一、『相続人は死にたがり』その4

「――名刺だけというのは、些か無粋だったね」


 幾何かの時と間を置いて星見ほしみ 恵那えなが落ち着くのを待つと、転法輪てんほうりん めぐるは徐に口を開いた。


「僕の名前は転法輪 循、そしてこっちの猫はタマだ」

「オイラは猫でもなければタマでもないぞ!」

「妖精の名前は定命の人間には難しいから好きな名前で呼べと言ったのはお前だぞ、妖精猫ケット・シー。良いじゃあないかタマ、響きが可愛いしこの国では猫に付ける有名な固有名詞なんだ」

「だからこそ、適当に付けられた気がするんだよ・・・・・・って、お前またオイラの事を猫扱いしたな!?」

「猫だろう、実際。四足歩行か二足歩行の違いだけだ」

 にべもなくタマと呼ばれた黒猫に言い放つと、転法輪は話を仕切り直すように咳払いをする。


「先程も言ったように、僕らは埋葬協会の人間だ。勿論、僕らは勧誘しに遙々イギリスUKから来た訳じゃあない。君は幸運にも遺産を相続し不幸にも命を狙われてしまった。そんな君に相続を恙無つつがなく行わせる為、協会は僕ら調停員をUKから派遣した。まあ言うなれば、ボディーガードみたいなものさ。分かったかい?」


 転法輪の問いに対し、ぼんやりと聞いていた星見はからくり時計の仕掛けが動くように小首を傾げた。


「そもそも、その埋葬協会っていうのは一体何? 名前からしてかなり物騒な組織に思えるんですけれど」


 顔を見合わせる、転法輪とタマ。小声でひとしきり罵り合うと、何事も無かったように話し始めた。


「埋葬協会というのは直訳だよ、日本語の。正確にはBurial Societiesというヴィクトリア朝時代に出来た保険組合さ。煌びやかな時代だったけれど、それと同じぐらいに闇も深かった時代だ。正に一寸先は闇。そんな時代、死後安心して教会に埋葬される為に皆でお金を出し合って組合を作ったのが埋葬協会の始まりだ。週に一ペニーという僅かばかりの会費を納める事によって、会員が亡くなった時に埋葬費が協会から支給される。要するに今ある生命保険の元祖だよ」

「保険金殺人事件の始まりでもあるぜ。埋葬費の3ポンドに目が眩んで、親が実の子供を手に掛けたりとかな」

「おいおい、イメージダウンは止してくれよ。査定に響くから」

「馬鹿馬鹿しい」


 それまで無言で転法輪の説明を聞いていた星見が言い放つ。


「家族とか誰かに遺すならまだ分かるけれど、自分が死んだ後の葬式代の為にコツコツ貯金するなんて、まるで死ぬ為に生きているようじゃあない」

「つい先程まで死のうとしていた奴が言うと、なかなかに説得力があるな」

「っ――――――――!?」


 タマの言葉に星見は耳まで紅潮した。反射的に不敵な貌を浮かべるタマを睨み付ける。言葉を紡ごうと唇を動かすが、なかなか言葉にならない。そんな星見の様子を一瞥し、転法輪はさらに講義を進めた。


「このシステムに目を付けたのが、当時の魔法使い達だ。彼らもまた死後に向けて組合を立ち上げ、自分の死後も血縁者や弟子らによって自分の研究が恙無つつがなく行われるようシステムを構築した。最初は小さな寄り合いだったけれど、今ではBurial Societiesという単語が、本家本元の埋葬費を捻出する為の互助会ではなく、魔法使いの生命保険会社を差す単語になっている程度に普及している。当然、幾つもの埋葬協会が乱立し世界中でシェアを争っている。その中でも一番の大手なのが、我がLIMBOリンボ社という訳さ」


 さり気ない優良企業アピールに対し、星見はげんなりとした表情になる。自ら大手である事を誇る企業に碌な企業はない――――短い人生経験から星見 恵那は学んでいた。


 主にネットで。


「研究を続けるって・・・・・・遺産は論文? それとも研究費?」


 話題を変えるように、星見は転法輪に問うた。それに対し、転法輪は口元を皮肉げに歪める。


「魔法使いが遺す遺産だぞ」煙草を咥えながら転法輪は笑った。「魔法に決まっているじゃあないか」


 転法輪の言葉に対し、星見は驚愕した。

 遺産と称されるならばそれは形在る物であると考えていた彼女にとって、転法輪の答えは予想外であった。遺産が魔法が書かれた論文や、研究を行う為の資金であれば理解は出来る。しかし魔法そのものとは、星見 恵那にとって理解の範疇を超えた遺産であった。


