ましいんだろうな」

「どういう――」

取り替え子チェンジリングというのも、寂しいものだよ。きっとね」


 星見の問いを掻き消すように、転法輪は言葉と共に紫煙を吐いた。

 二つの屋上に囲まれ四角く切り取られた晴天に、静かに紫煙が立ち昇っていく。


「――――――――」


 僅かな青。それを掴むように手を伸ばす転法輪 循の双眼が、星見 恵那には何故だかガラス細工の陳腐な宝石に見えた。

 精巧に作られた人形に人の魂が押し込められたような、感覚。


 今更ながら、少女は思った。

 この男は一体、何者なのだろう。

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