そんな話をしている今も、エースの演説はスピーカー越しに聞こえている。手に持ったマイクが自分の言葉を繋ぐ命綱だとでも言うように、その声は自我に満ち溢れていた。
『私は、貴様らのような愚民と同じ人間であることが恥ずかしい! この世界は馬鹿を生み出すためにあるのでは無いというのに……』
聞いているこちらが恥ずかしくなるような事を蕩々と語っている姿を見上げながら、俺は苛立ちにも似たもどかしさを覚えた。何をやっているんだあいつは、警察に取り押さえられでもしたらどうするんだ。
早く『やれ』、と思っていると、周囲の話し声が耳に飛び込んできた。
「何言ってんだ、ありゃ」
「頭おかしいんでしょう」
「早く殺すなり何なりしたらいいんだ、仕事が……」
皆それぞれ好き勝手にぶつくさと言っている。当たり前だ、金を稼ぐためにやっている仕事を中断させられ避難し、何事かと思って見上げれば頭上には狂った戯言をほざく馬鹿がいる。怒りたくもなるか。
今周りにいる彼らこそがこの世界の大多数であり、エース、お前が言う『愚民』だ。全ては多数派が正常で、お前のような奴は異常でしかない。真実がどうであろうと、事実はそうなんだ。
そして正常は異常を排除しようとする。息をするように簡単に《殺せばいい》と言う。奇しくも、お前が言っていた事とよく似ている、そう思わないか? ただ相手が違うだけだ。
喚き散らしているエースに心の中で語りかけながら、俺は奴ではなく自分を笑った。俺はこんな説教出来るような人間じゃあない。
「……キング」
ジョーカーが、僅かに緊張を帯びた声を掛けてきた。同時に、目で前方を指し示す。何だと思いながら見てみると群集の狭間には何処かで見たような顔があった。連れらしき男と話しをしている、スーツ姿の何処にでもいる中年男の横顔……。どこで見たかな、と思い出そうとする前にジョーカーがまた俺に耳打ちした。
「ターゲットの男だ」
「ああ……」
それは確かに、今俺のスーツの胸ポケットの中に入っている写真の男だった。もうどうでもいいと思ったせいで、しっかり頭に叩き込んだというのにあっという間に忘れてしまっていた。
あれが、エースの父親か。似ているような、似ていないような……特徴がない顔だということが似ているかもしれない。
じっくり見つめている俺を訝しく思ったのか、首を傾げているジョーカーの耳に奴がエースの父親であるという事を囁いてやると、表情を動かさず「親殺しの依頼だったのか」とだけ応えた。
今もエースの声はスピーカーから流れているにもかかわらず、父親であるはずの男は特に動揺している様子も無さそうに、連れと話している。その顔はいかにも、今の事態に心底迷惑していると言いたげな物だった。
そういえばエースは、父親を評した時、自分を解ってくれないというような事を言っていた。それは多分当たっているのだろう、いくら常軌を逸した行動だとは言え息子の声や背格好に気付こうともしないのだから。
だいたい、少しでも息子の異常な妄想癖に感づいていたなら、もしや、とでも思いそうなもんだ。
「警察は何をやっているんだ」
「撃ち殺せばいいのに」
時間が経つほどに、周囲を取り囲む人間の苛々とした声が大きくなる。正常な人間が、異常な人間を殺せと言っているのだ。
前方にいるエースの父親の唇も、暴言を吐いているのが手に取るようにわかるぐらい歪んだ動きを繰り返している。
全く、可笑しくて仕方ない。我ながら悪趣味だと思うし、まさか本当にしやしないが、今にも人波を掻き分けてあいつの後ろに向かい、その肩を叩いてやりたい。そして俺は言ってやる。
あそこに立っているのはお前の血を分けた息子じゃないのか? と。
そんな空想に耽っていた俺の肘を誰かが叩いた。相手は見ずともわかる、ジョーカーだ。
「お前、エースに何を吹き込んだんだ」
「別に何も」
問いかけに簡潔に応えると、疑わしそうな視線を寄越してきた。別に何も、であるはずがない。だが口で言うのは面倒くさく、何よりすぐに自分の目で見られるのだから言う必要もない。
『……私は、この世界を変えるために生を受けたのだ……前世でそれは成されなかったが、今こうして王に従い、私は私の運命の輪に従い、使命を果たす……』