 その遺産を自分が相続する――――なんて、星見は思わず肩を振るわせた。


「昔は研究費だったんだけどね。今は証券や証文も取り扱ってるけれど、LIMBO社うちの主力商品は魔法。魔法使いから預かった魔法を相続する日が来るまで手数料をとって保管しておくんだ。この国では生命保険というより、貸金庫みたいなイメージかな」

「そんな・・・・・・事、言われたってイメージなんて出来ない――」

「難しく考える必要はないさ」


 火の点った煙草を咥え、転法輪は言った。


「遺産が魔法であるだけで、後は普通の遺産相続とそう変わらない。君は期日に遺産を相続すれば、それで良いんだ。面倒事は弁護士や調停員ぼくらに任せておけばいい」


「弁護士?」今までで一番聞き慣れた言葉に星見は反応した。「魔法使いの世界にも弁護士って居るんですか?」


「居るに決まっているだろ。もしかしてお前、魔法使いって聞いて薄暗い洞窟で大きな鍋をかき混ぜて不気味に笑っているような変態を想像していただろう?」

 半眼で問うタマに対し、慌てて星見は首を振った。


「そこまで酷い訳じゃあないけれど、ゲームとか漫画みたいに魔法使って夜な夜な戦っているような人達かな、と」

「ああ、魔力の風を掴んで相手にぶっ放す方か。それでたまにダイス目が暴走して次元の彼方まですっ飛ばされるヤツ」


 いまいち分からない言葉で納得すると、タマはうんうんと頷いた。


「そりゃあ、五十年前ぐらいの話だ。昼と夜の区別がはっきりしていたあの時代ならいざ知らず、今みたいに昼だか夜だか分からない時代にあんな大それた事は出来ねぇよ。うちの本社があるノッティンガムだってそこら中に監視カメラが光っている。そんな中で殺人に魔法なんて使ったら、魔女を通り越してテロリストだ」


 火あぶりにされる前に蜂の巣だぜ、タマは舌を出して戯けて見せた。


「そういう訳で、厄介事は大体が法的な手段で解決される。まあ今回は色々あって拗れているようだけれど」


 戯けるタマをたしなめながら、転法輪が口を挟む。


「心配はしなくて良い、その為の僕らだ。遺産を相続するまでの四週間、君は死ぬ事は出来ない。例え、それを君が望んだとしてもね」

「そういうこと。分かったらもう死ぬんじゃあねぇぞ、これ以上小瓶を消費したくないからな」


 り返るタマの腰で無数の小瓶が揺れた。

 何も満たされていない空の小瓶。有り体に言ってとても高価な代物には思えないが、タマの口ぶりから察するに貴重な物なのだろう。何処からどう見てもIKEA辺りで一つ九十九円で売っていそうな意匠なのだが。


「・・・・・・そいつは無理な相談かもしれないぞ、タマ」


 刹那、転法輪の言葉が終わるよりも早くタマの目付きが剣呑なものへと変わった。毛を逆立て尻尾が硬直する。余りにも変貌したタマに対し、星見 恵那は戸惑いの表情を見せた。


「確かお前、オイラにいたって言ったよな? めっちゃ付けられていたじゃねぇか、マヌケ」

「この国の尾行技術は天下一品なんだよ、何せ忍者の国だからな」


 嘯く転法輪 循の眼前、五人の男が凍った視線をこちらへ向けていた。

 各々手には拳銃を握り、その銃口は全て星見 恵那の頭部を穿っている。その余りの現実感のなさに、彼女は自身に向けられた銃が本物かどうか考えを巡らせていた。


「依頼はそこの少女の命。お前は関係ない、とっとと失せろ」


 中央で銃を構えるフードの男が、くぐもった声で転法輪へ言い放つ。


「見逃してくれるとは、お優しいじゃあないか」

 軽口を叩いた須臾、転法輪の足下に銃痕が刻まれた。銃が本物であることを確認し、星見の背筋に冷たいものが通り過ぎる。

「舐めた口を利いたら、次はお前の頭蓋を吹き飛ばす」

「へぇ――」


 殺意を帯びた警告に対し、転法輪の口元が愉しげに弛緩した。この身の程識らず、言葉に出さずとも表情が物語っている。それは当然男にも伝わっており、フードの奥の表情が一層険しくなった。


