一、『相続人は死にたがり』その5

 男は苛立っていた。


 フランクフルト空港で搭乗手続きを済ませ、意気揚々とビジネスクラスのシートに腰掛けた時は最高の気分であった。途中機内で出された食事にも舌鼓を打ち、慣れないタブレットで見ていた下らないB級映画も涙が出る程笑い転げた。有り体に言えば、上機嫌である。


 成田国際空港に到着した時も、まだ男の機嫌は最高であった。空港職員からパスポートにスタンプを押され、スーツケースと共に無事入国を果たせれば男の気分もそのままであっただろう。

 しかし男は判を押されるべきパスポートを没収され、不本意にも入国審査官と税関職員によって拘束される事態となってしまった。それが、苛立ちの原因である。


 問題となったのは、スーツケースに入っていた男の私物。アルラウネの葡萄酒漬けと乾燥した猿の左腕。どちらも熟達の職人の手によって仕上げられた銘品である。

 魔法が世界に満ちていた時代の神秘遺物レリックには及ばないものの、男の使う魔法の力を増強するには十分な逸品であったが、空港職員達とっては不正に持ち込まれた密輸品に他ならない。特に乾燥した猿の腕はワシントン条約で取引が禁止されているフクロテナガザルの腕であったこともあり、一時は国外退去処分も危ぶまれた。


 必死で自分が密輸業者ではない事、またその品々が自分にとっては必要な物である事を職員等に繰り返し訴えたが聞き入れられず、最終的に物品を没収される事によって何とか入国を許可された次第である。


 まったく、とんでもない国だ。こいつらは、魔法使いという存在を何と思っている。何かとドイツ人に辛く当たるフランスですら、こんな屈辱は受けた事がない。特にあのアルラウネは、全魔法使い憧れの九十八年製ヴィンテージだったのだ。


 成田国際空港から此所までの道のりもまた、男の苛立った炉に薪をくべた。一体誰が、日本の鉄道は時間に正確などとのたまったのか。此所に着くまでに二回も遅延に巻き込まれた。人身事故の影響だとアナウンスしていたが、周りの人間の話から自殺であろう。この国は死にたくなる程の不幸で満ち溢れているだのろうか。


「相手方も自殺してくれれば、助かるのだが」


 男は悪意を持って嗤うと、軽くなったスーツケースを押して駅を出た。既に夜は更けており、風が冷たい。男は冷えた手をスラックスへねじ込み、雑踏へ鋭い視線を向けた。


 気配を感じたのだ、粘り着くような陰湿な気配を。


「――待ち合わせたつもりはないぞ、マーフィー・マー」


 刹那、空気が嗤った。光を帯びた雑踏が口元のようにねじ曲がり、哄笑する。男はその光景を眉一つ動かさずに見つめ、それが次第に人の形を成していくのを眺めていた。


「遠い異国の地ですからね。せめて此所まではと、お迎えに上がった次第です」


 それは男であった。顔付きから中国系だと判断出来る。

 喪服のような礼装に身を包み、それに似合わぬ正面に〝WoMA〟とロゴの入った赤いベースボールキャップを目深に被っていた。外見から歳は恐らく三十程度、自分よりも若い。もっとも魔法使いは、外見と実齢が結びつかないのが常である。マーフィー・マーと呼ばれたこの男もまた、齢百を超えている老人の可能性があった。


「なら、空港まで来てくれればよかった。そうすれば無用なトラブルは避けられたんだ」

「トラブルですか? 貴方らしくもない」

「出国時は問題なかった魔法品マジック・ギアが没収されてしまった。とんでもない損害だ」

「言ったでしょう、メールで。この国の入管は他の国より厳しいと。だから魔法品マジック・ギアを持って行くなら、ナイフや時計といったありきたりな品物にしろと書いた筈ですよ。もっとも、ナイフは携行していると銃刀法という法律で処罰されますけれど」

「ナイフを持っているだけで逮捕されるだと? この国はサムライの国ではなかったのか」


 驚きを隠せぬといった表情で、男は言った。


「まあ、同時に刀狩りの国ですしね。貴方の国も似たようなでしょう。いつの世の為政者達も、無辜むこの民が武器を持つ事を畏れるのです。それが例え小さな刃物であっても」

 マーフィーはそう嘯くと軽く右腕を虚空へ掲げた。程なくして、一羽の烏が腕に止まり彼の耳元で嘴を鳴らす。


「何かあったのか?」

「例の埋葬協会から、調停員パーミッショナーが来日したようです」


 その言葉に男は破顔した。不機嫌であった気分も吹き飛び、わだかまっていた苛立ちすら胸中から綺麗に洗い流される。

 何故なら男は、その為だけに遙々この極東まで来たのだから。


「やはり来たか、調停員パーミッショナー。しかし思ったより到着が早かったな。遺言の期日は四週間後だった筈だが」

「どうやらLIMBOリンボ社は、日本に支部を作ったようです。調停員パーミッショナーはその新しく出来た日本支部に配属されたようですから、恐らくその手続きの為かと」

「このニンジャぐらいしか居ないような片田舎に支部だと? 大企業の考える事は分からないな」


 かぶりを振って男はぼやく。男の様子を冷めた視線で一瞥してから、マーフィーは徐に口を開いた。


「恐らく、租税回避地タックスヘイブン的なものでしょう。忍者の他にも陰陽師や僧兵といった魔法使いに類する存在がこの国には多数居りますが、彼らの大部分が魔法を戦闘の手段として活用しています。暗殺者が暗殺の術を外部へ漏らさないように、彼らもまた己の血縁者を除いて獲得した魔法を部外者に開示する事はない。魔法を埋葬協会に遺産として管理させるという事は、必然的に遺産とする魔法を協会側に開示することを意味します。正直、そのシステムを忍者や陰陽師達が素直に受け入れるとは到底思えません」


