「人間が嫌いなら自分で殺せ。俺を崇拝して俺に自分を重ねるな、吐き気がする」


 言ってしまってから俺は《しまった》と思った。逆上して今にもスイッチを押しはしないかと、少しひやりとしながらエースの様子を伺う。




 だが当の本人は茫然自失といった様子で空を見つめていた。その姿は大事な物を失った常人のようで、まあ実際そんな心境なのだろう。




「……あなたは私の王じゃないのか」


 やがてエースがぽつりと呟いた言葉に、俺は心の中で大きく頷いた。そのまま俺に執着するのを止めてくれ、そもそも王じゃなくキングだ。




「ああ、違う。だから俺達の事なんかどうでもいいだろ? 爆破スイッチを渡せ」


 とにもかくにも、アジトを爆破させる発信機を奪ってしまえば俺がこいつに従って下らない話を聞く必要はない。


 しかし何故この俺がこんな奴の言いなりになっているのかと思うと改めて腹が立った。それはジョーカーの為だからだ。勿論奴は知るよしもないが、帰ったら本人に思い切り恩を着せてやらければならないなと考える。




「王……私の王だと思ったのに。私達が力を合わせればこんな世界を壊すことが出来ると……思ったのに。私と同じ思念を持った人間だと……」


 エースはぶつぶつと何事かを呟きながら床に目を据えている。話を聞いていないのか? 俺は辟易しながら、それでももう一回声をかけてやった。




「だから、早くスイッチを」


「王」


 俺の言葉を遮ってエースが口を開いた。まだ王と呼びやがるのか、と舌打ちが飛び出しそうになったがここで怒っても仕方ない。スイッチを取り戻すまではこの忌々しい偏執狂を刺激しないようにしなくては。自分を戒め、ナイフでガリガリと床を削りながら応える。




「なんだ」


「王が一番最初に殺したのはどんな人間ですか」


「そんな事どうでもいいだろ」


 言い捨てると、エースは手の中の箱をちらつかせた。……ムカつく。だが同時に可笑しくなった。今この状況を客観的に見てみると、道化芝居のように見えなくもない。俺もこいつも道化だ。




 芝居と違うのは、筋書きが無いという事。ハッピーエンドとは限らない。駆け引きは面倒だが仕方ない、俺は何と応えようかと考えた。


 だがまったく思い付かない。わざわざ嘘を吐くのも面倒だと思い直し、事実をありのまま話してやることにする。




「ヒステリックな女だったな。男無しじゃ生きられないような典型的依存体質の女だ。だけど、俺は好きだった」


「……なぜ好きなんて言うんですか。そんな女はみっともないだけだ」


 エースが失望したような、呆れたような目で俺を見る。その瞳は先ほどよりも人間らしさを感じさせ、今のこいつなら殺し甲斐がありそうだった。心が人間じゃない奴を殺したって面白くも何とも無い。




 ふと記憶を手繰ると、一人の女の姿が浮かんでくる。もう顔の造形は忘れてしまったが、その長い髪や細い身体、たまに見せた優しさなどがふわふわと花の香りのように頭の中に漂ってくる。


 今となっては何の感情もわかない。殺した瞬間に虚無になった。それなのに、くっきりと思い出せるのは何故だろうか。後ろから銃で撃ち抜いた背中がスローモーションのようにゆっくりと倒れて見えたことも、赤く染まった背中を見ながら、俺が思ったことも。




「ガキの頃はそんなもんだろ。自分を生んだ人間なんだから」


 もう《かあさん》と呼べないんだな、と……母親を殺した俺はそう思った。












「母親を殺したんですか」


 いつの間にか自分の記憶の海に呑まれていた俺を、エースの声が現実に引き戻す。その声は軽く震えを帯びていて、俺は訝しく思いながら奴の顔を見やった。




 ジッポのほの暗い明かりに照らされたエースの表情は奇妙なものだった。目は今にも泣きそうに歪めているにもかかわらず、唇は三日月のように笑っている。


 すぐに、言葉を間違ったと気付いた。明らかにコイツは歓んでしまっている。さっき見せた人間らしい表情なんか跡形もない。




「やっぱり……やはり私の王はあなただ! 私の目は間違っていなかった」


 半ば叫ぶように言いながら、エースが勢いよく立ち上がった。その衝撃でエレベータが揺れる。エースは拳にしっかりと発信機を握り締めたままその手をヒトラーの演説のように振り回した。どうやらますます面倒くさい事になったようである。




「親が子を殺し、子が親を殺す。それは腐った人間社会では禁忌とされる行為。だがしかし私は思うのだ! 自分の存在を作り出した親を殺すことで人間は真実の自我を得るのだと。例え親であろうとも下衆は排除すべきである!」


「俺は好きだったんだって……話を聞けよ、ナメクジ野郎」




 またエレベータがガタンと揺れる。しかしエースは仁王立ちのまま一歩も動いていなかった。勿論俺も身動きしていない。




「私はエースです。王の仲間としてこれから手となり足となり動くエースです。人間以下、いやミジンコ以下の生物をこれから排除していきましょう。そして出来上がるのは完成された美しい社会……!」


 エースの演説の合間を縫うようにして妙な音が聞こえる。ミシミシというこの音は一体何だ?




「そこには馬鹿な有象無象はいない! 私達のような確実たる思念思想を持った人間だけ……その頂点に立つ私と王。ああ……! 想像するだけで身が打ち震えるようだ!」


 もはやコイツの妄想に耳を傾ける気は全く起きない。それよりも俺が気になるのはエレベータの事だ。何か様子がおかしい。その違和感を感じ取ろうと神経を研ぎ澄ましているのに、エースのごちゃごちゃと喚く声で気が散る。




「王! さあ、私と今すぐにでも世界を作り替えましょう。まずは脳みそが腐りきった連中を葬り去り、」


「お前と仲間になる気はねえよ黙れ!」


 頭の中でぶちっと切れる音がした次の瞬間には、俺はナイフをエースに向かって投げつけていた。それは狙ったわけでもないのに奴の頭すれすれを掠め、音を立てて壁に突き刺さる。




 ……やっちまった。エースは拳を握って硬直したまま俺を見つめている。そして、その唇が動いた。




「悪魔がいるからですか」


 ぼそりと低く呟いた声を聞いて、俺は物凄く今更だがエースという人間が厭になった。コイツは俺の存在そのものじゃなく、自分自身の中の王をひたすら崇拝しているだけだ。




「わかってた……私はわかってました。あなたは、王は悪魔に憑かれている。魅了されているんだ! なんて汚らわしい、なんて忌まわしい。きっとあの男が王に余計な事を吹き込んでいるから王はまだ目覚めていないんだ、ああそうだ王は目覚めていない! だが、だがしかし私と巡り会ったからにはもう貴方が迷う必要はない、私が、私が悪魔を殺してやります。このスイッチで……」


「やめろ!」




 まくし立てながらエースがスイッチを掲げる。反射的に俺が奴の足に飛びかかるとエースは体勢を崩して倒れ、同時にエレベータが大きく揺れた。


 機械音が耳につく。これは--考えるまでもなく、俺の身体は感じていた。重力を。




 エレベータが、落下している。






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