「・・・・・・一つ、質問いいかな? 君達は僕の隣にいる二足歩行の黒猫が見えるかい?」


 吸い殻と化した煙草を弾く転法輪の問いに対し、男達は怪訝な表情を浮かべる。それで全てを察したらしく、男達の答えを待つまでもなく転法輪はトレンチコートを翻した。


 瞬間。フード男の眉間から、脳漿の混じった血が噴き出した。咄嗟の事態に呆ける男達の急所に、一つまた一つと赤黒い花が咲き乱れる。滴る血液よりも速く地面へ落下した薬莢が、小気味の良い音を奏でた。


 一瞬にして屍体が五つ。有り体に言えば、殺人事件である。魔法使い専用の保険屋だと名乗った男が犯人である事は間違いなく、また自分が事件の目撃者である事も明白であった。


「・・・・・・ひょっとしてこの人達、使い魔とかそういう類だったりする?」

「アンタにゃ、コイツ等がネズミかフクロウに見えるのかい?」

 タマの言葉にもう一度、星見は屍体を見つめる。しかし屍体を幾ら眺めた所でフクロウやネズミに変わる事はなかった。


 動揺している。当たり前だ。死んだ人は人並み以上に見て来たが、人が殺される瞬間は今まで見た事がなかったのだから。


「彼らは普通の人間だよ。だからタマも見えなかった。魔法使いならば妖精が見えるだろうし」


 言って、転法輪はタマを一瞥する。タマは己がタマと呼ばれた事に不平を喚いたが、転法輪は気にする事なく星見へ視線を向けた。


「トラブル相手の魔法使いに、金で雇われたんだろう。恐らく殺し屋というか、暴力団の鉄砲玉だろうな。わざわざ姿を見せた辺り、素人臭がキツい。まあ、姿を見せて逮捕されるまでが鉄砲玉の役割だから、連中にとってはいつも通りやっただけかもしれないが。僕を追っ払ったのも裁判を気にしての事だろう。一人ならともかく二人も殺したら最悪死刑だからね」

 金を貰っても死刑になったら使えないからね、と五人も殺して死刑確実の男は笑った。


 その軽快な口調から、彼にとって殺人が日常と化しているのは間違いない。こちらを向いた双眼が、得体の知れない闇を孕んで彼女を穿つ。それは先程落下した時に感じた死の感覚によく似ていた。

 一歩、星見は後ろへ後退あとずさる。丁度、平衡感覚を失った時のように。


 転法輪 循は眼前の少女の異常に直ぐ気付いた。それから周囲の惨状を見渡し、「まあそうだよな」と独り言ちる。


「ここまで拗れる事ってのは、本来そうある事じゃあないんだ。あっても精々、自宅に銃弾が撃ち込まれたり郵便ポストが爆発したりする程度でね。こんな風にショッキングな絵面になるのは珍しい。ああ、この屍体は日本支部のスタッフが何とかするから、君の私生活には何の問題も――」

「そんな事じゃあない!」


 精一杯虚勢を張るように星見は声を張り上げた。


、わたしは。こんな光景、全然怖くない。それよりもわたしが怒っているのは、どうして魔法使いなのにそんな武器を使ったのかって事よ!!」


 震える人差し指で、転法輪の右手を指す。しっかりと握られた白銀に光る得物、ピエトロ・ベレッタ社製の92FSと名付けられた拳銃であった。


「魔法使いでしょ、貴方。魔法使いなら、せめて杖で殺しなさいよ」


 馬鹿だ、わたしは。不明瞭な発言に嫌気が差す。自分でも、何を言っているか分からない。

 それでも、星見 恵那は絶対に気取られたくはなかった。例えおかしな人扱いされたとしても、己が転法輪 循を畏れているという事実を。


「・・・・・・確かに、魔法使い同士の決闘メンズーアに於いては短杖ワンドを使うのがセオリーだ」


 拳銃をカイデックス製のホルスターに収めながら、転法輪は言った。


「しかし、今回は場外乱闘で尚且つ相手は単なる人間。わざわざしきたりに則る必要はないよ」


 それに、と語る転法輪のトレンチコートが風にはためいた。その光景は何処か、魔法使いよりも軍人めいている。


「この銃規制が厳しい国で、純正品のステンレス製92FSとレミントンの9ミリ弾薬アモを使う方がよっぽど魔法じゃあないかい?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 二の句が継げない。

