「具体的にはどうすれば満足なんだ?」


 ジョーカーは重ねて尋ねる。俺はそれを横目に見ながら、こいつは本当に生真面目だなあと再確認していた。俺はもうエースと交渉したくもない。


 勿論、エースが嘘を吐いているか本当なのかわからないのだからそういうわけにもいかないが、面倒くさくて仕方ない。




 だいたいこの状況からして俺が体験するのは二回目だ。しかもさっきと違い今は懸念の元だったジョーカーが横にいるのだし、緊張感も何もなかった。




「そうですね……キングが王らしく……ああ、先程私にしてくれたことはとても素敵でしたね。素晴らしく冷淡で」


 さっきエースにした事。思い当たることは一つしかない、銃を口に突っ込んで殺そうとした事か。




「じゃあもう一度やってやるよ。今度は最後までぶっ放してやる」


 俺は半ば自棄気味にホルスターに手をかけながら言った。しかし、エースはのらりくらりと首を振る。




「私にして頂いても、意味がありません。……そこにいる悪魔に、同じことをしてください」


 ほんの少しだけ静寂が流れた。俺は何の躊躇いもせずに、ホルスターから手を離す。横目で見たジョーカーの顔は険しく、危うく笑いそうになった。




「それは出来ない」


 敢えてにっこり微笑んでエースに言ってやる。元気があるなら『だからこいつを死なせたらお前も殺すっつってんだろうが貴様脳味噌何処に落としてきたんだ?』ぐらいは言ってやりたかったが今は罵るエネルギーを使うのもかったるい。




 俺の言葉がエースの耳に届くと同時に、エースのこめかみがピクリと震えるのがわかった。あーあ怒らせちゃったかな、と思いつつジョーカーを見ると、奴まで俺を睨むような目で見てきた。




「なんだよ」


「キング、お前」


「私の王を気安く呼ぶなぁあぁああ!!」


 いきなりエースが叫び、俺とジョーカーは一瞬身を硬直させる。今にもエースの身体の中にあるだろう爆弾が爆発しやしないかと思ったのだ。




「私の王……私とキングは前世から共に戦ってきたんだ! お前のような悪魔に渡しはしない」


 吠えるようにジョーカーにそう宣言するエースを見ながら俺は、妄想が加速しているなあ、さっきまで前世とか言ってなかったくせに、などと考えてしまって笑いを止められなかった。




「キング、とりあえず俺を撃て。こいつ目がイってる。本当に自分もろとも爆破させるぞ」


 ジョーカーが真面目くさった口調で俺に耳打ちする。ふとエースの目を見るとその眼球は白目に赤い血管が浮かび上がっていて、明らかにヤバい人種だと一目でわかる。


 だが俺は今は不思議と死ぬのも怖くないし、ジョーカーを殺してまで自分が生き残るつもりも全くない。ただ腹が減っていて、出来るなら何かを食べたかったがまあ仕方ない。




「何を囁いて……また王をその手中に取り込もうとしているのか……王、いや、キング! 早くそいつを殺して下さい! 私があの言葉を言えばすぐに貴方も死ぬんです……わかってますか、バラバラになるんですよ?」


 エースが舐めるように粘着質な目で見てきて、俺はそれを真っ正面から受け取り、言い放つ。こいつは親父に似た目をしているが、下衆としての格が--そんなもの有るのか知らないが--違う。そんなやつにだけは屈したくない。