どうやらエースの精神状態も最高潮に来ているらしい。上擦りかけた声がそれを感じさせ、認めたくはないがエースにシンクロするように俺の心も高揚してきた。
もうすぐ、もうすぐだ。
俺は明らかに興奮している。自分の手にかけるわけでは無いのに何故こんなにも……いや、そんなことはどうでもいい。今は、手が届きそうな快楽を惜しむように、ただじっとエースを見つめているべきだ。
『私の血や身体、全てがこの汚れた大地を浄化する! そして貴様等の生命を奪い去るのだ! 惜しむらくは私がそれをこの目で見ることは叶わない事だが、王のあの清廉な瞳が映してくれるだろう……そして私はそれを来世で聞くのだ。何と美しく強い光景だろう! 私は何も恐くない、貴様等のような脆弱で卑怯な人間とは違うからだ。死を受け入れ来世に繋ぐ……私は』
そこで不意に言葉を止め、エースは俺を見下ろした。いや、群集に紛れている俺の姿を奴が見分けているかはわからないが、何故かまっすぐに射るような視線を感じ、俺は背中にぞくりとした震えを感じる。
『…………それを教えてくれた、王に感謝する』
感情を抑えたような静かな声でそう言うと、エースは手に持っていたマイクを自分の背後に投げ捨てた。それは床に叩きつけられたのだろう、衝撃音がスピーカー越しに響く。
「やる……」
俺は思わず呟いていた。ジョーカーが不審げに見てくるが何も応えず、ただ顎でエースの姿を指す。スカイタワーの割れたガラスから、外に向かって立っている奴の姿はまるで彫刻か何かのように見え、俺は意識せずにエースのその姿を《美しい》と思ってしまった。
ゆっくりと両腕が持ち上がっていき、キリストの磔にされた絵に似た格好で止まる。周りで騒ぐ声も何も気にならない、耳を通り過ぎていく。時間が酷くゆっくりと感じられ、今のこの瞬間が永遠に続けばいいとさえ思う。だが頭の反対側では、一秒後を急かす自分もいた。
エースは今どんな顔をしているのだろう。あの狂人じみた目を閉じているのか、それともこの世界を焼き付けるように開いているのか。ああ、出来るなら間近でそれを見たい。それが人間らしかろうとそうでなかろうと、きっと俺を満足させてくれる。
エースが足を一歩踏み出した。そこは地面も何もない、地上数十メートル以上の空中だ。野次馬も奴が何をせんとしているか察したのだろう、途端にどよめく。
だが踏み出した足は迷うことなく空を踏み、バランスを崩したエースの身体は重力に逆らわずに空中に投げ出された。
一連の動きがコマ送りのように見え、ゆっくりと身体は落下していく。
まるでカメラのシャッターを押したように、俺の目はエースの唇が何事かを呟く動きをするのを、異様なまでに鮮明に捉えた。
振り切れんばかりの興奮の中、想う。
エース、お前は俺の仲間じゃない。
だが、俺を楽しませることには成功した。
次の瞬間、空を切り裂くような爆発音が辺りに轟き、そのせいで俺の意識は通常に引き戻されてしまう。
はっと我に返り、爆煙の中に目を凝らした。自分でも笑えるぐらい必死だが、肝心なものを見なければ意味がない。煙は上へと昇っていき、幸いすぐに目的のものに視点を合わすことができた。
エースの身体は二つになっていた。何だか酷く滑稽に見え、俺は小さく笑ってしまう。腹の辺りで千切れ、頭が付いている上半身の落下を追いかけるようにして人形のように動かない脚が墜ちていく。
更には腹に仕掛けていた爆弾の爆破のせいで粉々になってしまった内臓だろうか、細かい肉の破片や何やかんやが雨のように降る。
俺は自分が、あの真下にいないことを悔やんだ。人間の肉や血を頭から被るなんて体験は滅多に出来るものではない。ぐしゃりとなかなか大きい音を立てて二つの身体が地面にぶつかった時も、俺はそう考えていた。
群集のざわめきに一瞬遅れて気付く。少し放心していたようだった。前の方に立っている野次馬からは吐き気を催したような呻きが聞こえるが、俺が立っている場所からは地面に叩きつけられたエースの姿は見えない。気を取り直して人垣を掻き分けて前に進もうとした俺の腕を、力任せに引っ張る奴がいた。
「何だよジョーカー」
「お前、見に行くつもりか」
当たり前の事を辛気くさい顔をして訊いてくるジョーカーに、俺は鼻で笑って応えた。間近で見たくなるのは当たり前だ、俺は爆破死体を"作った"ことはない。これから作る予定も無いし、この目でしっかりと見ておきたい。こいつだって興味があるはずだ。
