「先に喰ってて良かったのに」


「お前、俺が見てないと喰わねぇだろ」


 そう言ってやると、ジョーカーはばつが悪そうに食事を始めた。


 俺が欲求に忠実なのに反して、こいつは昔から欲が薄い。目の前に飯を置いてやらなければ餓死するまで食べないんじゃないかとすら思う。




「求めていた魂ってどういう意味だ」


「さあ。前世とか信じてる奴なんじゃねえの」


「脳を揺さぶられるような……?」


「それはお前もわかるだろ?」


 ジョーカーならば死体をバラす時、俺ならば殺す時。その瞬間は神に見入られたかのような心地良さとそれに反していながら同調する強い衝動、まさに言葉にすれば脳を揺さぶられるような感覚、だ。




 ジョーカーは理解したのかしていないのか、「ああ……」と気の抜けた返事で応えた。




「遠かれ近かれ、書いた奴は俺達と似たような人種だろうな」


「似たような人種か。厄介だな。善き返事って何だ?」


 ジョーカーは手紙を見ながらもそもそと飯を喰っている。俺はといえば余りに腹が減っていたせいで早くも食べ終わってしまった。




「だから知るわけないだろ。俺はエスパーじゃない」


「でもお前は十分勘が鋭い」


 こいつは誉めているつもりだろうか。淡々と言われて、思わず笑った。勘が鋭いなんて言われても手紙一枚だけじゃ何もわかるわけがないと、皿をシンクに片付けながら応えた。




「そんなにその手紙が気になるか?」


「そりゃ……この家に直接入れに来たんだからな。きちんと考えた方がいい」


 ジョーカーの手から便箋を取り上げ、眺める。文面からは筆者の自意識の高さがまざまざと伺えるように見えた。自分は特別だという選民意識か。そういう人間は全く俺の好みじゃない。


 この《スペードのエース》というネーミングも気に食わない。どうせ俺達がキングとジョーカーという名だから、トランプに因んだ名前を自分に付けたのだろう。安易に名乗りやがってと思うと白けてきた。




「俺は馬鹿にされてるとしか思えない。大体考えたって仕方ないだろ」


「何かあってからじゃ遅い」


「何かって? 俺やお前がこのエースに殺されるってか。安心しろ、こいつはただの偏執狂だ」


 ジョーカーは納得いかないように唇を曲げた。別に俺だって確かな確信があって偏執狂だと言い切ったわけじゃない。




「勘か」


「ああ。俺の勘は鋭いんだろ」


 にやりと笑って見せたが、頭の隅では全く逆のことを考えている自分に気付く。


 もしもエースがただの偏執狂では無かったら。予想の裏を掻いた行動に出て来きやしないかと……いやむしろ、俺はそれを望んでいるのかもしれない。




 不意に欠伸が出てきた。腹が一杯になったらどうしても眠くなる。まだ話し足りなそうなジョーカーを残して自分の部屋に戻り、明かりも付けずにベッドに横たわると微かに血の匂いが漂ってくる気がした。




 俺の身体に染み着いてしまっているんだろう錆び付いた匂いは、どれだけ洗っても鼻につく。それを嫌だと思うことも無くなったのはいつからだろう。




 目を閉じると闇が広がる。ふと、ジョーカーを初めて見た時のことを思い出していた。振り返ればそれは子供だった俺にとっては決して楽しい思い出なんかじゃなかったが、やはりある種の転機だったのだと思う。