 果たしてこの男が一体どうやって拳銃を入手したのか、比較的一般の領域に存在している星見にはこれ以上彼に聞く事は出来なかった。

 碌でもない答えが返ってくる事が確定している問いを発する行為は、俗に愚行と称される。魔法の仕業にしておいた方が、この先互いの為にも色々と都合が良いに違いない。


「まあ、冗談は置いておいて」


 六法全書を軽々と破り捨てるような事案を〝冗談〟と称し、転法輪は二本目の煙草を咥えてジッポーを擦る。雪のような灰が紫煙と共に舞い、黄昏時の空に雲英きらを撒いた。


「数学者が三角定規を武器に戦うかい? 歴史学者が発掘した土器で殴り合うかい? 魔法で戦うっていうのは、つまりそういうことなのさ。常識の外に位置する神秘の法を学ぶ魔法使いだって、彼らのような研究者に相違ない。いちいち呪文や魔法円を構築して魔法を使うより、予め人間を殺す事を想定して設計された武器を使う方が明らかに効率が良いだろう」


 言って、転法輪は地面に散らばった薬莢を蹴り上げる。薬莢はリズミカルな音と共に散らばって、血溜まりを黄金色に染めた。


「タマだって言っていただろう? 今のご時世、魔法を使って派手な事をやらかす奴なんてそうそう居ないよ。夜陰に乗じるのが魔法使いの鉄則だからね。うっかりツイッターなんかで拡散されたら、それこそ一大事だ」

 だからもっぱら魔法を使うのは自分の研究室の中だけさ、と転法輪は付け加えた。


「そういう訳で、魔法を掛け合うような殺し合いはまず起こらない。何とも夢のない話だけれど、カエルに変わってハエを食べるようになるよりはマシだろう?」

「それは一般論でしょう? 魔法使いの中の、一般論」


 口を尖らせて、星見は言った。


「ツイッターで拡散しても構わない、カエルになるのも上等だ、そういうヤバい魔法使いが居ないとも限らないでしょう? そういう奴が襲ってきても、貴方は魔法を使わないで戦うつもり?」

「ああ、そうだ。僕は確実性を持って殺したい。地脈や術者の体調に左右される不安定な魔法よりも、引き金トリガーを引けば確実に弾が飛び出す拳銃こっちを僕は信用する」

「魔法使いなのに?」

「魔法使いだったからこそ、かな」


 転法輪の言葉に僅かな違和感を抱いたが、星見にはそれが何故だか分からなかった。


「だが、君の不安ももっともだ。しかし安心して良い。魔法によって強大な力を行使する為には入念な準備が必要だ。精神を昂ぶらせる為の薬品や魔法円を刻む為の各種動植物、どれもこれもこの国の税関を擦り抜けるのは難しい御禁制の品々。意気揚々と鞄に詰めて持って来ようとも、全部没収されてお仕舞いだ。運が悪ければ本国に強制送還という事も十二分に考えられる。そんな訳で連中の使える魔法は限られる。精々、火球を投げたり氷柱を落としたり、後は礫弾を弾いたりする程度だ。威力もその辺にある火器とそう大差ない。な? 拳銃の方が効率が良いだろう?」


 魔法で税関を擦り抜けた男は、得意げに言った。

 どうやら、転法輪 循という前例が居るから信用出来ない、という考えには至らないらしい。


「とにかくまあ、襲撃も当分は起きないだろう。毎日毎日ああやって危ない人達をけしかけていたら、そこら中で話題になってしまうからね。今日のは、小手調べみたいなもんじゃあないかな」

「小手調べも何も、お前が連中を撒けなかったのが原因だろう」

「だから、今日みたいな怖い思いはしないしさせない。僕がそれを保証しよう」

 タマの言葉を無視し、転法輪は星見へ不器用に笑い掛けた。


 ああ、成る程。星見 恵那は気付いた。

 この転法輪 循という男が、自分を少しでも安心させようとしている事に。

 適当な言葉であしらう事も出来た。それなのにわざわざ言葉を選んで、こちらが極力怖がらないようにしてくれている。


 まったく、みっともなくて見ていられない。こんな情けない大人、今まで一人も居なかった。大人とは子供の前では見栄を張る生き物だ。出逢って一時間弱、その僅かな時間とはいえ星見は彼が悪人ではない事を直感的に理解した。