「だから嫌だって言ってんだろ、わかんねえ奴だなお前も。俺はそういう卑怯な手には乗らない。キングだからな」


 エースが目を見開くと同時に、奴の唇が小さく動いて何か言葉を発しそうになる。


 これで俺達は死ぬのか、本当にあっけなかったなあ、のんびりとそう思った瞬間、ジョーカーが一歩前に出た。




「俺が死ねば良いんだろう」


 そう言った時にはジョーカーは自分の銃を握っていて、素早く自らのこめかみに銃口を当てた。


 その指が引き金に掛かり、引く様が俺の目にコマ送りのようにゆっくりとしたスピードで映る。


 止める間もなく、耳をつんざく音が俺の耳に届いた。






 ああもう終わりだ、と思った。瞬時にエースに向けての殺意が鋭利に研ぎ澄まされ、ナイフに手をかける。だがそれを抜くまでもなく、違和感に気付いた。




 今の轟音は銃声では、ない。嗅ぎ慣れた硝煙や血の臭いもしない、それにジョーカーは倒れもせず突っ立ったままである。




「ジョーカー……」


「今の音は何だ?」


 目の前の男が平然とした様子で振り向く。俺は、奴が頭に当てていた拳銃を下ろすより先に、その背中を拳で思い切り殴っていた。




「何考えてんだよ馬鹿」


 この俺をびびらせるなんて百年早い、という怒りや安心やそんな物がない交ぜになり、俺に無表情を作らせる。殴られたジョーカーは僅かによろめきながら、驚いたような顔で見てきた。しかしすぐに表情は不機嫌そうなものに変わる。




「何って……お前と同じだろ。それより今の音は」


「わ……私です」


 エースが震えた声で呟く。エースの存在を忘れそうになっていた俺は怒りに任せて勢いよく睨みつけてやった。




「ああ? 何やったんだよ」


 おずおずと右の腕を突き出してきた、エースの手のひらの上には先ほどアジトを爆破すると言って脅すために使った、小さなスイッチの付いた箱が乗っている。そのスイッチはへこんでいた。




「これ……スカイタワーの展望室に仕掛けていた爆弾のスイッチなんです」


「展望室?」


 ……何ということをしてくれたんだ、こいつは。今の音は展望室が爆破された音か。しかし、よりによって展望室だと。俺はまだ展望室から景色を眺めていない、いや足を踏み入れてもいないんだ、そんな事したら復旧やら何やらでしばらく入れないだろう。いやもしかしたら防犯のため閉鎖されるかもしれない。




「この……馬鹿が」


「はい、私は救いようもない馬鹿でした……ああ、あんな卑怯なことを口走るなんて……私は何ということを!」


 そう言いながらエースはその場に土下座する。だがエースはどうやら、ジョーカーを殺せと言ったことに対して懺悔しているようで、それは俺が怒っている事象には全くかすりもしていない。また神経が苛立つのを自分の内に感じた。




「どうかお許し下さい……王が卑怯な手には乗らないと仰った瞬間、私は目が覚めました……王はやはり私の王だ! もし靴を舐めろと言われればいくらでも舐めます。だから、お許し下さい……!」


 エースは額を床に擦らんばかりにひれ伏している。少し怒りが冷めてきて周囲の音に耳を澄ますと、ビルの外からざわざわと騒ぐ声が聞こえる。それと、鋭い怒号にもにた声。警察か。




 ジョーカーの方を見遣ると奴も気付いているようで、苦い顔をしている。警察が乗り込んできやしないか、どうやって逃げようかと逡巡しているのだろう、時たま辺りを見回す。考えたって仕方ない。俺は呪文のように心の中でそう唱えながら、土下座しているエースに視線を戻した。


 その肩は小さく震えている。それを少し眺めている内に、俺は自分の脳に生温い雫が落ちるような感覚を覚えた。その雫が落ち、波紋が広がっていくのを全身に感じる。




 ……使える物を使えば良い。




「エース、許してやるよ」


 ひれ伏したままの奴の傍にしゃがみこみ、まるで神か仏かのように優しい声を作って言ってやる。




「ほ……本当ですか」


「ああ。お前が俺を王として敬っているのはよくわかった。お前を仲間にしてやる、エースとして。……顔を上げろ」


 ゆっくりとエースが身体を起こし、涙や鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を俺に向ける。汚いな、と思ったがそこはぐっと堪えて微笑みの仮面を付け、エースの肩に手を乗せた。間近で見るこいつの目は澱みながら澄み渡り、一筋の狂気が支配している。




「仲間だ、エース。そしてこれはお前の最初の仕事…………」


 エースの耳に唇を寄せて、あることを囁く。奴はそれを目を閉じて静かに聞いていた。身体を離して、景気付けに肩を軽く叩いてやるとエースは俺のその手を握りしめ、言った。




「か、必ず……やり遂げてみせます、私の王よ」


 そしてエースは、王である俺の手の甲にうやうやしく口付けをした。




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