だが、行動するしないも考え込む込まないも無かった。それから毎日のように、エースからの手紙は届き続けたからだ。
人を殺せば何処から見ていたのか、美しい手捌きだとかほざいた手紙が来るし、殺さなくてもやはり王のお顔がどうたらこうたらとかどうでもいい事を書き記した手紙が来る。それが一週間も続くうちに、舞い込む手紙に慣れきってしまっていた。
最初はジョーカーも手紙がいつ来るのかと玄関先で待ち構えていたがそういう時に限ってどうしたわけか全く来ず、少し席を外した隙なんかに手紙は新聞受けに投げ込まれていた。
ジョーカーは対策を考えているようだが俺はエースについては頭を働かす気すらも起きなかった。
この一週間の内に届いた手紙は二十枚弱。一枚を手に取って読んでみると、虫酸が走るような文字列が目に飛び込んでくる。
《これで何枚目の手紙だろうか。
自分でも何故だかわからないが、言葉が次から次へと流水のように零れ落ちてくるのだ。
昨日は神業が見られなくて残念だったが、力を酷使して痛めでもしたら私も悲しい。
たまには傍らに仕える悪魔に命じてみては如何だろうかと助言したく思う。
ああ、私も早く王に仕え従いたい。
その時を待ち望んでいるのは私だけではないはずだ。
スペードのエースより、
王とそれに仕える悪魔へ》
「ラブレターの域に達してるな」
「やめてくれ、おぞましい」
発作的に手紙を破り捨てたくなる衝動に駆られたがそうするとジョーカーは怒るだろう。せめて、と乱暴に手紙をテーブルに投げ捨てた。
今まで他人の目を気にせず生きてきたせいか、見られていると思うとやたら苛々する。しかしどれだけエースの姿を見つけようと注意を払っていてもそれらしい人物は目に入らない。
胃がむかむかしてきそうになるのを堪え、フローリングの床にごろりと寝転がった。
妙な手紙に感情を動かされるなんてまっぴらだ。別のことを考えなければ。別のことを。
悲しいかな、俺が真っ先に思いつくのは人殺しと食い物のことだった。そういえば最近仕事の殺しをしていないな、と思い出す。
「おい、仕事の依頼来てないのか?」
反動を付けて一気に起き上がるとジョーカーと目が合った。
「来てるけど、今はやめといた方がいいんじゃないか」
「大丈夫だよ。そろそろ仕事受けないと家賃払えねえぞ」
俺達がアジトにしているこのアパートの持ち主は、一応知り合いではあるがそんなことお構いなしに金にうるさく、一日でも支払いが遅れると追い出すと言って憚らない。
昔は二人で、所謂ストリートチルドレンとして路上で暮らしたこともあったが浮浪者に逆戻りすることは避けられるならば避けたい。
「今月分の家賃を払う金くらいならある」
「いいから依頼を言え。今仕事しなかったら俺は一生仕事しない」
俺がそう言い切ると、ジョーカーは渋々といった様子を隠しもせずに立ち上がって自分の部屋に向かった。しばらくして戻ってきて、綴じられた二枚の紙を手渡してくる。
それにはジョーカーの几帳面な文字で、依頼の詳細が書かれている。依頼者名、標的名、提示された値段、殺害場所などがわかる範囲で詳しく記されていた。
さて、どれにするか。ざっと数えると依頼は十二件。その全てを受けることはしない。このリストを見ただけでも、割りに合う合わないはだいたいわかるからだ。良さそうな物の中から、なるべく面白くなりそうな物件を選ぶ。
《殺害場所・2番街、ラインビル》という文字が目に入った。2番街のラインビルは最近出来たばかりの30階建ての高層ビルだ。別名スカイタワーとも呼ばれているらしい。
「この依頼、どんな奴が頼んできたんだ?」
リストの一カ所を指差して尋ねると、ジョーカーは少し考えてからすぐに応えた。
「若い女だったな。《第2》って言ってたから2番街の住人だと思う」
第2、か。住人は自分の住む街のことを1番街や2番街などと呼ばず、簡略化して第1、第2と呼ぶこともある。それは上流の街に住んでいればいるほど、ステイタスを現す意味もあるのか顕著だった。
「それにする気か? 通行人が多すぎる」
「大丈夫だよ、うまくやる。日時とかの連絡頼んだぞ」