 もっとも、善人とは言い難いが。


「寒くなってきたから、そろそろ下に降りようか。いつまでも此所に居たって気分と具合が悪くなるだけだ。何しろ、眺めが良くない」


 言って、転法輪は眼下を睥睨した。街灯が点り始め、街並みは明かりに包まれる。一見すればそれは幻想的な風景に見えたが、実体は無数の色が混ざり合った混沌の光であった。


「最期に見る景色ぐらい、もう少し良いものにした方が良いよ。でないと死んでも死にきれない」

「どうして、ですか」


 眼下を見つめる転法輪に対して、星見は問うた。


「どうして〝死なせない〟とは言ってくれるのに、〝死んではいけない〟とは言わないのですか? 自殺はいけない事だって、わたしを咎める事もせずに」


 星見の声に振り返り、転法輪は一瞬呆けた表情を見せる。続いて、堰を切ったように失笑した。


「いや、済まない。馬鹿にしたつもりはないんだ」


 転法輪は不機嫌な表情を見せた星見に対し、右手を振って応える。


「ただ、こうもストレートにかつて自分が言った事を言われてしまうと、やはりこそばゆくてね。久しぶりに顔を埋める枕が欲しくなったよ」

「死にたくなった事が?」

「むしろ、生きたくなった事がなかったよ」


 言い合い、二人は笑い合った。鏡に映る道化を笑うように。


「この世界は明るすぎて、僕のような日陰者には少し眩しすぎるんだ。だから、日中サングラスを掛けるように仮面を被るんだ。そうすると眩しかった世界が丁度良くなる」

「自分を偽れ、ということ?」

「程度の問題はあるけれどね。サングラスだって、童顔なのにレイバン掛けたって間抜けなだけだろう? 自分に似合った仮面を被らないと、周りに違和感を与えてしまうのさ」


 語る転法輪 循の飄々とした口調は、仮面が作り出した幻影か。

 星見 恵那には、そうは思えなかった。道化よりも滑稽な貌を精巧に象った仮面なんて、本当にあるならば自分が欲しいぐらいだ。


「こればっかりは慣れだからね、実際にやってみないと分からない。ただまあ生と死というやつは、得てして寄せては返す波のようなものだから。気が向いた時に、生きたくなればいいさ」

「いい加減ね」

「ああ、だからこんな歳まで生きてしまった」

 話はもう終わりだと、転法輪は吸い殻を指で弾いて踵を返した。


「・・・・・・ねぇ、教えてよ」


 ドアの把手とってに手を掛けた転法輪に星見は問う。


「わたしを殺そうとしている人って、一体誰なの?」


 答える気はない。転法輪は星見の問いを無視して、ドアを開け放った。錆と埃と黴の混ざった臭いが、夜闇に溢れ出す。


「――アンタの叔父だよ」


 代わりに、タマが無機質な声で星見へ答えた。転法輪が剣呑な貌でお喋りな黒猫を一瞥すると、振り返って星見 恵那の顔を見る。


「良いの、別に気を遣わなくても」星見は笑って言った。「そういうのは、いつもの事だから」

「けれど、殺し屋嗾けられたのは初めてだろ?」


 タマの問いに星見は「そうね」と肯定する。


「でも、親戚に嫌われるのはいつものこと。まあ、仕方ないとは思うけれど。だってわたしのお父さん、長男のくせにドイツ人の女と結婚したいからって駆け落ちしたんですもの。その後、すぐに死んじゃった。好き勝手生きて死んだ男のお荷物なんて、サンドバッグかヤギの代わりに使うしかないでしょう?」


 自嘲気味に語り終えて、僅かな沈黙。


「・・・・・・犠牲の羊って意味よ。ヤギの代わりになんか、使われていないから。未遂なら何度もあるけれど」

「念の為に言っておくが、自爆したのお前自身だからな?」


 目を逸らして失言を誤魔化そうとする星見に対し、タマが容赦のない追い討ちを掛ける。

 手負いの獲物にも全力を出す、正に肉食動物のそれであった。


「ああやっぱりね、という気がしていたのよ」


 これ以上傷を抉られまいと、星見は話題を逸らす。


「遺産の相続で命を狙われるならまず親族というのもあるけれど、何となく前々から自分を殺す人は血の繋がった人と思っていたから。本当に、驚かなかったのよ」


 だから、と錆び付いた把手を握ったまま硬直する転法輪へ視線を向けた。


「いい歳した大人オジサンが、わたしが哀れになるぐらい泣きそうな貌でこっちを見ないでよ。情けなくて、わたしの方が泣きたくなるわ」


 言い終わると星見は自分が並べて置いたローファーを掴み取り、泥だらけの靴下ごと自分の足を入れて爪先を鳴らす。


「けれど腕の方は確かなようだし、及第点ね。頼りないけれど、頼りにするわ。ボディーガードさん」


 手摺に背を向けて、星見は笑う。

 その笑顔は、星見 恵那が初めて見せた年相応の笑顔であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る