 エースという人間も、俺達にその転機を見出したのだろうか。思考が流れるに任せてそこまで考えて、頭を休めた。




 いみじくもさっき自分が言ったことだ。《考えたって仕方ない》。自分の考えに飲み込まれそうになるといつもその言葉を繰り返して生きてきた。


 何も考えなければいい。妙な手紙の事も、今日殺した娼婦の事も、親父の事も。


 ふっと眠りに墜ちていく瞬間浮かんだのは、もう顔も忘れた母親の姿だった。












 カーテンの隙間から射し込む朝の光が、閉じた瞼を刺激してくる。


 眩しさに目を覚ましたがまだ淡い眠気は頭の中に垂れ込めていて、俺はブランケットを被って再び目を閉じた。




「キング、起きろ」


 そうやって寝入りそうになった瞬間、部屋のドアがノックも無しに開けられる音と同時に呼びかける声が聞こえた。


 心の中で舌打ちをしたが、狸寝入りをするほど眠くもない。何より、ジョーカーが俺を起こしに来る時は何かあった時だ。




 ブランケットから顔を出して見ると、ベッドの傍に突っ立った男は不機嫌そうな表情こちらを見下ろしている。




「おはよう、ジョーカー」


「ああ、おはよう。これを見てくれ」


 挨拶もそこそこにジョーカーは手に持っていた紙を寝転がったままの俺に向かって差し出した。それは白い便箋で、ちらりと見ただけでピンと来る。エースか。


 受け取って読み始めると、ジョーカーは所在無さそうにベッドの空いた所に座った。そして落ち着かないのだろう、すぐに煙草に火を点けた。




 白い紙にはやはり定規で引いたような文字で、こう綴られていた。


 《手紙は受け取って貰えただろうか。


 君達の目に、私の書いた文字が映っているということを考えるだけで


 私の胸は打ち震えてしまった。


 


 そして昨日。


 私はまた君の遊戯を見ることが出来た。


 私も以前から、自らの性を売る娼婦は汚らわしく思っていたのだ。


 王があの汚い女の命を奪った時、王を讃えたい気持ちで涙が溢れだした。


 その時すぐに駆け寄り忠誠を誓いたいと思ったが、私は思い留まった。


 再会の時はまだ訪れていない。


 どうかそれまでに、君達も善き返事で応える準備をしていて欲しい。




 スペードのエースより、


 王とそれに仕える悪魔へ。》




「……こいつ頭おかしいな」


 それは俺の率直な感想であり、手紙に対する批評だった。


 文章は最初から最後まで自己完結しており、そのさまは軽く気違いじみている。だいたい人の家に手紙を投げ込んでおいて受け取ってくれたかも糞もない。




「朝起きて気になって見てみたら新聞受けに入ってた。封筒は無し」


「遊戯って昨日の殺しの事だろ。ジョーカー、お前見てないのか」


 ジョーカーは昨日見張りをしていた。尋ねてみたが、あの路地はジョーカーが見張っていた方の反対側にも出口があったことを思い出す。




「悪いが見てない。こいつは一体何がしたいんだろう」


「再会の時って言われてもな。お前こんな手紙書きそうな奴に覚えあるか?」


 煙草を吸い終えたジョーカーは首を横に振る。覚えが無いのは俺も同じだった。ベッドから半身を起こし、シーツの上に胡座をかいて座り直す。


 こいつは娼婦を汚い女だと書いていて、俺も……王も同じ考えだから殺したと思っているのだろう。改めてその辺りを読み返すと無性に苛立った。よく知りもしない奴に決め付けられ勝手に同意されることは不愉快でしかなく、的外れも良いところだったからだ。




「思い留まらず駆け寄ってくれば、殺してやれたのに」


「キング、こいつはお前を狙ってる」


 ジョーカーがやたらと真面目くさった口調で言った。それは俺にもわかっていた。ジョーカーが死体を解体するのはアジトしか無いし、見られたのは俺が殺る場面だけ。この手紙を見るだけでも、このエースという人間は俺の殺り方に対して崇拝に近い感情を抱いていることが伺える。




「それなら尚更都合が良い。王直々に殺してやれば、この気違いも本望だろ」


「おかしな奴だから危ないんだよ。何をやるかわからない。くれぐれも気を付けろ、頼む」


 わざとへらへらと笑いながら言ってやったが、ジョーカーはにこりともせずに忠告する。俺は笑顔を引っ込めざるを得なかった。




 最近ジョーカーはいつもこんな感じだ。どうやら、少し前ドラッグ絡みで俺が勝手な行動をした事がかなり効いているらしい。そりゃ、あの時はお互い殺し合いかけたが結局無事に済んだんだから、まあ良いじゃないかと思っているのは俺だけのようだった。




「わかったよ。勝手に単独行動したりしない。その代わり条件がある」


「何だ」


 顔を上げてこちらを向いたジョーカーの、皺が寄った眉間を素早く指で押さえてやる。眉間に皺を寄せるのは、うだうだと考え込んでいる時に出るこいつの癖だ。




「お前はこの事について考えすぎるな。なるようにしかならないだろ? 胃に穴が開いたって治療費は無いんだからな」


 ジョーカーは眉間を俺に押さえられたままの格好で目を白黒させる。だが少ししてやっと緩く笑い、「ああ」と短く応えた。






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