「魔法使いが税金対策とは、何とも夢のない話だ」

「幾ら魔法使いと言えど、妖精郷で気の向くまま魔法を研究している訳ではありません。国に属し税金を納め、タイムカードを差して週末には妻と子供へプレゼントを贈る――――要するに、普通の人間と何ら変わらない生活をしています。ということは我々の抱える柵もまた、普通の人間と差異はないのです。そもそも相続トラブルなど、世俗の極みでしょう」


 マーフィーの嫌らしい嗤いに、男は顔を顰めた。


「しかし貴方もまた、今時珍しい奇特な人ですね。相続トラブルなんていうものは、卓上ゲームの要領で弁護士同士を戦わせておけば勝手に済む話でしょうに。わざわざ調停員パーミッショナーを炙りだして魔法決闘メンズーアに持ち込むなんて、間違いなく数世紀前の行いですよ」

「幾ら時代後れと言われても構わない」


 茶化すようなマーフィーの言葉に、洗い流された筈の苛立ちが貌を擡(もた)げた。


「剣には剣、血には血、魔法には魔法。それが、クナイフェル家の次期当主たるエドゥワルド・クナイフェルの矜持だ」

「そういう生き方、この国では浪花節って言うんですよ。それよりも――」


 マーフィーの糸のように細い目が更に細められた。男――エドゥワルド・クナイフェルは肩を竦め嘆息する。


「〝焔の壷〟の件だったな、分かっている。取り交わした契約通り、成否に関わらず諸君等に譲渡しよう。クナイフェル家の名の下に、このエドゥワルド・クナイフェルが保証する」

「はい、確かに。報酬さえ頂ければ我々は構いません。そこが埋葬協会との相違です。それと、」


 マーフィーは己の胸ポケットから左手で写真を引き抜き、それをエドゥワルドへ投げて寄越した。


「そこに写っているのが、貴方の親戚の星見 恵那という娘です。弁護士同士の遣り取りでは、名前は分かっても顔までは分かりませんからね」


 マーフィーの言葉を無視し、エドゥワルドは乱暴に掴んだ写真を凝視する。その様子を静かに見つめながら、マーフィーは自分の右腕に留まった烏を闇へと放った。


「・・・・・・これは、老婆心からですが」


 マーフィーは夜闇に溶けていく烏を見送ると、エドゥワルドへ視線を向ける。


「名字は違えど、星見 恵那は貴方の親戚だ。それも、決して遠縁という訳でもない。そんな人間の命を奪い取る事に、貴方は何も思わないのですか?」

「妹はクナイフェル家のしきたりを厭い、自ら望んで出奔した。その妹が孕んだ娘など、最早他人に等しい存在だ。故に、私にとって星見 恵那は我がクナイフェル家の神秘を狙う賊と変わりはせん」

「家族を賊、ですか」

 懐から煙管を取り出し、刻み煙草を押し込める。


「分かりませんね、そういう考え。そこら中敵だらけの世の中、信じられるのは血と家族だけでしょうに」

「家族総出で自国へ見切りを付けたお前らしい意見だな」


 エドゥワルドは、笑いながら写真を宙に放り投げた。


「確かに、私も家には愛着がある。しかしそれは、家に帰属し家を次代へ繋げるという当主としての義務からだ。血が繋がっている程度で手心を加えるような軟弱者では、ブルガリアの争乱は疎か二度の大戦すらも生き残れまい」


 刹那、放り投げられた写真に火が点り一瞬にして灰へと変える。突然燃え上がった炎に雑踏がざわめくが、やがて何もなかったように流れ始めた。

 人々は気付かない。眼前で魔法が行使された異常さえも。


「そろそろ手配したホテルに向かう。何か連絡があればメールか電話をくれ」

「ホテルの名前を言って頂ければ、お送り致しますよ。あと俺の被っているこの帽子、如何ですか? サービスです」


 マーフィーの提案にエドゥワルドは「どちらも結構だ」と短く答え、スーツケースを押して雑踏の一つへ溶け込んでいく。車輪がアスファルトを掠める厭な音が遠ざかって霧散すると、マーフィーは踵を返して反対方面へ歩き出した。


「・・・・・・よく言いますよ、偽りの栄光に目が眩んで節操なくワーズワースにくみした家の後裔こうえいが」


 煙管を咥え、マーフィーは独り言ちた。火を点した覚えがない雁首から細い紫煙が立ち昇る。


 途端、先程夜闇へ放った一羽の烏がマーフィーの肩へ留まった。耳元で嘴を鳴らし、主人たるマーフィー・マーへ己が集めて来た情報を詳細に報告する。

 烏の報告が進むに比例し、マーフィーの口元が弛緩する。終盤に近付くや含み笑いが哄笑となり、周囲へ響き渡った。その突然の笑い声に人々は訝しい表情でマーフィーを見たが、直ぐに関心が失せて各々の世界へ戻っていく。


「仕掛けは上々、という感じですね。順調です、怖いぐらいだ」


 マーフィーは自分にじゃれてくる烏に乾し肉を与え、軽く頭を撫でてやる。気分を良くした烏は翼を広げ、夜空へ飛び立った。


 烏が広げた翼や胴体、頭部に至るまで全ての体に縫合した痕跡があった。しかしそれに気付く者は誰も居らず、またその意味を知る者も居ない。


 当てもなく、ただ夜は更けていく。

 闇の帷で、世界の神秘を覆い隠すように。

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