不満げなジョーカーをねじ伏せて、俺は早速銃とナイフの手入れに向かう。その時にはもう、手紙のことなど意識の外だった。
頭の中を支配するのはまだ見ぬスカイタワーと、そこで行う殺人の空想だけだ。
どの仕事をやるかは俺が決めるが、決行の日時や報酬額などの交渉を含む依頼者とのコンタクトは全てジョーカーに任せている。勿論実際に会って話し合うことは少ない。何らかの手段で物品を受け渡し、あとは電話だ。
そして今回も同じようにジョーカーが交渉した結果、すぐにでも殺ってほしいとの依頼者の言葉で、俺は次の日には2番街に向かうことになった。
「標的は五十代男、写真はこれ。スカイタワーの中層ビジネスフロアに事務所を構えている。昼食時には、いつも近くの飲食店に食べに出るらしい。その辺りの道は昼間でもあまり人が居ず閑散としている」
「そこを狙えってわけか」
写真に写っているのはこれといって特徴の無い顔をした男。着ているスーツは高そうに見えた。隠し撮りしたのか、カメラを直接見てはいないが顔立ちは十分わかる。俺は標的の姿を頭に叩き込んだ。
この男を殺す。考えると心臓がぞくりと震えるような気がした。
「どう? 立派なビジネスマンに見えるだろ」
滅多に着ないスーツを着て、ネクタイを締めながらジョーカーに問い掛ける。こんな窮屈な格好は好きじゃないが、いつもの黒尽くめの服で歩くには2番街という場所は明るすぎる。木を隠すなら森という言葉通り、その場所に相応しい服を纏うのは至極当たり前のことだ。
「赤いネクタイとビジネスマンにあるまじき茶髪とピアス以外は立派なもんだ」
「このぐらい普通だよ、多分」
言いながらも俺はとりあえず、ピアスだけは外した。普段は下ろしている前髪を後ろに撫で付けて、黒いセルフレームの伊達眼鏡を掛ける。眼鏡は用心深いジョーカーが用意したものだった。
ジャケットに隠したホルスターに銃を仕舞い、研いだナイフも同じように隠す。どちらを使うかは状況次第だ。最後にもう一度写真を見、たいした物は入っていないアタッシェケースを提げて玄関に向かった。
「もう出るのか?」
時刻はまだ朝の時間帯だ。いくら2番街まで行くと言っても早過ぎるだろう、ジョーカーが怪訝そうに訊いてくる。だが俺にはある目的があった。
「朝の方が目立たないだろ。それに下見もしておきたい」
言って、俺はスーツの胸ポケットを軽く叩いて見せた。そこには現場の簡単な地図が入っている。死体を2番街から持ち帰るのはかなり無理があるし、検問だらけの道を車で逃げるより公共交通機関の方が捕まりにくい。というわけでジョーカーは今日アジトに待機することになっていた。
来なくて良いのに玄関まで着いてきた奴は、ふと気付いたように口を開く。
「そういえば今日はエースからの手紙が来ていないな」
俺はすっかり忘れていた。いや、仕事という丁度いい考え事を頭に詰め込むことで、その存在を自分から忘れさせていたのかもしれない。
「飽きたんじゃねえの」
「あれほど執拗に届いていたのにおかしいだろ。……引っかかる」
ジョーカーはまた、眉間に皺を寄せて考え込んでいるようだ。エースが飽きたんだか何だか知らないし考えても分からないなら考えない方がいいじゃないか。そう言うのも面倒くさく、俺は黙って玄関のドアハンドルに手をかけた。
「キング」
「あ?」
その時、不意に背後から声を掛けられた。振り向くより先に、ジョーカーの腕が俺の着ているスーツの襟に伸びる。
「襟が立ってた」
平坦な声でそれだけを言い、手早く襟を直したジョーカーに短い礼を言い残して俺はドアを開き、外に出る。
朝の光はやたらと眩しく、何故か眠気を誘った。考えてみると当たり前だ、いつも今頃はまだ夢の中なのだから。
欠伸を噛み殺して歩き出す。アパートを出る時、いつもの癖で辺りを見回したが汚い路上には浮浪者以外誰もいない。
頭のどこかでエースに対する警戒が疼いていたが、今は気付かないふりをするしか無いだろう。
早く行かなくては--2番街は遠い。
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