そんなことを早口で言ってジョーカーの腕を振り解こうとするが思いの外力をこめられているようで易々と離してはくれない。
「警察です! 保安上これより近付かないで下さい!」
ぐだぐだしている内に警官が集まってきてしまった。これじゃもう見られないだろう、舌打ちをしてジョーカーを睨み付けてやるが少しも堪えていないようで平然としている。
「自殺?」
「迷惑な……」
「空中で爆発したよな……?」
周囲のさざめくような声が耳に入ってくる。ああそうだ、エースは傍迷惑な野郎だった。しかし自殺じゃあない、この俺が命令したんだ。その腹に爆弾が有るならば全てぶちまけて死ね、そうすればいつまでも仲間でいられる、と……俺は自己顕示欲なんて持ち合わせていないと思っていたのに、大声で叫びたくなった。
気分が腐って仕方ない。何故だ? ジョーカーに引き摺られるようにして歩きながら考える。死体が見られなかったからか、エースという存在そのものに対してか、その全てが正解であるように思えるが違う気もする。はっきりしないむかつきが更に俺の頭をかき乱す。
顔だけ振り向くと、立ちはだかる警官の隙間にちらりと革靴を履いた足が転がっているのが見えた。エースは死んだ。ついさっき聞いたばかりの演説が頭をよぎる。
もしこれが勝負なら、俺は間違いなく敗者だ。奴は俺を信じきって迷うことなく華麗に死に、俺は奴の死体に見ることすらなく思考を持て余している。
しばらく歩いて不意に立ち止まったジョーカーに気付き、顔を上げると珍しく心配そうな表情をしてこちらを見ている。短く「大丈夫か」と言われ、俺は首を横に振って応え、そのまま俯いた。
苛つく。何かでこの苛立ちを抑え込まなければならない、しかし何で抑えれば……馬鹿げた疑問だ、俺が出来ることは殺ししかない、エースのように狂信するものもない。
俺は何故殺すんだ? 意識して考えずにいた事が今になって襲いかかる。殺したい、殺したい、殺したい。
何故。
「キング、考えるな」
俯いたままの俺を見て何を悟ったのか真面目くさった面でジョーカーが言う。こいつに言われちゃおしまいだ、と頭の隅で思うと僅かに落ち着くのを感じた。
考えなければいい。俺は……。
ふと前方を歩く人間が目に付いた。その後ろ姿は先程人だかりの中で見た物と同じ、そして今も俺のスーツの胸ポケットに収まっている写真の人物……エースの父親だ。何の偶然か必然か、人通りは途絶えている。
「依頼は取り消されていない」
独り言のように呟きながら拳銃を抜く俺を、ジョーカーは止めない。こいつは何も訊かないくせに何もかも理解しているんじゃないか、とたまに錯覚する。
殺さなければ俺は不毛な思考を止められなくなってしまう。誰だっていい、人間でありさえすれば……廻る思考をせき止める壁だ。
俺の放った拳銃の弾は、エースの父親の背中に命中した。ぐらりと倒れるその姿を最後まで見届けないうちに、ジョーカーは俺の腕を引っ張って走り出す。
そこら中に警官がいるのに殺しをやるなんて無謀極まりない、とんだ愚行だ。だが、そのお陰で俺の頭は曇り空が晴れたようにすっきりとしていた。
「何で止めなかったんだ」
「止めたってやるだろ」
現場から大分離れ、それでも早足で歩きながら問い掛ける。不機嫌そうな声で吐き捨てて応えたジョーカーの手首を掴んで立ち止まらせた。
「何でよりによって今、エースの父親を殺したんだと思う」
「依頼だったからじゃないのか」
「違う。何でって訊け」
ジョーカーは深く溜め息を吐いて、ゆっくり振り向いた。そして俺の目を見つめ、言う。
「何でだ? キング」
俺は俺が俺であるために考えることを止めた。それでいい、そうするしかない。自己を疑い狂うよりも自分の本能が殺せと叫ぶのに従う方がいい。
対峙した相手の黒い瞳を見ながら、俺は自分のためにその言葉を口に出した。
「殺したかったから、だ」
Paranoia's dream
END
13 成瀬七瀬 @narusenanase
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。13の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます